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22.花冠

 決勝の試合は、ほぼ互角の戦いだった。ノエルの相手として勝ち上がって来たのは、以前第一騎士団に所属をしていたボーエル侯爵だった。彼は騎士団員であったが、父親である侯爵が体調を崩したため、退団をして爵位を譲り受けたのだ。


 ボーエルもノエルも片手剣で、どちらの長さもほぼ同じ。有利不利もほぼない対戦だ。ボーエルの剣は正確で、ノエルを追い詰めていく。躱すことが難しくなり、剣で弾く場面も出て来た。


 数回打ち合って、それから再び双方後ろに下がる。2人を煽るように客席から声がやいのやいのとかけられるが、決勝まで来た者たちは、そんな声に惑わされない。


 間合いを測って、じりじりと円を描くように時計回りに彼らは相手を見ながらゆっくり横に回った。


 そして。


「せいっ!」


 最後に仕掛けたのはノエルの方だった。僅かなフェイントを入れ、更にもう一度フェイントを入れた。ボーエルは一度目は引っ掛からず、二度目のフェイントに合わせて剣を躱そうと体を動かした。その瞬間にはもう「しまった」と彼は体を止めようとする。が、それでは遅かった。


 まさかの二度のフェイントの後とは思えぬほどの素早さで、ノエルの剣先はぴったりとボーエルの首筋に触れた。試合用の首当てが、カチャン、と澄んだ音を響かせる。そして、それはノエルが勝利を収めた瞬間だった。


「まいったな。よく、あんな二度から剣を振るえるものだ」


「一度めで、あなたが引っ掛からなかったとわかって、むしろこちらが追い詰められました」


 2人は互いに離れてから、終了の礼を行った。それと同時に、試合終了を告げる角笛が高らかに鳴る。離れた2人は再び中央で近づいて、互いの健闘を称え、ぽんぽん、と肩をたたき合う。


 会場は割れんばかりの歓声が続き、やがて、それは拍手へと変わっていく。その拍手を背景にして、再び風魔法で案内の声が響いた。


「第52回剣術大会、優勝者はノエル・ホキンス・ユークリッド! 準優勝は、カーライル・ボーエル!」


 その声を聞きながら、エーリエは「ふう」と息をついた。見慣れぬ剣術大会を最初から最後まで見たため、彼女は少しぐったりとしていたが、それでもノエルの優勝は嬉しいことで、拍手を続ける。


「それでは、これより上位者へ健闘を称え、陛下からのお言葉を賜ります」


 案内の後、国王の声が聞こえる。が、エーリエは疲れたせいで、その言葉が耳に入らない。彼女のその様子を見た聖女が「大丈夫ですか」と声をかけてきたが、彼女は「ううーん」と呻いてから「もう少しで終わりますもんね……」と返すのがやっとだった。


 正直、疲れた。人々が多すぎるし、こんな風に時間を拘束されたことは彼女の人生でこれまでほとんどない。今すぐ馬車に乗って帰りたい。だが、この会場から出るとなると、それだけで時間がかかってしまうだろう。それを考えただけで、エーリエはぐったりとして、少しだけ後悔する。


(ああ、そういえば、帰りはどうすると言っていたかしら……そうだ。帰りも馬車が迎えに来てくださるとおっしゃっていたわ……なんでも、貴族専用の馬車乗り場がどうのというお話で……)


 エーリエがぼんやりと考えている間に、国王からの講評が終わり、ノエルが何を国王から言われたのかをエーリエはあまり聞いていなかった。ハッ、となった時には既に遅し。続いて花冠授与式とやらが始まろうとしている。


 どうやら、上位3名までに花冠をかぶせるようで、3位になった騎士団員がどこぞの貴族子女の名を告げた。わあっと会場が揺れるほどの声があがる。どうやらその騎士団員とその貴族令嬢の仲は周知のものだったらしい。


「ああ、ニールセン子爵のご令嬢だな」


「そうなのね。あの2人はお付き合いを?」


「そのようだ」


 特別席からその令嬢は降りていき、花冠を持っている係員からそれを受け取り、3位の騎士団員にかぶせた。それを見て、再びどよめきがあがり、それから会場全体から拍手が生まれる。エーリエはよくわかっていなかったが、人々に合わせて弱弱しく拍手をした。


 そして、2人めのボーエル侯爵は、自分の妻を指名した。人々はどっと笑ったが、それは夫婦仲の良さを「そりゃそうだ!」「侯爵様には美しい奥方がいらっしゃるもんな!」と温かく囃し立てる笑い声だ。


 侯爵夫人もまた、別の特別席から降りていき、係員から花冠を受け取った。そして、愛する夫にそれを被せてから、頬にキスを贈る。ボーエル侯爵もまた、自分の妻の頬、左右にキスをして、わあっと場内が再び沸いた。


(ノエル様は……)


 エーリエは、なんとなくノエルが名指しをするのは聖女だと思っていた。大会が始まる前に貴族令嬢たちが噂をしていた言葉を思い出して、どうにも苛まれる。ああ、あるいは、母親であるユークリッド公爵夫人かもしれない。あるいは……


(もしかしたら案外、わたしが存じ上げない方を、お名指しするかもしれない……)


 それは、なんだか寂しいと思えた。だが、仕方がないとも思う。


(あっ……もしかしたら、それをわたしに見せるために、今日招待されたのかしら……いえ、いいえ、まさか。だってわざわざノエル様がそんな様子をわたしに見せる必要なんてどこにもないんですもの。そんなわけはないわ……)


 なんとなく、気持ちが沈む。エーリエは疲れた体、沈む心に抗うことが出来ず、ぐったりと椅子の背もたれに体を預けた。だが、花冠をつけたノエルの姿は少し見てみたい……そんな風に思った時。


「魔女様!」


「ん?」


「魔女様、呼ばれていますよ!」


「……え?」


 聖女がエーリエの肩を指先で掴み、軽く揺する。


「見てください、魔女様。ノエル様が、こちらを指さしています!」


「ええ……? 聖女様の間違いではないですか……?」


 貴族令嬢であれば、案内役が高らかに呼び上げる。だが、ノエルはエーリエの名を案内役に告げることなく、ただ場内から指を差していた。


 それに驚いて、案内役は「どなたを?」とノエルに尋ねたが、彼は首を横に振って「あの特別席にいる、端に座っている彼女を」と告げ、名前を言わない。


「魔女様ですよ」


 エーリエは「そんなわけが……」ないと言おうとしたが、それを遮るようにユークリッド公爵が「魔女様。息子に花冠をかぶせてあげていただけませんか」と告げる。


 一体何が起きているんだろう。花冠って。だって、花冠は。


『この会場に「お目当て」の方がいらっしゃらなければ……』


 お目当てとは。エーリエは驚いて、その場に固まった。その肩を聖女が掴んで、がくがくと揺する。それを、エーリエはぼんやりと「案外雑な方だわ……」なんて思った。


「魔女様。しっかりなさってください!」


「あのっ、何かの間違いです……そんな……」


「間違いではないです! ここで行かなければ、後から王城に呼ばれて、もっと国王陛下たちが近くにいる状態で花冠をかぶせなくてはいけなくなりますよ!」


 そうは言われても。これだけの数の人々の前で花冠をかぶせるのと、人々は少ないが国王の目の前でかぶせるのと、どちらが良いかと言われてもエーリエは選択することが出来ない。


「さあ、さあ、場内に行きましょう!?」


 そう言って、聖女はエーリエの手を引いて歩き出した。どうも、この聖女は見た印象よりも案外と強引で、前のめりのようだ……ぼんやりとエーリエはそんなことを考えていた。




 エーリエは人々からの視線に耐えかねて、目を伏せて歩く。聖女に手を引いてもらえなければ、きっと場内に彼女は降りることも出来なかっただろう。


 係員が訝し気に「この方でよろしいのですか?」とノエルに尋ね、ノエルが「ああ」と答える。その声だけは聞こえるが、顔をあげることが出来ない。聖女が代わりに花冠を受け取り、それをエーリエに渡した。


「魔女様。わたしが出来ることはここまでです。ノエル様に花冠をかぶせてあげてください」


 おずおずと顔をあげると、そこにはノエルが立っていた。エーリエは、場内の人々の視線を感じて、手が震える。


「エーリエ」


 ノエルが声をかける。そこでようやくエーリエはおずおずと顔をあげた。


「はっ……はい……」


 見れば、当然のように目の前にはノエルが立っている。彼を見て、エーリエは「ああ、かっこいいな……」と思う。やはり、間違っていないのだ。彼は、顔が、姿がかっこよく、所作は美しい。それまで、はっきりと感じ取れていなかったことをエーリエはようやく理解を出来た。ノエルはエーリエに微笑みかける。


「騙すような形で、君を招待したことは謝る。だが、わたしは」


「はいっ……」


「わたしが勝つところを君に見せたかったし、君のおかげでわたしが元気になったところも見せたかったし、そして……どうしても、君から花冠が欲しかったんだ」


「ど、どうして、わたし、から……」


 ノエルの唇が、すっと引き結ばれた。ああ、顔から表情がなくなった、と思った次の瞬間。彼の口から出た言葉は、強い意思を彼女に伝えた。


「君のことが、好きだからだ」


 エーリエは、ノエルのその言葉に息を呑んだ。そんなことは嘘だ……根拠もなくそう言いたくなったが、うまく言葉が出てこない。ばくばくと心臓が高鳴り、エーリエは再び俯く。


 嘘ではない。だって、彼は今まで一度も自分に嘘をついたことがないではないか。でも。だけど。エーリエは混乱をして、目を閉じた。会場がざわついていたが、その声すら既に彼女の耳には届かない。


「君が好きだから、どうしても君から花冠が欲しかったんだ。他の誰でもなく」


 もう一度、ノエルがはっきりと告げた。ああ、まるで風魔法で大きく響いているように感じるその言葉。だが、実際はそうではない。自分の耳の奥だけで、彼の声は大きく響いているのだ。恐る恐るエーリエが彼を見上げれば、彼の頬はかすかに紅潮しており、その目ははっきりと彼女を見ていた。


(ああ、ノエル様の瞳は、綺麗な赤だ……)


 そして、自分の瞳は菫色だと、考えても意味がないことをエーリエは思った。そして、菫色だと教えてくれたのは、ノエルが初めてだった、とも。そんなことを思っていたら、エーリエは少しだけ落ち着いてくる。そこへ、ノエルは微笑みながら彼女に頼む。


「そろそろ、花冠をかぶせてくれるだろうか」


「はい」

 

 エーリエもまた頬を染めて、爪先立ちでノエルの頭に花冠をかぶせた。会場の人々は、口々に「あの女性は誰だ」「貴族令嬢でもないようだ」などと噂をしていたが、花冠をかぶせてもらったノエルが手を高くあげたので、わあっと喝采を送る。


「ありがとう」


 ノエルの礼に対して、エーリエは「おめでとうございます」となんとか言葉を紡ぐことが出来た。


 エーリエは聖女の後ろに隠れるように特別席に戻り、ぐったりと椅子に座る。一体今、自分は何をしたんだろう。一体ノエル様は自分に何を……そんなことを思いながら、彼女は絶え間なく混乱をしていた。


「魔女様、ありがとうございました」


 ユークリッド公爵夫妻に声をかけられて、エーリエはどうしようもなくなって首を横に振った。涙が再び溢れて来て


「わ、わたしなんぞが、ノエル様に花冠をかぶせるなんて、そんな、そんな大役を、させていただき……申し訳ありませんでした……! か、帰ります……!」


 早口でそう言って再び立ち上がる。だが、それをユークリッド公爵が止めた。


「お待ちください。特別席も、あちら側から順番に外に出ることが決まっています」


「あっ、そうなんですか……」


 エーリエはすっかりしょげ返って、椅子に座った。特別席では、エーリエが一体どこの誰なのか、とひそひそと人々が怪訝そうに会話をしている。だが、彼女とユークリッド公爵夫妻が共にいるとわかったようで、公爵公認の相手なのか、などとも。エーリエはそれを否定しなければ、と声をあげようとしたが、うまく言葉が出ない。


 ただ椅子に座って、ひたすら時間が経過するのを待つエーリエ。聖女が気を使ってあれこれと声をかけてくれたが、なんだかやたら疲れた、と思う。


「エーリエ、いるかい?」


 そこに、マールトがやって来た。マールトはユークリッド公爵夫妻に頭を下げ、エーリエに近づいて来る。


「マールト様?」


「君、大丈夫かい? まさか、ノエルがあんなことをするとは思わなかったよ……」


 マールトは心配をして駆けつけてくれたのだ。そのことにエーリエは感謝を感じると共に、やはり「疲れた」と思う。もう誰の声も聴きたくない。早く帰りたい。早く森に帰って家にこもりたい……そんな気持ちで胸がいっぱいになる。


 だが、その反面、ノエルに言われた言葉はずっとエーリエの鼓動を速めており、胸の奥が熱い。その熱さは彼女にとってはこれまでほとんど知らないものだった。疲れているのに、胸の奥が熱くて、なんだか居ても立っても居られない……その自分の状態を彼女は持て余していた。


「大丈夫ではないです……」


「だよね。ノエルは何か言っていた?」


「あのっ……」


 わたしが、好きだと。


 そんな言葉を口に出すことも恥ずかしい。エーリエはかあっと頬を赤らめた。その様子を見たマールトは、聖女に


「ノエルは何を言っていたんだい? フランシェ」


と突然親し気な言葉遣いで声をかけた。剣術大会が始まるまでは、そんな風ではなかったのに……とエーリエは大いに驚いて目を丸くする。


「ノエル様は……そうですね。マールト様がわたしにおっしゃってくださったことのような」


「ええ?」


「君が、好きだと」


「ううーん、それはまいったな……確かに、わたしが君に言ったことと同じだな……」


 エーリエは2人のその会話に更に驚いた。聖女はマールトを見つめてにっこりと微笑んだ。


「わたしも花冠をマールト様にかぶせたいです」


「来年は剣術大会ではなく、馬上の槍試合だからね。その時にお願いしよう。わたしは実は剣より槍の方が得意なんだ」


と返すマールト。


「あっ、あのう、お2人は……」


 そうエーリエがおずおずと尋ねると、マールトと聖女はかすかに恥ずかしそうに、けれども決して隠すことなく微笑む。


「うん。婚約したんだ。つい、数日前にね」


「まあ! おめでとうございます!」


「っていうか、エーリエは本当にこの国の中央の話題に疎いね……」


「うっ、そう言われると、返す言葉もありません……」


 中央の話題どころか城下町の端の話題すら疎い。それに自覚はある。とはいえ、同じ特別席にいた他の貴族令嬢も同様なのだが。エーリエは「うう」と呻いて「疲れました……」と言って、椅子に深く座って瞳を閉じた。ああ、本当に疲れた。なのに、心の奥はいつまでも熱く、高鳴る鼓動は収まらなかった。



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