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20.剣術大会(1)

 翌日、エーリエは買ったばかりのワンピースと靴、そして髪飾りをつけて森を出た。本当は少し寒いため、外套を着ていきたかったが、いつもの茶色の外套は洗ってもなんだかくたびれた印象があったので、腹を括って我慢をした。


 白いワンピースは、勇気を出して買ったものの、まだ一度も袖を通していないものだった。3着買ったうちの2着、若草色のワンピース、生成りのシャツとピンクのスカートは、既に何度か着用している。だが、今日着て来た白いワンピースは「少し、お出かけ着すぎたかもしれない」と思いつつ、それでも気に入ったのだし……と、最後の最後まで悩んだものだった。


「やっぱり少し早い気がするけれど……」


 ノエルから渡された紙には開始は昼過ぎと書いてあったが、それよりだいぶ早い時間を言いつけられた。それを、いささか呑気に「王城よりも遠いぐらいの場所でやるのかもしれないし、入場に時間がかかるのかもしれない」と思って素直に従った。


 森から出て、城下町の端の方。貸馬車屋まで行く手前。そこに行くと、ユークリッド家の馬車が既に彼女を待っていた。馬車の一部に、彼女がノエルから受け取ったリングの紋章が入っていたのでそれに気づいたが、彼女は「どうしよう」と尻込みした。何故ならば、その馬車は、彼女が乗ったことがある貸馬車屋のものに比べてずっと立派だったからだ。馬の毛並みはよく、御者の身なりも良い。そして、馬に引かせているボックスの作りもしっかりしている。


「エーリエ様でございますか」


「はっ、はいっ」


 馬車の中から、一人の年配の女性が降りて来た。一体誰だろう、とエーリエは驚いて身を竦めた。だが、その女性は好意的な笑みを浮かべる。


 人の顔を見るようになってからそう月日が経過していないが、ただ、なんとなくの印象で「優しそうな人だ」とエーリエは思う。その女性はエーリエに頭を下げて名乗った。


「わたくし、ユークリッド公爵家の侍女、ケイトと申します。本日、エーリエ様のお仕度を担当させていただきます」


「え? おしたく……?」


「はい。まず、馬車にお乗りいただけますでしょうか」


「はい……」


 エーリエはおずおずと馬車に乗り込んだ。なんということか。ボックスの中が広い。四人席でもゆったりとしていて、向かい合わせになっても膝も当たらないだろう広さ。


 そして、足元にはいくつかトランクのようなものが積み上がっており、更に、向かいの座面には何枚もの衣類が積み重ねられていた。


「外套をお召しになっていらっしゃらないのですか」


「あっ、はい……」


「なるほど」


 ケイトは座面に座ったエーリエを上から下までじっと見つめる。その目線がどうも落ち着かず、エーリエは小声で「うう」と呻いた。


「失礼いたしました。本日お召しのワンピースの色にあう外套を選ぼうと思いまして」


「えっ?」


「この中では……こちらですね」


 そう言うと、ケイトは座面に積み上げた衣類の中から、薄いサーモンピンクの外套を取り出した。それは柔らかな素材のケープコートで、鎖骨付近で隠しボタンを留めて襟が折り返されているタイプのものだった。


 今日のエーリエは白いワンピースに茶色の短いブーツ、茶色い鞄、そしてピンク色と菫色の装飾が入った髪飾り――これ一つしか持っていないが――を身に着けていた。そう思えば、そのサーモンピンクの外套はなんだか悪くない、とは感じる。


「どうぞ、こちらをお召しになってください」


「えっ、そんな」


「ノエル様から申し使っております。見たところ、エーリエ様のそのお召し物はとても素敵で可愛らしいので、あとは外套だけでよろしいかと」


 その言葉で、エーリエは少しほっとする。自分が着てきたワンピースで大丈夫だと言われた気がしたからだ。それを後押しするように、ケイトは微笑んだ。


「念のためにお着替えをしていただこうかと、いくつかシンプルなドレスをご用意いたしましたが、それは不要だと思いましたので」


「これで、大丈夫でしょうか」


「はい。ただ、もしエーリエ様が貴族のご令嬢のような恰好をなさりたいということでしたら、今からこの馬車はユークリッド公爵家に行って、そこでお着替えをしていただくことになりますが」


「貴族のご令嬢……」


 思い出すのは、訓練所で見た女性たち。彼女たちは美しいドレスを身に纏って、化粧をして、良い匂いを漂わせていた。間違いなく彼女たちは美しかったと思う。だが、自分はああなりたいのかと言われると、それは違う気がする。


(確かに、自分の身なりは薄汚れていて、恥ずかしいと思っていた。でも、わたしにはこれが精いっぱいだし……身の丈にあった服装というものがあるのじゃないかしら。それに、この方が大丈夫だとおっしゃるなら……)


 エーリエは小さくケイトに微笑んだ。


「いえ、わたしはこのワンピースで大丈夫です。そのう、実は少し寒かったので……外套だけお借りしてもよろしいでしょうか」


「はい。勿論です。ですが、この外套はお貸しするのではなく、エーリエ様に差し上げるものです」


「えっ!?」


「さあ、それでは、少しだけお化粧をいたしましょう」


 そう言うと、ケイトは足元に置いていたトランクを開いた。その中にはごろごろと、エーリエが見たことがない小さな瓶やら何やらが入っている。


「エーリエ様は化粧をなされたことは、おありでしょうか?」


「あのっ、あの、わたし……あ、ありません……」


「そうですか。それでは、今日が初めての化粧となるのですね。嬉しいです」


 いや、でも、と、もごもごエーリエが言っていると、ケイトはエーリエが着た外套を「こちらは後で」といって手早く脱がし、さっと彼女の体にカットクロスを巻き付けた。戸惑うエーリエに「白いお召し物が汚れるとよろしくありませんので」とケイトは言い、ここから本当の「お仕度」とやらが始まったのだった。




 マールトは剣術大会の運営側だ。開催前準備はノエルが指揮をしていたが、ここ数日で彼に引き継がれた。剣術大会には、毎年騎士団長から2名が選ばれて参加をすることになっている。今年はノエルと第四騎士団長がそれに該当していた。そして、残った騎士団長は、選ばれた近衛兵や騎士団員と共に、剣術大会の運営にと回ることになっている。また、今年は第一騎士団長が城下町方面の警備をしている。


 参加者の数は過去最大の32人。方式はトーナメント制だ。そして、前座で騎士団候補生たちの試合もある。参加者は既に控室に入っており、マールトはその全員をチェックして会場の受付付近に戻って来たところだった。


「あれっ!? エーリエかい!?」


 マールトは、恐る恐るという様子でやってきたエーリエを見つけた。周辺は多くの貴族たちや、平民であっても王城御用達の商人たち、他に上流階級となんらかの繋がりを持っている者たちでごった返していた。金さえ払えば見ることは出来るので、酔狂な、少し金を持っている平民たちもごろごろといる。


 その中で、エーリエは一歩進んでは一歩下がり、二歩進んでも一歩さがりを繰り返して受付をなかなか出来ない様子だった。それを見て、マールトは申し訳ないと思いつつ「はは」と声をあげて笑った。エーリエはようやくその笑い声でマールトの存在に気付いたようだった。


「あっ、マールト様。こんにちは」


「やあ、今日はすっかりお出かけ用なんだね。よく似合っているよ」


「えっ、あ、ありがとうございます……」


 薄化粧をして、髪を少しだけ結ってもらったエーリエは頬を染める。マールトは彼女の様子を見て「うぅーん」と唸った。


「あの……?」


「ああ、ああ、こっちの話。いや、これはねぇ……うん。とても君は可愛らしい。ノエルに早く見せてあげたいな……ところで、座席はわかるかな?」


「えっと、この番号で……」


 ノエルから受け取った招待状を見せるエーリエ。マールトはぴくりと眉を動かして


「そうか。じゃあ、折角なのでわたしが座席までご案内しよう。こちらへ」


 マールトはそう言って、エーリエを案内した。彼が歩くと、貴族令嬢たちが彼を目で追う。そのことに気付いたのか、なんとなくエーリエは居心地が悪そうな表情を見せた。


(うん。とても今日の彼女は可愛らしい。ノエルめ。何かしやがったんだな……)


 確かに、前回森に行った時に、彼女は新しいワンピースを着用していた。だが、化粧など一切していなかった。それがどうだ。ほんのちょっとだがうっすらと彼女の顔を生かすような化粧が施されている。マールトはそれを察して


(そうか。いつもの格好では、不十分だと思ったのか)


 と理解をした。勿論、そのことをエーリエ自身の口からノエルに言った、ということまでは、彼は考えてはいなかったけれど。


「こちらにどうぞ」


「は、はい」


 会場の中央には大きな広場がある。それをぐるりと囲んで階段状になっている客席は、6つにブロックがわかれていた。そのうちの3つのブロックは少し厚めのクッションが設置されており、それぞれの間に壁で区切られた特別席が3ブロック設けられている。


 そして、更にその上部に、今度は逆に特別席の上にむき出しの客席、むき出しの客席の上に特別席、と2段階にわかれている。王と王妃は、その2段階の上の特別席の一つに来る予定だ。


 沢山の人並みをぬって、ようやく彼女を座席に案内するマールト。


「ここが君の座席だよ」


 そう言って彼がエーリエを連れて行ったのは、下の階層の特別席の一つだった。そこには20人ほどの座席が並んでいて、4人ごとに間が離れている。その席は、むき出しの客席とは違って、背もたれにひじ掛けのついた椅子が並んでいる。エーリエの席は、そのうちの端の一席。その横には、聖女が座っていた。


「あっ、魔女様……です、よね?」


「あっ! 聖女様……?」


「まあ! お隣が魔女様だなんて嬉しいです! わたし、そのう……未だに王城の人たちのことをよく存じ上げていなくて。だから……」


 その彼女の言葉を柔らかく遮るように、マールトが


「ご一緒に観覧していただいてもよろしいでしょうか。聖女様」


と尋ねる。それへ、聖女はぶんぶんと、いささか力強く首を縦に振る。


「はい。はい。勿論です。魔女様、よろしくお願いいたしますね!」


「はい、こちらこそ……」


 戸惑いながらエーリエが返事をすると、マールトは「では、わたしはこれで」とあっさりとその場を離れてしまう。


「あっ、マールト様、ありがとうございます!」


 マールトは振り返らずに、軽く手をあげた。後は聖女に任せた、とばかりに彼は自分の仕事に戻ったのだった。


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