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15.聖女の存在

 さて、それから5日後。ノエルは剣術大会の参加者でありつつも運営側にも携わっており、それらの打ち合わせや騎士団の訓練をしたり、半期の騎士団の活動計画を作ったり、新型の投擲武器の改良に立ち会ったりと、とにかく忙殺されていた。森に行きたいと思っていても、森は城下町を出て更に行く必要があったし、案外と時間が必要だ。


 そんな彼を横目で見ながら、マールトは羅針盤を使って再びエーリエの家にやって来た。今日の彼は、ポーションの取引をするために赴いたわけではない。


「マールト様? こんにちは。どうなさったんですか? あっ、もしかして、何かポーションに失礼が?」


 エーリエの家に行けば、彼女の様子が少し違うように見える。マールトは「あっ」と声を出した。エーリエはその声に驚いて「へっ!?」と身をすくませる。


「ああ、申し訳ない。驚かせるつもりではなかったんだ。服、新しいのかい。可愛いね」


「えっ、えっ、あの、ありがとう、ございます」


 見れば、エーリエは新品の若草色のワンピースを着ていた。城下町の外れにある小さな服屋で購入したそれは、平民が着る服でもそれなりの仕立てのもので、マールトが見ても「まあまあしっかりした服」だと思えた。そして、髪には可愛らしい髪飾りが差し込まれている。


(へえ。こうして見ると、だいぶ可愛らしいものだ。よく見ていなかったが、もしかしたら靴も新しいのかな……)


 衣類を新しくするぐらいの金は手元にあっただろう。毎月の支払いは森暮らしにしては悪くなかったのではないかとマールトは推測した。いや、ポーションを作るのにどれぐらいの材料費がかかっているかはわからないが、彼女はあまり森を出ないと聞いていたし……と彼が止まっていると、エーリエは「マールト様?」と不安そうに声をかけた。


「ああ、ああ、申し訳ない」


「どうなさいました? どこか、具合が悪いのですか?」


「いやいや、大丈夫だよ。えっと、その、今日は実はあまり良い知らせではないんだが……」


「えっ……」


 とはいえ、立ち話もなんだし、とエーリエは彼を家の中に招いた。エーリエは「ちょうどお湯を沸かしたところだったんです」と言って、すぐに厨房から茶器を一式持って来た。それはちょうどよかった、と笑うマールト。


「実は聖女が現れてね」


「まあ! 聖女様というものは、伝説のようなものではなかったんですね。こんな森の中で暮らしていても、一応は聞き及んでおりますが……」


「うん。実際存在したようだよ。先日、王城受け入れの儀式をして、これから聖女をどこに連れて行くのかという話し合いをしているところなんだ」


「聖女様は、ポーションがよく使われる場所に派遣されるとお伺いしたことがありますが、本当にそうなのですか?」


「うん。とはいえ、年中というわけではないんだけどね。多分、この先冬に入る前に、魔獣の森と面した辺境警備の部隊のところに行って、一緒に冬を越してもらって、春になったら王城に戻って来る……そんな感じじゃないかなぁ」


 サーリス王国の四季は極端だ。年は13か月で分かれているが、冬は6か月ほど、春が3か月、そして夏が2か月に秋が2か月で、圧倒的に冬が長い。とはいえ、本当に寒く冷える時期はほんの2か月なのだが、その前後2か月も寒風がよく吹く。


「それでね。これまで、冬用にポーションを多く用意してもらっていたんだけど」


「はい」


「聖女が辺境警備についていくことになりそうなのでね。冬場6か月のポーションの取引量を減らしたいんだ」


「あっ……あ、なるほど」


「それとね。今まで毎月の取引だったんだけど、それも半分に減らして欲しくて」


「えっ」


「そのう、聖女がね……なかなか上質なポーションを作れるんだよね……魔女の才覚もあるのかな? ちょっとよくわからないんだけど……」


 マールトは困ったように言葉を紡ぎ出す。彼の様子を見ながらエーリエは「ああ、きっとこれは、申し訳ない、と思っている表情なのだろう……」と、初めて見る「人の表情」をじっと見つめる。


 これまで、人の表情を見てこなかったエーリエでもわかる。それは「申し訳なさそうな表情」だと。もしかしたら、それは「そう見せたくてわざと見せている」顔なのかもしれないが、それを彼女は判断が出来ない。だが、見ていると自分までしょんぼりとしてしまう、と思う。


 マールトの前に茶を置いて、自分も彼の向かいに座るエーリエ。


「そうなるとね、その、聖女の生活を守るために王城は結構金を出しているのでね。それの回収も必要になるわけで、それ以外に使っている経費も抑えられるところは抑えたいという話で……今まで聖女がいた村に、彼女の代わりになる医師も派遣をしなければいけないし……という言い訳を並べても仕方がない。エーリエ、申し訳ない。君の生活にどれだけ金が必要なのかもわからないが、今後の取引は半分にしていただけないだろうか……」


 マールトはそう言うと立ち上がって、彼女に頭を下げた。ポーションの取引について決めたのも、そうしてしまう聖女を見つけたのも、何をしたのも彼ではないのに。エーリエはそう思って「マールト様、おやめください」と慌てて立ち上がった。彼は「半分にしてもらえないか」と口では言っていたが、拒否権はエーリエにはない。それは、双方ともにわかっていることだった。


「いや、これは一方的すぎる。だが、それを止める力がわたしたちにはない。そして、王城としても、申し訳ないとは思っているんだ。もしかしたら、この先再び取引を復活させる可能性もなくはないんだが、ひとまずは、この条件を飲んでもらうしかなくて……」


「大丈夫です。マールト様。本当に大丈夫ですから」


「だが……」


「お座りになってください。それから、お茶を是非お飲みください」


 そう言ってエーリエは小さく微笑んだ。マールトは「すまない」と言って、再び椅子に座って、静かに彼女に言われるがまま、茶を口にした。


「そうだ。頼んでいた、ノエルに渡す羅針盤はどうなったかな?」


「あっ……は、はい。あの、今……作っているところです……」


「そうなのかい。いつぐらいになるかな?」


「えっと……ら、来週には……」


 それが出来上がったらユークリッド公爵家に持って行く、とエーリエは告げて、話はそれで終わった。


 少しばかり歯切れが悪いな、とマールトは思ったが、きっとポーションのことで彼女は落ち込んでいるのだろう……そう思いながら、彼は帰っていったのだった。




「ああ……ショックだわ……」


 マールトが帰った後に片づけを終え、エーリエはぐったりとテーブルに体を突っ伏した。


 王城からもらうポーションの代金は確かになかなかよく、おかげでエーリエの生活はそれなりに潤ってはいた。だが、それが半分になると話は違う。


 森で越す冬は実に厳しい。秋の終わりに多くの薪を集めておいてもすぐになくなってしまう。魔法を使っても外気の冷気を防ぐほどのことは出来ないので、寒い中再び薪を拾って、それを乾燥させなければいけない。そして、冬の間は彼女が作っている菜園の半分以上は休業だ。寒い中でも育つ野菜は作っているものの、数に限りがある。


 それから、湖の魚たちは湖の底で静かになってしまうので、なかなか獲ることが出来なくなる。よって、冬になると彼女は城下町へ買い物に出る回数が増える。要するに、毎年春から秋までの稼ぎで彼女は冬の準備をして、更に冬の間中の出費を賄わなければいけないのだ。


「うう、でも、まだ秋に入った頃でよかったわ……今年はなんとか……」


 そう思うと。服を買ってしまった自分を少しだけ呪ってしまう。だが、後悔をしても遅い。


(大丈夫。まだお金は大丈夫よ……最悪、少し肉を食べる量を減らして、ああ、冬でも獲れる野菜を今からでも植えられるかしら……)


 ふうーと息を深く吐く。心が重たい。今後、ずっと収入が半分になったままだとしたら。


(わたしも城下町にポーションを売りにいかなければいけないかしら。ああ、ポーションだけじゃなくて、何か……)


 彼女が師事をした魔女に教えてもらったものは、いくつかある。それらを作って売りに行くしかないとエーリエは腹を括った。それから、王城では購入をしないぐらいの、少し効果が落ちるポーションを多く作ろうと思う。安価なものの方が、城下町での売れ行きは良いと聞いたことがあったからだ。


「ああ、それも、冬になれば材料が減るから……今作らなくてはいけないわ……」


 とにかく、明日には城下町に行って足りない材料を買い足して、それから森で薬草などを摘まなければいけない。それは間違いない。そして。


(ノエル様に会いに行かないと……でも……)


 会いに行って、羅針盤を渡して、どうなるのだろうか。彼が以前のようにやってきて、どうするのだろうか。ここで茶を出して、飲んで、それから? それに、これから冬が来る。冬になれば、きっと彼はここに来なくなるだろう……なんとなくそう思う。


(羅針盤をお渡ししてもノエル様がいらっしゃらなかったら……きっと、わたし……)


 寂しいと感じると思う。だが、彼が会いに来ないことはおかしいことではない。寒い中、馬を走らせてここにやってくるなんて。それは、きっとあり得ない。エーリエは無言で小さく首を横に振った。


 先日までは、彼が来たい時に来てもらえるなら、それは嬉しいことだと思っていた。今もそれは間違いないはずなのに、なんとなく心がざわざわとする。自分が彼と会ってどうなるというのだろうか。そんなことまで思う。


 そもそも、自分とノエルの関係は何かと問われたら、自信がある答えを出すことが出来ない。友達なのだろうか。いや、友達ではない。知り合い。そうだ。言葉にすると知り合いなのだろう。


(ただの……知り合いですもの……)


 ああ、なんだか、寂しい。エーリエはテーブルに額をつけて目を閉じた。ずうっと、ここで一人暮らしをして、冬だって何度も越しているのに。なのに、ノエルに会えないことが、とても寂しい。


「もう一度……」


 一人になったようだ。母が亡くなり、先代の魔女が亡くなり。自分がたった一人になった時に感じた虚無感。ああ、寂しい。寂しくなくなっていたのに、とても寂しいと感じていた。


 自分はどうして寂しいと思うのだろう。ずっと一人だったのに。一人の時でも、寂しいと思っていなかったのに。どうして……。


「ああ、駄目な時は駄目ですね……」


 そう小さく呟いて、エーリエは深いため息をつく。それから「それにしても聖女様が現れたなんて、良いことだわ……」と無理矢理「良い」ことを考えようとした。


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