12.ユークリッド公爵家
「やあ、久しぶりだね、エーリエ」
「えっと……あっ、あ、マールト様、です、ね?」
何やら「顔が眩しい」と思うエーリエ。どういうことなのかはよくわからないが、とにかく眩しくて見ていられない。そんな印象を抱く。これはもしかしたら、顔が「整っている」と言うのだろうか。うん、きっとそうだ……エーリエは戸惑いながら彼を見る。
髪の色を見れば、どうやら今日は久しぶりにマールトが来たのだとわかった――久しぶりとも言っていたし――が、彼の顔を初めて見たせいで、エーリエはしばしぽかんとする。
「ああ。そうだよ。しばらくはノエルに代理を頼んでいたんだけど、やっと王城に戻って来られたのでね。また今回からわたしがポーションの受け渡し担当になったので、よろしく」
「あっ、はい、よろしくお願いいたします……」
慌てて頭を下げるエーリエ。マールトはそんな彼女を見ながら
「ノエルじゃなくて、残念だった?」
と尋ねた。一体何を言っているんだろう、という気持ちと、心を覗かれたような気持ちがないまぜになって、エーリエは動揺をした。
「えっ? えっ、いえ、全然、そんなことは、はい……全然そんなことはないです」
「申し訳ない。ポーションの受け渡しは第一、第二騎士団長の役目と決まっていてね……こればかりは、彼に譲ることが出来ないんだ。代理でお願いはしていたんだけど……」
「いえ! いえ! 全然、ぜんぜん……」
そう言いながら、エーリエの声は小さくなっていく。ぜんぜん。全然なんだと言うのだろうか。問題はない。いや、あるような気がする。いや、でも。
「……」
つい、口を引き結んで黙るエーリエ。一体何だろうか、これは。今の自分は何を思っているのか、それがよくわからない。だが、そんな彼女にマールトは気にせず話しかける。
「ノエルから伝言があってね」
「は、はい」
そう言ってマールトは紙をエーリエに渡した。慌ててその紙を開く。
「あっ……」
そこには、少し崩した形の文字ではあったが、十分に読める文字が書いてある。ノエルからのメッセージだった。
『一緒に外出をする約束をしたが、時間がなくそちらに訪問出来なかったし、羅針盤はもうマールトに返さなければいけなかった。もし、出来ることならば、自分が森に訪問をすることが出来る何かを作ってもらえないだろうか。勿論、無理強いはしない』
ぎゅっと心が何かに掴まれたような。そんな気持ちになるエーリエ。よかった。ノエルは、ポーションのやり取りがなくとも、自分に会いに来てくれると言っているのだ。それが、本当に嬉しかったが、一つ問題があった。
「あの、その、羅針盤は……以前の魔女様から受け取ったものなので……それに代わるものを作るのには時間が少しかかりますが……」
「あっ、なんとか出来るんだね?」
「はい」
「じゃあ、念のためにとこれも預かって来たから、受け取って欲しい」
マールトは指輪をエーリエに渡す。見れば、そこには何かの紋章が入っている。だが、エーリエは紋章というものを知らない。よくわからないマークだが、一体なんだろうと訝しそうに見るだけだ。
「これは?」
「ユークリッド公爵家の紋章入りのリングだよ。何か必要があれば使ってくれと言っていた」
ユークリッド公爵家。その言葉にエーリエは目を丸くした。ああ、ノエルは公爵家の子息だったのか、と彼女は初めてそこで理解をしたのだ。マールトはそれをエーリエが知っていたのだと勝手に思い込んでいるのか、話をどんどん続ける。
「羅針盤を作る道具とか材料みたいなもの? そういうのが必要なら、買い物の時にそれを見せると安くしてくれると思う。本人は、城下町に一緒に行くためなのに、一人で買い物に行かせるのは申し訳ないとかなんとかもごもご言っていたけど、よく意味がわからなかったなぁ……」
そうか。マールトには、自分が人の顔を見えないという話をしたことがなかった、とエーリエは思う。だから、どうしてエーリエが一人で城下町に行くことをノエルが嫌がっているのか、心配しているのかを理解できないのだろう。
それにしても、城下町に一緒に行く。その話をノエルがマールトにしたのかと思うと、なんだか恥ずかしく思えて、エーリエは頬をかすかに紅潮させる。
「その羅針盤の代わりのものを作ったら、ユークリッド公爵家に届けに行ったらいいかもしれない」
「わ、わかりました。ええ。マールト様、ありがとうございます」
「うん。これは念のための、ユークリッド公爵家までの地図。貸馬車は知っているかな?」
エーリエは地図を見て何度か瞬いた。地図なんてものを手に入れたことは初めてだったからだ。だが、彼女は聡明で、少し見ただけで「なるほど、建物や通りなどの位置を説明するものなのだ」と理解をした。そして、それはすごいものだ、と少し興奮をした。
「はい。2回ほど乗ったことがあります。城下町の中に何か所かと、この森側の外れにもありますよね?」
「そうだね、じゃあ、何かあっても大丈夫かな。では、今月分のポーションを受け取ろう」
「はい。お待ちください」
エーリエは、リングと地図、そしてノエルからの手紙を両手で抱きかかえ、奥の部屋に入っていった。
あの羅針盤はエーリエを育ててくれた魔女から渡されたもので、エーリエが作ったものではない。なので、一体どういった魔法をかければあんなものが出来るのか、という解析から始まり、いささか時間がかかってしまった。
考えれば、ここ最近新しいことばかりをしていると思う。古代語の勉強をして、自分の呪い返しを解くための術を探したり、人の顔を見られるようになったからと城下町に行ったり、それから羅針盤の代わりになるものを作ったり。
そして、それらの「いつもとは違う」ことをしていると、時間が過ぎるのが早く、また、とても心躍るということをエーリエは知った。それらはここ数年感じなかった感情だ。
「はあ、出来たぁ~! 出来ました。出来ました!」
相変わらずの独り言を連呼してしまうエーリエ。彼女の手の中には、羅針盤のような何か――彼女は金属を加工することも錬金術のようなこともあまり得意ではないのでそのあたりは怪しい――が乗っている。
そう、見た目はよくない。ただ小さな金属板の上に針がある。たったそれだけのものだ。持ち運びが出来るように、小さな箱の中に入れて固定をする。マールトが持っている羅針盤に比べたら相当小さいし雑なものだった。役割はきちんと果たしているはずだが……と、森の外に出て行って、何度か使って「よし!」と頷いた。
「ああ……でも、どうしましょう。マールト様にお会いするまでには、あと二週間もありますし……」
しかし、マールトが言っていたように、城下町に一緒に行く約束を叶えるために、わざわざエーリエがユークリッド公爵家に行くのは話がおかしい気がする。ユークリッド公爵家は王城方面にあるため、城下町をほぼ突っ切っていかなければいけない。
「でも」
なんとかなるのではないかとエーリエは思う。
実は、あれから彼女は一度城下町に行った。それは、肉の貯蔵がなくなってしまったためで、仕方なく城下町の端の方にある店に顔を出したのだ。正直な話、店番の人や数名いた客の顔を見るだけでも情報量が多すぎて、エーリエはものすごく疲れてしまった。おかげで、その日は夕食を食べることも出来ずに眠ってしまったほどだ。だが、疲れた反面、とても彼女は心が浮きたっていたのだ。きっと、少しずつ慣れていくのだろうと思う。
(人の顔が見えるなんて。今までぼんやりとしていたのに、何かがこう、ねじが嚙み合ったような。答え合わせを見ているようだわ)
疲れるけれど、話を長時間しなければ別段問題はないと思うし、ユークリッド公爵家に行くには貸馬車を使うから道中は問題ない。貸馬車屋を以前使ったのは、数年前。森にずっといるばかりではよろしくない、と魔女に言われていたため、数年に一度は「どこかに」行くことにしている。
「ええっと……」
森から城下町の貸馬車屋までは、徒歩で一時間近くかかってしまう。だが、天気も良かったし、のんびりと歩いて来た。普段、彼女はそう遠出はしないけれど、これもまた先代の魔女から「月に数回は森を巡回しなさい」と言われていたので、案外と足には自信がある。勿論、その「森」は、羅針盤でやって来られる「魔女の領域」の中なので、危険はないが、一時間程度ぐるりと辺りを回って来る。彼女には多くの人間関係はなかったが、その分、一人一人との約束やらアドバイスは律儀に守っていたのだ。
貸馬車屋の受付でサインをする。平民の多くは文字を書くことが出来ないので、それだけで「あんたいいところの生まれかい?」と尋ねられた。首を横に振れば「まあ、そうだよなぁ……」と曖昧に返される。どういう意味だろう、と思いつつ、エーリエは特に追及をしなかった。
受付を終えて、並んでいる馬車三台のうち、一台の御者にエーリエは声をかけた。
「あ、あの、ユークリッド公爵家まで、お願いします」
「あんたが?」
「はい」
御者はじろじろとエーリエを見る。不安な気持ちにはなったが、すぐに「乗りな」と言われたので、ほっと一息ついて馬車に乗る。
彼女が座面に腰をかけたかかけないかの状態で、馬車は出発した。なかなか荒っぽい。ガタン、ガタン、と馬車の振動に体が慣れないが、こればかりは仕方がない。地図で見たユークリッド公爵家は、馬車で行けばそう時間もかからないし……と、ボックスの小窓から外を見て気を紛らわせた。
(ノエル様が、公爵家のご令息だったなんて……)
今更、少しだけ怖気づく。森に引きこもってはいるが、彼女は貴族の爵位については多少知っていた。公爵、侯爵、伯爵……いくつあったかすべては覚えていないが、とにかく公爵家はその中でも偉い。その程度の知識ではあったが、それはおおよそ正しい。
(本当にこの指輪で……)
ノエルに会えるのだろうか。マールトから受け取った指輪をポケットの中でぎゅっと握りしめる。それとも、手紙を書けばよかっただろうか。いや、手紙というものを書いたらどうやって出すのかも自分はわからない。ならば、直接行くしかないではないか……。
と、あれこれ考えている間に時間は経過し、馬車は止まった。ボックスのドアを開けて、御者が「着きましたよ。待ちますか?」と尋ねて来た。そうか。来たならば帰りも馬車で帰る必要があるのか……とようやく気付き、待機を依頼する。
「これが、ユークリッド公爵家……」
大きい。城下町にある家をいくつ繋げたらこの大きさになるのだろうかと、エーリエはぽかんと口を開けた。大きい邸宅の外側を、ぐるりと高い塀が囲んでいる。馬車は邪魔にならない場所へ移動をしていき、門の前でエーリエはぽつんと一人になった。そこには、門兵が三人立っている。なるほど、家に出入りをするのもこんなに大仰なのだな、とエーリエは半歩だけ前に進む。
「あの……」
心臓がどくんどくんと激しく高鳴る。自分から人に声をかけることは、店でのやりとり以外にほとんどない。だが、エーリエはなけなしの勇気を出して、門兵に近づいていった。
「何か御用ですか。お嬢さん」
思ったよりも優しい返事に、ほっと胸を押さえるエーリエ。
「こちらは、ユークリッド公爵家でしょうか」
「はい。そうです」
「えっと、ノエル様にお会いしたいのですが……」
「お約束をしていらっしゃいますか?」
「い、いいえ……あの、わたし、エーリエと言います。この指輪をノエル様から頂いているんですけれど……」
そう言って、恐る恐る指輪を茶色の鞄から取り出して見せた。それを見た門兵は目を大きく見開き、もう一人の門兵に声をかける。すると、もう一人の門兵もそれを覗き込み「本物だ」と言った。
「エーリエ様。ノエル様は本日、騎士団の訓練所にいらっしゃいます。馬車で行けばすぐのところですから、もう一度馬車に乗って、この先の2区間行ったところで左に曲がって……ううんと……どう説明したらいいんだ?」
「あっ、あの、わたし、地図を持っています」
そう言って今度はマールトから受け取った地図を広げるエーリエ。ユークリッド公爵家までの地図ではあったが、一応その周辺もそれなりに書き込まれていた。門兵たちは、それを覗いて驚く。
「凄いですね。こんな地図をどこで手にいれたんですか?」
「この地図はマールト様がくださって……あっ、マールト様は、ご存じでしょうか?」
「はい、はい、存じ上げております。そうですか、マールト様から」
ノエルに会いに来た女性が、マールトのことも知っている。彼女は貴族令嬢のような恰好ではなかった。むしろ、どう見ても平民だ。だが、きっと何かあるのだろう……門兵たちは互いに目配せをして「大丈夫だ」と伝えあう
「ああ、ここです。ここに行かれれば、ノエル様とお会いできますよ。今日は一般公開をしている日ですから、特に身分の証明も必要なく訓練所に入れることでしょう」
「わかりました。ありがとうございます!」
エーリエは頭を下げて、少し離れた場所で待っていた馬車に向かって走る。ああ、よかった。門兵の方々は優しい人だった……ほっと胸を撫でおろしつつ、御者に地図を見せ、たどたどしく説明するのだった。