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11.未だ残る痕

「おっ、おい!?」


「ディア・ニーセル・ゴディア・カルテ……リアース・カートル・ヌンス・アリティンク!」


 すると、エーリエは文言を変えつつ、手からその石を湖に投げる。ボチャン、と水面に波紋が広がった。それが、湖の底についたのだろうか。ボン、と耳慣れない音がして、湖の底から突然水面を通過して、空にと白い光の帯が一瞬上がる。


「「!」」


 ノエルの手の平ほどの大きさの光の帯は、湖の水面側からどんどん薄れていって、空気に溶けたように消えていく。


 やがて、しん、と静まり返って何もなかったかのように、湖は元の姿に戻った。なんてことだ。こんな解呪があるのか、とノエルは驚く。


 ノエルは知らなかったが、解呪をして「呪いの気」を石に吸い取らせ、呪いがそこから再び漏れないようにと羽根で石をくるんで水底に投げる。そうすると、水圧で呪いが漏れることを防ぐ――あくまでもたとえの問題なので実際漏れることはほぼないのだが――のだ。そして、光の帯は、それの成功を解呪師に伝える狼煙のようなものらしい。


 実は、この森の湖は「そういうこと」に適した湖なのだと言う。湖の底には、解呪の石は勿論のこと、他にも魔法を唱える際に必要とされた媒体や、使い切ったものを供養するために沈められている。広い湖だが、その底には多くの魔力の残滓が漂い、そして、それらは湖の水で浄化する。そんなことをエーリエの4代ほど前の魔女の日記で読んだらしい。なので、湖畔に家を建てたという経緯がある。解呪は魔女の仕事でもないが。


「……ふう、ふう……」


 エーリエは膝を折って体を前に丸めて、息を荒くついている。そこへ、ノエルは声をかけた。


「エーリエ……湖に投げるなら、どうして最初から外でやらなかったんだ……?」


「ええっ!? あっ、そっ、そうです、そうですね!? いえ、違います、薬草が燃えると書いてあったので、燃えたら大変だと思ってですね……ああ、何にせよ、無事に……」


 まだ涙が浮かぶ目をこすって、後ろを振り返るエーリエ。すると、彼女はぴたりと動きを止めて、何度も瞬きをする。


「あ……」


「エーリエ?」


「あ、あ、あ……! わ、わたし……わたし、見える……見えます……! ノエル様のお顔が見えますっ……」


「!」


 そう言われたノエルは自分が仮面を外していることに気付いて、顔を背けて手で隠した。


「そう、そうか。も、もう見ないでくれ」


「どうしてですか? 何もおかしいことはないと思うのですが……」


「いや……君は、今初めて人の顔を見たのだからわからないのかもしれないが……普通の人間は、顔にわたしのような赤い線のような……亀裂のような……蜘蛛の巣のような痣はないのだ……」


 そう言うノエルを見るエーリエは、きょとんとした表情だ。彼は大きな手で顔の上側を隠しながら後ずさった。


「赤い線……? 何も、ありませんが……」


「今は手で隠しているから……」


「いいえ、いいえ、先ほど、きちんとお顔を拝見しましたが……赤い線? 亀裂のような……? 何もありませんよ……? あざ……?」


 エーリエは心底困惑した表情でノエルを見る。どうやら彼女の言葉は嘘ではないようだ。ノエルは少しずつ落ち着いてきて、彼女に「鏡はあるだろうか」と尋ねた。


 二人は家に戻り、エーリエは彼をもうひとつの部屋に案内をした。そこは、エーリエが眠っている部屋らしく、起きてそこで着替えるようで姿見があった。ノエルは、その鏡に映る自分の顔を見て、大いに驚く。


「どういうことだ……わたしの……呪いの痕も消えている……?」


「ねっ、何もありませんよね? ノエル様が気にしていらしたのは、呪いの痕だったんでしょうか? もしかしたら、痕じゃなくて呪いが残っていたのかもしれません。一緒に解呪されたんですね」


 エーリエはそう言いながら、ひょい、とノエルの横から姿見を覗き込む。彼女は、自分の呪いが解呪されたことに心が湧きたっていて、自分の母親が解呪した「男の子」がノエルだとは思いもしない様子だった。


「まあ、わたし、こんな顔をしていたのですね。なるほど、なるほど……本当ですね。ノエル様がおっしゃってくださったように、菫色の目をしていたんですねぇ……」


 しきりに頷いて、エーリエは鏡面が曇るほど顔を近づけた。どうやら、自分の瞳を観察しているようだ。


「凄いです。人間の目というものは、白い部分があって、それから中央が色づいているんですね? うわぁ、よく見るとなんだか気持ちが悪いです。わあ、わあ、そのう、もしかしてわたし、これ……ええっと、これは、まつ毛ですね。まつ毛! 名前は知っているんです。ええ、名前だけ……そして、その上にあるこれ……これは、なんですか? あっ、眉と言うのですか……あまり気にしたことがなかったけれど、確かに、ここに毛が生えていましたね……これは細いでしょうか? ノエル様と比べて……何か食べ物が足りないのかしら……」


「食べ物ではない」


 ノエルは呑気な彼女の言動がおかしかったようで、声もなく笑った。


「わたしは男性だからか、少し眉が太いだけだ。君は、女性らしい可愛らしい顔立ちなので、それぐらいの眉でまったくおかしくない」


「可愛らしい……?」


「い、一般的に、見て、だ……」


 つい。つい口にしてしまったその言葉。ノエルは慌てて、よくわからない言い訳をする。だが、エーリエはそれを素直に信じて、鏡を覗いて感心しながら尋ねた。


「一般的に見て、可愛らしい……? ああ、人の顔を、可愛い、とか、可愛くない、とか判断なさるんですね? そのう、よくわからないのですが、ノエル様のお顔は、可愛いのでしょうか……?」


「わたしが、可愛い!?」


「はっ、はい……あっ、何かわたし、おかしいことを言いました……?」


 ノエルは、はあ、とため息をついた。


「可愛いと言う言葉は、その、おおよそ女性に対してや、子供に対して使うものかな。わたしのような年齢の男性には使わない」


「あっ、そうなんですね。えっと、ノエル様は、おいくつなのでしょうか? わ、わたし、人の顔を見て、そのう、年齢を判断出来なくて……」


「ああ、なるほど……わたしは24歳だ」


「ありがとうございます。勉強になりました」


 そう言って、エーリエは頬を紅潮させる。口の端がきゅっと吊り上がり、見るからに彼女は嬉しそうににこにこと笑う。


 それはそうだ。これまでずっと見えなかったもの、人の顔が見えて。自分の顔が見えて。彼女は、ようやく目が開いた子供と言っても差し支えがない。嬉しいに決まっている。


 そして、だから彼女は人の顔のことがよくわからないのだとも思う。きっとこれから、人の顔というものはみな違うのだと理解をして、髪色と同じく目の色も違う。目の形も、眉の形、鼻も口も違うことを理解するに違いない。そして、その顔に浮かぶ感情を学んでいくのだろう。


 ノエルはしばらく、鏡を覗きこんで、まつげの長さを見たり、口を開けたり閉じたりしているエーリエを見ていた。大きく口を開けて、喉の奥まで見ているエーリエは少し間抜けで、ノエルは「そう口を大きく開けるもんじゃない」とかすかに笑いながら言った。


 それから、彼女は「あっ!」と声をあげて、ロケットペンダントのトップを開けた。それをしみじみ覗き込んで、ふわりと微笑む。


「まあ、ノエル様。わたし、母の顔を見ることが出来ました! こんな顔をしていたのですね……本当に……本当に嬉しい……」


 そう言って、彼女は再びロケットを閉め、ぎゅっと両手でそれを胸元で抱きかかえた。彼女が喜びをしみじみと噛み締めているのだろう。瞳を閉じた彼女の目の端に涙が浮かぶ。どれほど嬉しいのだろうか。これまでの19年間、一度足りと人の顔を見られず、そして母親の顔も見られないまま、亡くしてしまって。今、ようやくすべてを見られるようになって、彼女の世界はまるで色づいたのではないかと思える。ノエルが、一年間の暗い世界を終えて、眩しい光の中で目を開けた時のように。


 エーリエを見ていると、自分の顔にあった呪いの痕が消えたことなぞ、どうでも良いことのように思える。勿論ノエルはそれを嬉しく思ったけれど、それよりも何よりも、彼女の呪いが解けたことの方が彼には大切なことだったのだ。


(これから、彼女は今まで行くことがなかった城下町に行って、人々と会話をすることも出来る。きっと彼女の世界は広がっていくのだろう……)


 だが、彼女がたった一人で城下町を歩くことを考えると、いささかノエルは不安な気持ちになる。気をつけろ、と言いたいが、彼女には何をどう気を付けたら良いのか、どこからどこまで話をすれば良いのかと悩ましい。ノエルは、彼女が泣き止んだ頃、少し悩みつつも提案をした。


「エーリエ。君さえ良ければ、今度、城下町に一緒に行かないか。君が普段は行かない中央の方、人がたくさんいる場所に」


「えっ」


「どうだろうか」


「い、いいんですか……その……一人で行こうかと思ったんですが……なんとなく、ええ、なんとなく不安で……でも、ノエル様がご一緒してくださるなら、心強いです」


「そうか」


 エーリエは嬉しそうに笑った。ノエルも、僅かに口の端をあげて微笑む。それを見たエーリエは「それは、笑っていらっしゃるのですね。そうですか。笑うとそんなお顔になるんですね!」としみじみと言い、ノエルは「いや、違う……」と困惑の表情を浮かべた。




「すべては解呪されなかったのか」


 公爵家の自室。ノエルは姿見の前で自分の服をめくって、胸から腹部に向かって残っている赤い痕をそっと手で触れた。そして、背中。腰のあたりから肩甲骨付近まで、やはり赤い痕は残ったままだった。袖をめくる。腕にあった痕はなくなっていたし、足も同じくほとんど消えていた。


 エーリエが呪文を唱えている間に、黒い何かが自分の体からも出ているような気がしていたが、確かにそれはまだ出ている「途中」だったのだろう。


(だが、わたしから出ていた黒い霧のようなものは細かった……広く、浅く、残っていたということなんだろうか)


 それでも、顔から痕がすべて消えたことはありがたい。これで、仮面をつけなくても済むのかと思えば、彼はほっと安堵の息を再び漏らした。


 公爵家に戻った彼を見た、彼の義理の両親、そして使用人たちは、彼の顔からすっかり呪いの痕――実際は呪いそのものの残滓のようなものだったが――が消えたことを皆が喜んでくれた。彼は、それにうまく対応が出来なかったが、それでも人々が喜んでくれたこと、自分が喜んでもらえる存在であることが嬉しかった。


「今となっては、本当にわたしの呪いを解いたのがエーリエの母親だったのかは……」


 わからない。相変わらず調べても、解呪師を呼んだ時の情報が見つからないからだ。もしかしたら、王城に当時いた自分の世話をしていた者たちなら、憶えているかもしれないが……。


(そちら方面で調べてみるか。誰もわからないと言っても、それでもやらないよりは良いだろう)


 それがわかったところで、どうにもならない。だが、もしも本当にそうならば、少なくともエーリエに改めて謝罪をしなければいけないと思う。そう、エーリエに……


「ああ……そうだな」


  自分の顔が見えて、最初にきょとんとしていたエーリエの表情を思い出し、ノエルは「くっ」と小さく笑った。彼女は自分自身の顔を見て、どう思ったのだろうか。食い入るように姿見を見ていた様子もとても可愛らしかったな……など思う。


 そして、仮面をとった彼にも。そうだ。顔が見えるようになった後でも、彼女は相変わらず、穏やかな笑みを見せてくれた。彼女が何か変わってしまうのではないかと少し思っていたが、そんなことはなかった。エーリエはエーリエで、何も変わらない。そのことは、ノエルにとって非常に喜ばしいことだった。


(ああ、そうだ。城下町に行こうと約束をしたが……)


 自分は羅針盤をマールトに渡さなければいけない。その前にもう一度訪問して、話をしなければ。


 そう考えたノエルだったが、彼はこれから少し先に催される剣術大会の運営や、騎士団の演習、それから第三騎士団のみの集中合宿などで忙しくなり、それからすぐには森に足を運べなくなってしまう。残念なことにまだ彼はそれを知らず、呪いが消えた顔を鏡でしみじみと見て、少しだけ気分を高揚させていた。


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