10.解呪
(もうすぐマールトが帰って来る)
三ヶ月はあっという間だ。そうすれば、羅針盤をマールトに返して、ポーションのやり取りは彼が再び行わなければいけない。それは、残念ながら「そう決まっている」のだ。
だが、それをノエルは「嫌だ」と素直に思った。
(もう少し、彼女と……)
彼女と、話をしたい。彼女と、一緒にいたい。そんな感情が湧き上がってくる。それに、つい先日森に足を運んだ時、今回が最後かもしれない、と話をすることを忘れてしまった。それほど、あの家にいる時間は穏やかで優しく、いつも心が満たされてしまうのだ。
(彼女にはこの顔に残る痕どころか、俺の顔自体が見えないし、仮面も何の意味もない。だから……)
そして、彼を見て囁く貴族たちや城下町の人々の噂話も知らない。そんな彼女との話はそう多くはなかったが、僅かな時間でも彼にとっては新鮮で心地よかった。彼女が淹れる茶はいつも美味かった。焼き菓子も美味かった。おかげで、たとえば会話が弾まなくとも、彼女と共にいることは苦痛ではなかった。
黙って一緒にいてもそれが心地よい。あの菫色の瞳がこちらを見ていても本当は自分の顔なぞ見えず、けれども微笑んでいる姿はなんだかほっとする。
しかし、反面彼女が産まれ持った呪いが自分のせいだとしたら。それはどう償えば良いのかわからない。いや、きっと彼女にその話をしても過去は過去だと言うだろう。彼女の母親は呪いを解いた。そして、それに対して王城は金を高額出したはずだったのだし。わかっていたことだから良い、と彼女は言うのではないか。
それでは、自分の気が収まらない。だって、いくら彼女の母親が解呪をしたからといって、その時にまだ生まれていなかった彼女にまで影響があるなんて。そんな馬鹿なことがあって良いわけがない。
ノエルは、それが本当なのかどうかを確かめるため、王城の過去の記録を時々見にいっている。どこの誰が出入りをしたのかを調べようとしているのだが、いくらなんでも20年近く前のことだ。ここ10年のものは整理をされているが、それ以前のものはもうすぐ処分をするとかなんとかで、ごみの山のようになっており、日時順になっていたものがバラバラにされていた。そこから探し出すのは至難の業と言えたが、処分を待ってもらって今調べている。
(マールトにポーションの担当を譲ってもらえないか、相談をしよう……)
そう心に決めて、ノエルは王城に赴く。まず、彼は久しぶりに王城に帰還をした王妃と第二騎士団を迎え入れる儀式に出席した。それが終わってから、疲れているだろうことは承知の上だったが、ノエルはマールトに声をかけた。
「マールト」
「ああ、ノエル。久しぶりだな」
「無事戻れてよかった」
「うん。ありがとう」
マールトはそう言って拳をそっと突き出す。ノエルはそれへ軽く拳を合わせた。
「羅針盤を返さなければいけないのだが……」
「あ、そうだ。ちゃんと魔女の家に行けたかい?」
「ああ、それで……」
それで。そこでノエルの声は止まる。ポーション受け取りの担当を代わってくれ? 何故そんなことを言うのだと聞かれたら、自分は何と答えればいいのだろう。今更ながらなんだか恥ずかしく思えて、口を噤む。
彼女といる時間が心地よいから。理由にそんな言葉しか出てこない。いや、その言葉がすべてだ。すべてだが、そんな言葉をマールトに伝えることは照れくさいし、何より、騎士団長の務めをそんな言葉で交代してもらえると思っていた自分が浅はかだ、と突然気付く。
(駄目だ。一体自分は何を……)
そう思って言葉を選んでいると、思いもよらないことをマールトが言い出した。
「悪いんだけど、次回のポーション受け取りまで頼んでいいかな?」
「えっ?」
「ちょうど来週、うちの家門の集まりがあって休暇をもらっているんだ。だから、そこまではノエルに頼みたいんだけど……無理か?」
「あ、ああ、いや、大丈夫だ」
「そうか。よかった」
ノエルはほっとした表情をマールトに向ける。仮面を被っていても、マールトはそれに気づいたようで「何? なんで君、ちょっと嬉しそうなんだい……?」と尋ねたが、ノエルはそれに答えなかった。
数日後、ノエルはエーリエの家にポーションを受け取りに行った。今日は、家の外に彼女は出ていないようだったので、玄関のドアを叩いて声をかける。だが、返事がない。
「留守、ということは、ない、よな?」
彼女はほんの時々城下町のはずれの店に行くと言っていた。が、まさかそれが今日だったのか……何度かノックをしても返事がない。焦れて扉を開けると、どうやら奥の部屋にエーリエはいるようだ。何かの声がぶつぶつと聞こえる。
「エーリエ」
それでも、返事がない。ノエルは声を大きく張り上げた。
「エーリエ!」
「ひゃっ!? ……あっ、あ、あ、あ、はいっ、はい、はい!」
声をあげ、驚いた様子でエーリエは奥の部屋から出てくる。まるで初めてのものを見るような表情で、何度も瞬いてノエルを見る。その様子がおかしかったが、ノエルはなんとか笑いを堪えた。
「あっ、いらっしゃい、ませ……ごめんなさい。集中していて、聞こえていなくて……」
「集中? 何に?」
「あっ、あの……呪い返しを、解く方法が見つかったんです……! そ、それで、それを行う準備をしていて……」
「!」
エーリエが言うには、古代語の書物の中に呪いについて書かれていたものがあったのだと言う。埃をかぶっていた書物を、ノエルから借りた辞書や相対表を基に少しずつ読み進めて行って、6冊目でたどり着いたのだと言う。
それを聞いてノエルは大いに驚いた。6冊? 辞書などを貸したのは、ほんの二週間前だというのに、もう書物を6冊も? と舌を巻く。だが、彼女はそれがすごいことだとはこれっぽっちも思っていない様子だ。
「呪いには、解呪師でなければ解けないものと、魔力を持っていればなんとかなるものがあるようで……これは、魔力を持っていればなんとかなるのですが、材料を集めることが難しいタイプのもののようでした。まあまあ幸運です」
エーリエの話によると、この家には先代どころかその前、更にその前の、またまたその前、ずっと長きにわたって魔女たちが集めて来た様々なものに保存魔法がかかっているのだと言う。エーリエや先代魔女にはまったく使い道がわからなかったようなもの。その中に、該当する材料が含まれていたということだ。
「この国では今は手に入らないものもあって……でも、さっきちょうど過去の魔女様たちのコレクションから運よく少しだけ見つけたんです。だから……」
そこまで説明をして、エーリエは「はっ」と何かを思いついたようにノエルを見た。
「ノエル様! あのっ……お願いがあるんですけど」
「なんだ?」
「その、わ、わたし、が解呪をするのを見ていてもらえませんか? それで、そのう、解呪が本当にされたのか、お顔を見せていただくことは出来ないでしょうか。あっ、仮面はとらなくても大丈夫ですからっ……」
エーリエはそう言いながら上目遣いでノエルを見る。顔が見えなくとも、仮面にある目と目を合わせようとしている様子を健気に思う。
そうは言っても、自分の顔を鏡で映して見て、例のロケットの肖像画を見れば良いのではないか……そうノエルは思った。だが、彼も解呪については興味があったし、何よりも彼女が「見える」ようになる場に立ち会ってみたいと思う。正直なところ、少しだけ彼は安心をしたかったのだ。過去のこととはいえ、自分のせいで発生した呪いだ。それが解かれることは望ましい。
仮面をとらなくても良いのならば、とノエルが「わかった」と返すと、エーリエは嬉しそうに礼を言った。
ノエルは奥の部屋に通された。部屋の真ん中には大きいテーブルがドン、と置いてあり、その上には様々な道具が散らばっている。周囲を見れば、何やら多くの薬草が瓶の中に入って並んでいるし、よくわからない容器がずらりと床の上、棚の上に大量にある。また、とんでもない量の書物が積みあがってもいた。
その中央のテーブルに様々な薬草やら、よくわからない石、よくわからない羽根などを並べ、エーリエは一つずつ書物と照らし合わせる。何度も念入りに確認をして「うん」と頷いた彼女の表情は、それまで見たことがない真剣なものだった。
書物をパタン、と閉じて椅子の上に置き、彼女はテーブルに向かった。
「実は、あまり呪文を唱えることが得意ではないんです……」
「呪文を唱えることに、得意や不得意があるのか?」
ノエルは不思議そうに尋ねた。それへ、エーリエは目線をテーブルに向けたまま答える。
「はい。呪文は言葉ではありますが、その言葉に魔力を共に乗せて、唱えることによって術を編み上げると言いますか……すごい魔女ともなれば、無詠唱でそれを完成しますが、とてもわたしには……わたしはあまり魔力が多くないですし、長い呪文は苦手です」
「そうか……」
「でも、頑張ります」
そう言って、エーリエはそっと背後のノエルを振り返って、柔らかい笑みを見せた。だが、彼女の手がかすかに震えていることにノエルは気付いた。彼は「失敗しても、何度でもやれば良いのでは」と言いそうになったが、寸でのところでそれを止めた。いいや、違う。何度もは出来ないのだ。だって、彼女はさっき「過去の魔女様たちのコレクションから運よく少しだけ見つけた」と言っていた。その「少し」がどれぐらいのものかはノエルにはわからなかったが、少なくとも彼女はこの1回で成功をしたいのだろうと思った。
「それでは、始めます」
彼女の斜め後ろでノエルは「ああ」と言葉を返す。エーリエは、深呼吸を数回した。
「カートル・ヘーナ・モンフィーナ・ガレアント・リーゼル・ヘラッテ」
意味が分からない文言。それは古代語なのだが、ノエルにはよくわからない。唱えながら、エーリエは手のひらで円をかくように机上に置かれた薬草を撫でる。一度では何も起きなかったが、それを繰り返し呟くと、突然、薬草がボウッと火を吹いた。ノエルは「危ない……」と言ったが、薬草が燃えている炎は青白く、しかも、机や他のものに燃え広がらない。これは、魔法の一種なのだろうか、とノエルはごくりと唾を飲み込む。
「カートル・ヘーナ・モンフィーナ・ガレアント・リーゼル・ヘラッテ」
何回目だろうか。同じ文言を繰り返し続けると、燃えている薬草の青い炎が大きくなる。ぼうっと大きく燃えたかと思えば、薬草を中心にして円状の炎になり、なんとそれは空中に浮かぶ。
予想外のことで、それに目が釘付けになるノエル。次に、こうこうと明るく燃えるそれから、白い煙が大量に出て来た。薬草は炎の核となっているだけで、まったく燃え落ちる気配もなく、その形のままを維持して空中に浮かんでいた。
「うっ……」
呻くノエル。煙が少し目に染みる。仮面をしても見えるようになっているから、少しは目をこすれる。だが、徐々にそれは少しなんてものではなくなっていく。困った。ごしごしと強くこすりたい。ノエルは何度も何度も瞬きをしながら、涙目になった。これでは、最後まできちんと見届けられないのでは。そう思って、彼は仕方なく仮面を外す。煙の匂いは何もしないのに、何故か目にしみる。
「おい、これは煙が出て大丈夫なものなのか?」
そう尋ねたが、エーリエの方はそれどころではない。
「うう……カートル・ヘーナ・モンフィーナ……」
エーリエもまた、目から涙をボロボロ流していたが、文言を繰り返し続けている。もう、10回以上その文言を繰り返しているのではないか。一体それにどんな意味があるのか……そう思いながらノエルは手でごしごしと目をこする。と、その時、白い煙に混じってごっそりと黒い煙がまるで塊のように漂い始めた。よく見れば、それはエーリエの体から発されているように見えた。
(あれが、エーリエの呪いか何かなのか? だが、わたしの前にも、何か、黒い煙が……)
よく見ると、エーリエの体から出て来た黒い煙に比べれば、細い上に少量だが、ノエルからも黒い煙のようなものが出ているように思う。そして、それは、机上の石に吸い込まれていく。
「カートル・ヘーナ……!! ディア・ニーセル・ゴティア・カルテ……」
エーリエが唱える文言が変化をした。青く光っていた炎は消え、薬草は燃えかすになってぽとりと落ちた。そして、エーリエの体から出て行った黒い煙の塊、それのほとんどが石に吸収された、と思えた瞬間、彼女はその横にあった羽根でその石を覆うと、手早く麻紐でそれを縛った。そして、ボロボロ泣きながら彼女はそれを持って、慌てて家から出ていく。一体何が起きたのか、とノエルは目をこすりながら彼女の背を追った。