偏愛事情
◇トーリー子爵邸◇
ナリアを売っぱらったトーリー家の面々は、それにより得た多額の金貨で、毎日贅沢な暮らしをしていた。
使えば金はなくなる。
そんな当たり前のことすら、皆忘れていた。
子爵夫人、すなわちナリアの母モナも、久々にドレスを買い、パーティへと出かける。
金髪碧眼のモナは、その容姿ゆえ、独身時代は異性にちやほやされていた。
現在のトーリー子爵、ガラリス・トーリーとの結婚は、貴族同士の政略によるものとはいえ、ガラリスは美しいモナに心底惚れていた。
長女のイアンナも、モナに似た整った容姿で生れ落ち、モナも子爵も溺愛して育て始めた頃。
「嫡男は、まだか」
先代子爵は一言は、モナに冷水を浴びせた。
産後すぐに、二人目の子作りを開始したが、モナは体力が追いつかず、時折ガラリスを拒否もした。
ようやく生まれたのは、やはり女児。
しかもモナが嫌う、舅と同じ髪の色を持っている。
「女腹か」
モナは舅に殺意を抱く。
もちろん叶うはずもなく、モナの行き場のない憤りは、二番目の娘に向かう。
モナが荒れると、寝室から追い出されるガラリスは、極力モナに逆らわないようになる。
モナが二番目の娘に愛情を見せない以上、ガラリスもそれに倣う。
子爵夫妻の長女偏愛は、こうして始まった。
育児を放棄されたナリアは、しばらくの間、モナの実家の男爵家で、育てられたのである。
本日のパーティは、アポエマ伯鄭で開催される。
ご婦人たちの、午後のお茶会である。
最新のドレスを纏い、足取り軽く会場に入ったモナであった。
しかし……。
「あら、トーリー夫人たら。王都で流行のドレスですわね」
「んまあ! 身分不相応のお値段ではなくて?」
「昔の柳腰であればともかく、ねえ……」
会場で囁かれる、モナへの陰口を耳にした彼女は、真っ赤な顔になる。
「だって……」
「ほら……」
「売ったって」
「売ったのよ」
「何を売ったの?」
「娘よ。かわいそうに……」
ひそひそと。
されどモナには確実に聞こえる音量で、出席者の非難は続く。
いたたまれずに、モナは走る。
なんで!
どうしてみんな、知っているの?
でも良いじゃない! 本人が望んで行ったのよ!
それくらい良いじゃない!
あんなの、私の娘じゃないわ!
泣きながら邸へ戻ったモナは、夫ガラリスの部屋へ飛び込む。
「ひどいわひどいわ! みんなが私のことを非難するの!」
「お、落ち着けモナ。何があった?」
モナはパーティでの出来事を語る。
ガラリスは顔をしかめる。
密約のはずだ。
侯爵家に娘の初夜を売ったことは。
まさか!
侯爵が、裏切った?
「きっと、ナリアよ」
「え?」
「ナリアがあちこちに、言いふらしているのよ!」
「ま、まさか、そんな……」
「絶対そうよ!」
ナリアの顔を思い浮かべると、憎い舅の顔と重なる。
モナはぶるぶる震えながら、夫に縋りつく。
「無理もうダメ! 死ねば、死ねば良い! あんな娘」
冷静に考えれば、行く宛てのない低位貴族の令嬢が、己の不利になるようなことを、言いふらしたりするはずがない。
だが、モナはナリアのことになると、冷静さがなくなる。
そしてガラリスもまた、モナに引き摺られてしまうのだ。
「分かった分かった。三ヶ月後にアイツは帰って来る。そしたら、お前の好きなようにすればいいから、な」
今までなら。
きっとモナの望み通りになっただろう。
だが、ナリアは時計の針を逆回転させるという能力を、育み始めていた。
ナリアの持つ異能力を、子爵夫妻はまだ知らない。
◇ターナー侯爵邸◇
侯爵家の家令ラケスは、手駒の一人が仕掛けた成果に、ほくそ笑んでいた。
手駒の名は「お喋り雀」という。
一定方向へ世論を誘導するような、噂を広める役目を持つ。
「うわあ、見るからに悪人面だ、ウチの家令」
ディミトリスが言う。
「何をおっしゃる。我が侯爵邸でお預かりしている令嬢を守るため、必死に尽力しているわたしに、つれない御言葉ですな」
「ナリア嬢はどうしてる?」
「メイド服着て、掃除と洗濯してました」
ナリアのメイド服姿を想像したディミトリスは、ちょっと顔を赤らめる。
「変な想像してないで、次の一手を考えて下さいよ、侯爵」
「ああ、考えているさ。次の標的は、イアンナ・トーリーだ」
ナリアの能力は、どこで得たものでしょうか。
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週3回くらい、更新予定です。