第8話 昨日の約束
「どうして約束を破ったの?」
…私は答えなかった。「お前を忘れるため」の一言を言うことができなかった。
「聞いてるの?私、森の中を逃げているのが卿だって気付いたとき、本当に心臓が止まりそうになったんだから。」
沈黙。私はアムリタと一切の交わりを断つことにしていた。一日も経たずして、男を虜にしてしまうその妖にも似た力を恐れた。
「しらばっくれるっていう気?この森を抜けたらちゃんと説明してもらうからね!」
アムリタは獣道を突き進む。
密林の中は野生の生き物も多い。
アムリタの姿はその森の中に一切の澱みもなく溶け込んでいる。
簡単に結われた緑の髪、するりと流れて草木にも絡まることはない。
筋の付いた足、さながら獣のように軽快な足取りで森を突き進む。
「あいつらは、昨日俺たちが見た奴らってことで間違いないんだな。」
私は沈黙を破った。
アムリタはこちらを見ることなくひたすら森を突き進む。
「…ええ。でも卿には関係ないことよ。私の目的は彼らを倒すことでもなければ、追い出すことでもない。それは昨日あなたに説明したはずよ。」
「なら、お前はどうしてこの森に居たんだ?」
「嫌な予感がしたのよ。予想的中ってわけ。案の定、あなたが襲われていたからね。」
「…助けに来てくれたのか?」
アムリタは歩きながら振り返る。
「違うわ、でも…結果的には、そういうことになるわね。」
「じゃあ、なんで来たんだ。結果じゃなくて、その要因を聞いているんだ。」
「さっきも言ったでしょう、卿には関係ないことなの。」
「じゃあ、俺だって今日ここに来た理由は言えない。お前には関係ないことだからな。」
「嫌な人。」
アムリタはぷぃと顔を前に向け直した。
街に戻った我々は、市場の縁台に腰を掛けた。
「にしても、よく真っ昼間からそんな格好で出歩けるな。」
私はアムリタの服装を注意した。
二枚の布でできた服。
一枚は胸に当てられて、そのまま巻きつけられている。
もう一枚も腰回りに簡単に巻いただけであった。
「お前のような高貴な女が、こう肌を見せるのはあまり良くないことだと思わないのか?」
「え?私が高貴?」
驚いたような口ぶりである。
「卿は私が高貴だと思ったの?なんで??」
私は溜息を吐いた。
「なんでも何も、初めて会ったとき、如何にも王侯様ですぞ、といった格好をしていたじゃないか。あまり俺を馬鹿にするなよ。」
キョトンとした顔でアムリタは私を見上げた。
「それって、私の格好が綺麗だったってこと?」
口の端から笑みが溢れている。つられて私の口角も上がりかねない。
「…綺麗というか、その、うん。美しかったな。」
アムリタは顔いっぱいに笑顔を作った。
「やったー!卿に褒めてもらえた!」
大きな市場全体に届く声で叫びだした。
私はまたしても度肝を抜かれた。
(この女はどうしていつもこう目立つことをするのか...)
私は決まりが悪くなってアムリタの手を取って、路地の方へと向かって行った。