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第1話 朝陽の詩

ナールガモンの虚空に昇る朝陽に私は目を遣った。ここに昇った陽はこれまでどれほど多くの人の悲しみを照らし、同時にどれほど多くの人の不幸を映してきたのか。そんなことを私は考えた。手元にある梵字を祖国の言葉に移し替えていく、それが私の目に映された作業であり、私が作すべき仕事であった。

(ワン)老師、失礼します」

戸を叩く我が弟子の声が聞こえた。東方より遠路遥々やって来た私の一番弟子、「陽潜(ようせん)」である。私は彼に部屋の中に入るよう言った。


彼は部屋に入り、私の前に座した。


「王老師、今日も朝はお早いですね。私とて一時間ほど前にはっと目を覚ましてしまいました。それはともかく、先日言われていた例の讃歌集、準備ができました。」

その言葉に私は肯いた。彼の手には漢語で「朝陽的讃歌集」と記された巻物があった。私はそれを受け取って、巻を開く。


「何を今更、ご自身で翻訳された讃歌集を読みたいと思われたのですか?先生のここでの仕事は経典の翻訳作業だったと記憶しておりますが。」

「何、多少の気まぐれも良いではないか。所詮私は高僧でもない、しがない運が良かっただけの僧兵もどきさ。今更法師の真似事などをしても、歴史に残ることもないだろうよ。」

「はあ、」

彼ははっきりしない表情を浮かべながら曖昧な返事をした。そして思い出したように言葉を続ける。


「そういえば昨晩、この寺院に奇妙な客人が参りましてね。なんでも旅の途中だとか。何でも北の方からやってきたとかいう話ですが・・・。」

「ほう、」

私は興味を示した。ここ最近は異民族の襲撃もなく平穏な日々が続いていたため、久方ぶりに聞いた不穏な話題に少しばかり心が向いた。


「ただ、どうにも胡散臭い風体の男でしてね。妙ちきりんな格好をしていまして、まるで仙人のような出で立ちだったのですが、本人は至って真面目そうな顔をしていたものですから、なんとも言えぬ気持ちになりました。」

「ふむ、他に特徴はあったか?」

「んー、背丈は先生とあまり変わりありませんでした。かなりの大男ですね。生まれも此方のようで、濃い顔をしていたと記憶しております。口髭なんかはもう伸ばしっぱなしでした。歳も先生より少し年上ぐらいに見受けられましたね。」

 私は陽潜の話に少し突っかかる所を感じた。


「どうして、お前はそいつが仙人みたいだと思ったのかね?」

「口髭でしょうね。」

弟子は間髪を入れることなく、断定した。



「まあ、報告ありがとう陽潜、君も自分の仕事に戻り給え。私もこれを読み返すのに少々時間が欲しいものでね。」

私は手元にある巻物を指して言った。弟子は立ち上がって一礼してそのまま部屋から出ていった。


そうもしている内に、朝陽はナールガモンの街を薄いヴェールのように覆い尽くしている。立ち上がって、外に近い場所まで来た。朝霧の街を高床から見下ろす。街はまだ眠っている。人々の営みが始まる前の静寂。しかし、この静けさが破られるまであと幾ばくも無いだろう。


私は胸騒ぎを覚えつつ、その予感を振り払うかのように、手に持った讃歌集を開いた。


指を当てながらその書を読む。この讃歌は、良い。その神秘性に私はときに無性に惹かれてしまうことがある、それは人の性であると理解しながらも、それをどうしても避けようとする私の存在が私の中に確かにある。その背反こそが一層その神秘を神秘たらしめる。私は目下に広がる神秘の文字列を前に、七年ほど前に一度だけ目にしたその神秘を思い返した。

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