入院しちゃった3……… 病院食
入院中の病院食についての考察。
考察?
それは味が迷子になっているとしか、言いようがない。
パレットに小綺麗に盛り付けられた料理を前に、苦難の相を浮かべる。
説明すれば、高血圧から推移した脳出血によって、現在進行形で入院中である。(※入院中に書いている。現在は退院済み)
おまけに血液検査の結果、腎機能の減少が見られ、朝食にはお味噌汁の代わりに紅茶が付く始末である。
いったい何の苦行であるのか………
一般的に病院食は「不味い」と言われるが、一体なぜに不味いのかを考察していく。
病院食に求められるべきモノ、あるいはコトが何であるか? を問うたならば、「患者に適した食事である」と答えるであろう。
入院患者の総数にもよるが、老若男女いろいろな患者がいて、その病も多種多様である。
それゆえに、病院食の種類も多岐にわたる。
血圧の高い者には塩分を控えた物が与えられ、血糖値の高い患者に高カロリーの食事は厳禁である。
とは言え、すべてにおいて料理の分別化と言うものは非効率すぎるし、コスト的にも無理であろう。
よって小鉢などの、付け足しの料理はどの患者に対しても使える料理となる。
つまり、野菜中心の塩分控えめであり、同時に低カロリーの料理である。
だが、これは一概に「不味い」とは言えないところがある。
五感の一つである「味覚」。
これは生まれながらに持っていながらも、「美味しい」と思う感覚は、家庭や風土といった環境の上で培われたところが大きく作用しており、生まれながらに固定されたものではない。
何が言いたいかと言えば、病院食は最初は味気なくても、やがて薄味に慣れ、素材の持つ本来の味を知る。
もしくは気付くことになる。
この段階で病院食が「不味い」、とは言えなくなるのだ。
逆に、ご飯が足らないように感じる人もいるはずだ。
少なくとも、私はそう感じた。
薄味であるからこそ、それぞれの食材が何であるのかが分かり、それが食事を楽しみにすることに繋がるのだ。
ところがだ、入院も一ヶ月を過ぎれば話は変わってくる。
料理が運ばれ、それを見るとそれだけで味が分かる感覚におちいるのだ。
さらに研ぎ澄まされた感覚が加わってくる。
これはもはや覚醒と言っていいかも知れない。
食べたモノの味が抜けていることに気付くのだ。
特に魚が酷い、魚にほとんど味がなく、調味料を使ったところで基本的に薄味だから、ボヤけた味がさらにボヤけたような、舌を誤魔化されている様に感じる。
そして、小鉢の料理に関して言えば………
「飽きた」
この一言に尽きる。
以上のような事が病院食が「不味い」と言われる理由だろう。
ここで、私の病院食についての考察を述べたいと思う。
病院食は不味い
だが、それで良い
これが私の答えである。
何故なら「病院の食事」だからである。
老人ホームなどの施設ではない、病院であるからだ。
怪我や病気だった人が元気になって出て行く場所だからである。
優しい看護師、ベッド上の生活、これでご飯が美味しいとなれば、「人間の3大欲求」ほぼコンプリートではないか。
そら、退院したがらん奴でてくるわ!
患者は元気になって退院して、家や外で美味いものを食べる。
そうであるためにも、病院食は不味い方が良いのである。
これが、我が苦行の果てにたどり着いた悟りである。(鼻ホジ)
実は退院後に気付いたのですが、薬の副作用なのか分からないですが「味覚障害」になってまして………
このエッセイは入院中に書いているのですが、この時にすでに味覚障害が発症していたと思われます。
甘味と酸味は感じるんだけどなぁ………