覚醒その5
誤字報告、ありがとうございます。
それも記憶の欠片である。
「ひよし様。さあ、お飲みください」
女官が差し出す器を見て、ひよしは眉をひそめる。
器の中にはひとさじの白湯。そこに垂らした一滴の、露草から絞り出した汁。器全体は美しい薄紫色だが、ひたすら苦い味である。
いやいやをするひよしに対し、女官はこんなことを言う。
「ひよし様の大父様は、ある時毒を盛られ、亡くなられたのです。いつ何時、ひよし様も同じ目に会うかわからないのですよ。これは毒を失くする飲み物。さあ、さあ」
◇◇◇◇◇◇
儀式の途中で寺院に入ったセイラルは、とりあえず低頭した。
椅子に座っている方の、衣装の裾が目に入る。
淡いブルーの生地に、赤紫色の小さな花弁が織り込まれている。
先ほど垣間見た正妃は、手に赤紫の花を持っていた。
王族にしか、許されない紋様。
王族の花、イオニカ。
その花を、セイラルは見たことがあった。どこで見たのかは、覚えていないのだが。
司祭には、先ほどの暗殺者の件は伝わっていないようだ。となれば、寺院に流れている水が毒性を持っていることも知らないであろう。
座している方の前には、大きな水瓶が置いてある。
昨日、セイラルが行のために覗き込んだ水瓶とは違う、鮮やかな陶器のものである。
問題は、瓶ではない。
ここに流れてくる水自体なのだ。
神への御言葉の奏上が終われば、司祭は寺院の中に流れている水を、参詣者にかける。
宗教的儀式の際中に、司祭に伝える術がセイラルにはない。
まずい。
じりじりとセイラルは床を這い、正妃の持つ花に近づく。
奏上が終わり、司祭は柄杓で瓶の水を掬う。
水滴が椅子に落ちる瞬間。
セイラルは正妃の持参した花をさっと取り、水滴を祓う。
赤紫の小さな花びらが、水滴を散らす。
水の中に潜む悪意も散る。
水滴が落ちた床は、一瞬、生臭い匂いが立ち込めた。
セイラルは膝をつき、頭を下げた。
「ご無礼をお詫び申し上げます」
正妃は駆け寄り、セイラルの手を取る。
司祭は状況を把握する。
そして椅子に座る国王が、セイラルに声をかけた。
「大儀である。ヴィステラ侯爵令嬢」
ようやく騎士たちが駆け込んできて、国王に小声で何かを囁いた。
ユーバニア国王が、自身の体調の異変に気付いたのは、数ヶ月前である。
その頃、立太子させる予定のアティリスの素行が、問題視され始めていた。
侯爵家の第二令嬢との婚約は、国王が定めた、いわば国策の一つである。
その認識があるのかないのか、アティリスは婚約者を無下に扱うようになり、代わりに、婚約者セイラルの義理の姉、フィーネを連れまわすようになった。
国王も正妃も、しばしば苦言を呈したのだが、目の前の恋に溺れた第二王子は、フィーネにのめりこんでいく。
同じ侯爵家令嬢であるので、身分の問題は少ない。
ただし、次期王妃となるような資質が、フィーネには備わっていないと、国王はふんでいた。
そんな時、アティリスが、果実から造った醸造酒を国王に献上した。
隣国では有名な、貴重な酒である。
「フィーネ嬢が、陛下にと」
そのまま突っ返したい国王だったが、果実酒のラベルを見て止めた。
ユーバニアと姻戚関係にある、隣国の貴族の名が、そこにあった。
その晩、国王は食前に、件の果実酒を、ごく少量、舐める程度摂った。
正妃はもともと酒類を受け付けないため、口にはしなかった。
深夜、国王は急性の胃腸炎をおこし、そこから徐々に体力が削られていった。
「申し訳ない、セイラル。わしが倒れている間に、アティリスが一方的に婚約破棄と、寺院での罰をあたえたと聞いた。すべて、このユーバニア国王の不徳の致すところである」
国王は、目の前の華奢な少女に頭を下げる。
「もったいないお言葉。わたくしの至らなさでございます。それに」
セイラルは澄んだ瞳で国王に言う。
「寺院での修行がなかったら、こうして国王陛下の御身のこと、知らないままでございました」
癖のない黒髪と、くっきりとした黒曜石の瞳。あと数年、婚礼の儀の頃になったら、さぞかし美しい女性に成長するであろうに。
なにゆえに、第二王子は、この少女を気に入らなかったのだろう。
国王には理解できなかった。
正妃が哀しそうな声で、セイラルに語り掛ける。
「婚約破棄を、もう一度考え直すように、アティリスにきつく言うわ。もちろん、ここでの修行も、すぐにやめいいのよ」
セイラルは正妃に答える。
「いえ、正妃様。アティリス様に申し付けられた半年を、ここで過ごさせていただきたいと存じます。さらに、僭越ですが」
国王の体を考えると、しばらく寺院で、解毒の施術を受けて欲しい。
そうセイラルは言った。
「わたくしは、その方法を知っております」
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