因縁
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姿形が変貌した、フィーマは、庭園の隅に現れた、小さな弧を描く虹に、目を細める。
「やはり、水は良いものだな、セイラル」
爆発の名残の風が吹く。
フィーマの額が露わになる。
そこには、人差し指ほどの突起物が生えていた。
角だ。
「そう、望まれたのは、水だった。……あの、寂れた村で」
フィーマは両手を空に掲げる。
空には瞬時に雲が集まり、ぱらぱらと水滴を落とす。
「ほお、これくらいなら、まだ出来る、か……」
フィーマは、自嘲気味な笑みを浮かべる。
濡れた髪はいよいよ赤くフィーマの体に纏わり、頭頂から全身に、血が流れているかのようだ。
「セイラルよ。不思議に思ったことはないか? なぜ、われとそなたは闘わねばならぬ。近しい関係でありながら、憎みあわねばならぬかと」
セイラルは無言のまま、フィーマに強い視線を投げる。
それをあなたが言うのか。
幾度となく、煮え湯を飲まされてきたのは、セイラルの方だ。
「所詮、この世の出来事は因果応報。天に吐いた唾は、己に還る」
フィーマが右手を前に出し掌を広げると、薄ぼんやりとした光が集まる。
「かつて、われは道術を極めようとしていた。その理由は、とうに忘れてしまったがな」
人の顔よりも大きくなった光の中に、砂嵐のような絵が浮かぶ。
「見るがよい、セイラル。人とは、斯様、愚かで残酷なものである」
◇◇◇◇◇
一人の男が旅をしていた。
杖を突きながら、裸足で歩いている。
一枚の布を頭から被り、ゆっくりと地を辿る。
布は汚れ、あちこちが擦り切れている。
時折、砂埃が舞い上がる。
乾いた大地に陽炎が揺れる。
男は道教を修め、更なる上位の術、仙道の修行を行う者であった。
仙界への道のりは遠いものの、男はまもなく、自力でそこへ昇ろうとしていた。
昇れる、はずであった。
ある時、水不足に悩む村から、雨ごいの祈祷を行って欲しいと依頼を受けた。
依頼主は国の王。
成功報酬は、王の娘。
男は道教以外の学問も深く学んでいた。
ゆえに、報酬を辞退するつもりでいた。
人々を救う願を立てている者に、報酬は必要ない。
そう教えられていた。
男も心底、そう思っていた。
そのまま、辞退すべきだった。
王女を垣間見た刹那、男は恋に落ちた。
仙道修行は不犯を基とする。
男にとっては初めての、熱感が肌に生じた。
雨ごいは成功し、大地は潤った。
田畑は瑞々しく新芽を伸ばす。
豊作になるであろう。人心も落ち着く。
皆、笑顔になった。村人も、王も。
男の口の端にも、また。
その晩宮殿で、祈祷成功の宴が賑々しく開かれた。
男に酌をする王女の小さな白い手が震えていることに、男は気付かなかったけれど。
王女には、将来を約束した相手がいた。
宮殿を警護する、若き兵士である。
まさか、薄汚い、出自もわからぬ道士に嫁すとは、王女は思ってもいなかった。
父である王もまた、同じ思いであった。
さらに言えば、干天から瞬時に慈雨を生み出す男の呪力をおそれたのである。
この男、民衆の心を掴むことも、たやすいのではないか。
そこに魔物が囁く。
囁いたのは、長らくこの国に隠れ住む、鬼女である。
「仙道を往く者は、真実の名を明かしてはならない。明かすと、呪力がなくなるから」
王は王女にそっと告げた。
「閨の際、男の名を聞き出せ。あとはこちらで片付ける」
王女が男に注いだ酒には、意識を薄くする薬が入っていた。
そもそも、長らく修行を続けている男である。
酒に対する耐性は、無に等しかった。
男の寝所に滑り込んだ王女は、男の真名を聞き出す。
「あなた様の、本当のお名前を、お呼びしとうございます」
愚かにも、男は己の真の名を、王女に明かしてしまった。
結果、呪力を手放した。
御簾の影で控えていた、王女の恋人は叫ぶ。
「王命により、妖しき者、成敗いたす!」
脳天から吹き出した血を手で受け止めながら、男は王宮を逃げ出した。
神通力は既になく、限りなく不老不死であったはずの肉体も、みるみるうちに崩壊していく。
男は呪詛を吐く。
こんなところで命を落とすために、長く辛い修行をしていたわけではない。
ただ一瞬の恋心。
それがここまでの禍を、起こすというのか。
理不尽である!
納得いかない!
許せない!
男の目の前に、青白い光が現れた。
王に男を討たせるような、囁きをした鬼女である。
鬼女は男に手を差し伸べた。
「人間とは、かよう愚かで恩知らずの生き物。そなたのような高潔な者が、助力するに能わず。われがそなたの呪力を戻す。人間どもに、能力を見せつけようぞ!」
絶望していた男は、鬼女の手を取った。
男は仙術を捨て、妖術を得た。
王女を、その国を、滅ぼすために。
参考文献:中村史、『マハーバーラタ』第13巻第93章の説話の考察一七仙人の名乗り、印度學佛敏學研究第62巻第1号、256ー268、平成25年12月
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