炎上
戦闘シーンが続いています。苦手な方は、ご無理なさいませんよう。
誤字報告、助かります。
庭園の隅で、息絶え絶えのラステックは妻に言う。
「逃げ、なさい……」
妻であるグレーベンは真横に顔を振る。
彼女はショールで夫の胸を押さえているが、滴る血は止まらない。
「これは、呪いだ。わたしはもう、もたない。そして、この国も……」
ラステックは途切れ途切れに、グレーベンに語る。
若き日、慰安に訪れた踊り子に惚れ、懇ろになった。
しかし、踊り子は東の大国の間諜であり、半ば脅されるように彼は結婚した。
妻となった彼女はこう言った。
『あなたが裏切ったら、あなたの身体を、棘が引き裂くわ』
その言葉で彼は、己の体内に呪いがかけられたと知った。
彼女の指す、「裏切り」とは。
彼女と彼女の血を引く娘以外を、愛すること。
大国の指示に、従わないこと。
後妻のグレーベンは、自分には勿体ないくらいの女性だと、ラステックは思った。
しかし、愛することを躊躇った。
二番目の娘、セイラルの笑顔には癒された。
ただ、セイラルにそれを告げることは出来なかった。
「君にも、セイラルにも、辛い思いをさせた。すべて、は、わたしが、愚か、だった……」
閉じられていくラステックの視界に、最後に映ったのは長女であったか、それとも次女だったのだろうか。
その長女、真っ赤な唇を亀裂のように開き、妹の前で両手を広げる。
「空を見なさい、セイラル。宴の本番はこれからよ」
旋回していた竜は、空中停止した。
それは翼竜が、攻撃を行う姿勢である。
「焼き尽くせ! 国も! 人も! 何もかも!」
フィーマが叫ぶと同時に、天空の竜は咆哮する。
開口部にせり上がってくる、赤銅色の炎。
微塵の躊躇もなく、竜は地上に向けて炎を吐き出す。
恐怖に包まれて動けなくなる者。
声をあげて逃げ惑う者。
それを必死で誘導する騎士。
炎より早く、熱風が襲う。
ちりちりと、庭園の木の葉が焼け落ちる。
放射された炎が、庭園のすべてを焼き尽くそうと迫る。
いきなり、庭園は真っ白な霧に包まれた。
地に伏せた者が、ふと顔を上げたが、自分の指先すら見えないほどの濃い霧に気付く。
シュウシュウと音がする。
水を、沸騰させる時のような。
水?
雨は降っていない。
水を放射した気配もない。
だが、この霧は……
そう、竜より吐き出された灼熱の炎は、それを凌駕する水で、打ち消されていた。
「今だ! 撃て!」
第一王子の声が、騎士団の士気を鼓舞する。
火竜の危険性を、誰よりも知っているジーノスである。
だてに重傷を負ったわけではない。同じ轍を、二度踏むことはない!
竜の体表の鱗には、通常の矢は効かない。
されど、翼竜ならば、地上に落としてしまえば、比較的柔らかい腹を、切り裂くことが出来る。
一度炎を吐いた火竜が、次の攻撃にうつるまでの時間は、手首の脈で二百ほど。
最悪の事態を想定し、ジーノスは庭園の木の陰に、投石機を数台用意していた。
地を這う竜にも、投石機による攻撃は有効であった。
東の大国が動くなら、竜を使役してくるだろうと予想はしていた。
次々に投射される石を、竜は尽く避け、怒りを滲ませた咆哮をする。
……五、四、三、二、一!
「行けえ!!」
霧が薄くなった庭園で、ジーノスは片手を上げた。
投石機には、通常使用する石よりも、やや大きな黒い石が積まれている。
竜は炎を吐き出すために、再度開口する。
風を切って飛ぶ黒い石は、竜が大きく開けた口に飛び込んだ。
竜の動きが、ぴたり止まった。
その腹から、何本もの光の柱が体外へと突き出している。
轟音。
そして爆炎。
爆風は地上も揺るがした。
竜は最期の鳴き声を上げ、緑の液体を放ちながら四散した。
エイサーがジーノスに駆け寄り、互いに片手を叩く。
破顔一笑の第一王子を見たエイサーも、笑顔だった。
「やりましたね、殿下!」
「ああ、計算通りだ!」
投石機に積まれた黒い石には、火薬が装備されていた。
投石を煩わしく感じたら、火竜は必ず炎を吐く。
その一瞬を狙っての作戦であった。
その一瞬のために、何度も何度も訓練を続けた。
「被害は?」
真顔になったジーノスが、エイサーに訊く。
「転倒したり、軽い火傷を負ったケガ人が少々」
「わかった。引き続き、避難誘導を続けてくれ。あと、ケガ人の応急処置もだ」
竜が落とされた空を見続けていたフィーマは、口を歪め、笑う。
「傀儡眷属など、しょせんこの程度か」
口調も声音も、既にフィーマのものではない。
対峙しているセイラルは、息を整えてながら身構えた。
「竜の炎に、水をぶつけたのは、お前だな、セイラル」
セイラルは額の汗を拭う。
セイラルは水気の竜を召喚し、火竜の炎撃を押さえたのである。
水気の竜が、火竜の動きを封じていたから、投石による攻撃もうまくいったのだ。
「どうでしょう。このユーバニアの守護神は、水の女神ですから」
「たわけたことを。陰陽五行を熟知していなければ、あのような怪物、人が倒せるはずはない」
「では、お姉さまは、わたくしが人ではない、と?」
「お姉さま、か。そうだな、今生では、その縁であったな」
フィーマの顔貌が変化していく。
菫色の瞳は、ワインよりも赤みを帯び、縦に一本黄色い筋が走る。
髪も赤黒色に変わり、腰よりも長く広がっている。
「今回は、毒は効かぬよ、セイラル」
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次回更新は、1月5日以降となります。




