王都その2
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後の平城天皇である安殿親王は、七百八十年に叔父に代わり立太子したが、それから十年をまたずに、東宮妃であった帯子を亡くした。
安殿親王の次の東宮妃として選ばれたのが、藤原縄主息女であり、藤原薬子の長女、聖良である。
安殿親王の申し入れを、父縄主は大いに喜んだ。娘が皇太子妃に、なるかもしれないのだ。
しかし、ひよしは幼く、無口な少女であった。
思いを言葉にだすことが、少々苦手であったのだ。宮中のしきたりを何も知らない。
これでは東宮妃の務めを果たすことが、難しいのではと周囲は考えた。
輿入れの際、縄主がすすめて、妻である薬子を同行させた。
それが後々の不幸のみならず、史上に残る大事件の発端となる。
安殿親王は、宮中での「逢い初め(あいぞめ)」の儀において、妃になる予定のひよしではなく、薬子の手を取った。そしてそのまま、自身の愛妾とする。安殿親王はこのころ、三十代。五子をもうけた薬子は、親王よりも十歳ほど年上であった。
安殿親王の父帝、桓武天皇は親王と薬子の関係に激怒する。しかし、薬子は帝の厳命にひるむことなく言い放った。
「親王様もわたくしも、真実の情にて、結ばれておりまする!」
桓武天皇は、薬子への苦々しい思いと同時に、せっかく東宮妃として迎えながら、夫たる親王に置き去りにされたひよしへ、深い哀れみを感じたという。
◇◇◇◇◇
第二王子から婚約破棄宣言から三ヶ月が過ぎた。
セイラルは今も寺院での水行を続けている。
午後の僅かな時間に、司祭と会話をすることがある。
ほんの二言、三言であるが、セイラルには良い気分転換となり、視野を広げてくれるものである。
たとえば司祭が尋ねる。
「魔法とは?」
セイラルが答える。
「人の想いの強さ」
司祭は言う。
「否。正法も邪法も、むろん魔法もない。あるのはただ、神の慈愛のみ」
司祭によれば、問と答えを繰り返すことで、この世の真理に近づいていく修行法があると言う。それはユーバニア王国の遥か東にある国の、宗教の方法なのだと。
「問答……」
その方法を聞いたセイラルが呟く。
「ほお、よくご存じで」
存じている?
なぜだろう。
セイラルの不思議そうな表情を見た司祭は語る。
「魔法はないと申しましたが、神の奇跡はあると、私は思っています」
現在の寺院は、水の澱みも邪気もなく、清らかな空間である。
寺院の水を使う医療院においても、患者の治癒が早くなったという。
その日、水源を求めてセイラルに同行した、エイサーが寺院に顔を出す。
帰路中に獣と闘い、深い傷を負った彼も、帰国してすぐ、医療院での治療を受け続けていた。顔の傷は、ひきつるような跡もなく綺麗に治っていた。
「セイラル様、見てください! 治りました」
「良かったです。安心いたしました」
エイサーは、布の袋をセイラルに渡す。
「それでね、頼まれていたものを、お持ちしました」
「まあ! ありがとうございます!」
セイラルは袋の中身を確かめる。
エイサーとニアトは、セイラルに同行してから、こうして時折寺院にやってくる。
いつも、セイラルは二人に、寺院の水を汲んで出している。
その水を飲むと元気になると二人は言う。
魔法はなくても、寺院には、神の慈愛があるのかもしれない。
二人にセイラルが依頼していたのは、これから宮殿の敷地内に置くものである。
少しでも、宮殿にまとわりつく、黒いものを祓うために。
「本当にありがとうございます。大変だったでしょう?」
セイラルはいつも通り、エイサーに水を出した。
受け取ったエイサーは、赤い顔をしながら一気に飲み干した。
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