第5話 結界の守護姫
「お父様達戻ってこないですね」
魔物の大群が攻めてきた報告があった日から、お父様とダリルお兄様はずっと屋敷に戻ってこなかった。
お父様不在を受け持つ家令のジョンソンの話では二人共ちゃんと無事らしいんだけど。
「魔物との戦いが佳境なのでしょう。戦況が落ち着けば屋敷に戻ってくる余裕もできますよ」
との事だった。
「……でもこれまでは毎日必ず屋敷に帰ってきていましたよ? でも今回は何日も帰ってきていません」
きっとこれまでも私が知らなかっただけで何度も魔物の群れと戦っていたのだろう。
でもお父様達は帰るのが遅くなることはあっても、帰ってこないと言う事は無かった。
「ご安心ください。お嬢様が生まれる前はたまにあった事です」
ジョンソンが大丈夫だと微笑みながらおしえてくれる。
「そうなの?」
「はい。魔物の群れとの戦いは数日続く事はザラですし、長引くと忙しくて屋敷にお戻りになられないことは多々ありました。寧ろお嬢様が生まれてからが珍しく魔物の侵攻が緩やかだったのですよ」
そうなんだ。じゃあ私の心配しすぎなのかな?
「分かったわ。教えてくれてありがとうジョンソン」
「お役に立てて何よりです」
けれど、それからさらに数日が過ぎてもお父様達が戻ってくる気配はなかった。
それだけではなかった。
その日の夜は何故か寝付けなくて、こっそり屋敷の中を散策していたら玄関ホールで鎧を纏ったムリエお姉様が外に出て行こうとしていたの。
「ムリエお姉様!? そのお姿は!?」
驚いた私が声を上げると、ムリエお姉様が目を丸くして驚く。
「リコ!? こんな時間に何で起きてるの!?」
ムリエお姉様は明らかにしまったーと私に見つかった事に動揺している。
「ちょっと寝付けなくて……じゃなくて、何でそんな恰好をしているんですか!? まるで戦いに行くみたいな……っ!?」
そこまで言って私は気づいた。そうかムリエお姉様も戦うんだ、と。
「あはは~、マズい所を見つかっちゃったわね」
これ以上は隠せないと、ムリエお姉様がため息を吐く。
「そんなに状況は良くないのですか?」
私が心配すると、ムリエお姉様は慌てて手をパタパタとさせて否定する。
「だ、大丈夫よ。いつもよりちょっとだけ大変なだけで、それ自体は昔からたまにあったんだから」
「でもムリエお姉様まで戦うなんて」
ボルテド神官長の話じゃ、貴族令嬢に戦いの義務は無い筈。
それなのにムリエお姉様が戦うって事は、それだけ状況がひっ迫していると言う事に他ならない。
「そんな不安そうな顔しないの。私は高位貴族の娘で単一属性の使い手だから、魔法の威力も魔力も高いのよ。だから後方からの魔法支援を頼まれたのよ。だーいじょうぶ。防壁の上から魔法を放つだけだから。私が前線で戦う訳じゃないわ」
「でも……」
なおも私が言い募ると、ムリエお姉様は私を優しく抱きしめた。
「安心なさい。怪我なんてしないし、お父様とお兄様を連れて帰ってくるわ」
なんというイケメンな発言だろう。ムリエお姉様が男なら、きっと何人もの貴族令嬢がコロッと惚れてしまった事だろう。
「じゃあ行ってくるわね!」
結局私はムリエお姉様を止める事は出来ず、お姉様の出発を見送る事しか出来なかった。
◆
それから数日、ムリエお姉様も戦場から戻ってこない。
きっと戦いは激しさを増しているんだろう。
そして私は、ある事が気にかかっていた。
「結界は大丈夫なのかな?」
以前教会でボルテド神官長に聞いた時、魔法石に貯めた魔力があれば数日は結界が保つと言っていた。
けど魔物が攻めてきてからもう数日どころじゃない。
だとしたらとっくに魔法石の魔力は切れて、結界も効力を失っているんじゃないの?
それを騎士団が必死で戦って水際で食い止めているのでは?
もしそうなら、外で戦っているお父様達に何かあったら、魔物の大群が町になだれ込んでくるんじゃ!?
「っ!」
その光景を想像して、私は背筋が寒くなる。
「何か私に出来る事は……」
自分にも何か出来る事は無いかと私は考えを巡らせる。
けれど子供の私に出来る事なんてない。
子供の腕力じゃ剣を振るう事もできやしないから。
ああ、ボルテド神官長が子供に教えないといったのはこういう意味だったんだね。
もしもの事を考えても子供じゃなにも出来ないから、それなら最初から知らせない方が良いと。
あの人達なら、そんな事は出来る連中に任せれば良いと言っただろう。
自分達のする事じゃない。お前はもっと(私達の)役に立つことをしろと。
でもそうじゃない。私が何かをしたいんだ。
お父様をお兄様達を、そして町の人達を助けたいから。
なのに、今の私には何もできない。
「はぁ、私に魔法が使えればな……」
たとえ弱い魔法でも、人並外れた魔力を持つ私なら、多少は役に立った筈。
ああっ、なんでもっと早く魔法を習わなかったんだろう!
「ただ魔力が多いだけの子供なんて何の役にも立たないじゃ……あれ?」
絶望にくじけそうになっていた私は、ふと心に引っかかるものがある事に気付いた。
「魔力が……多い?」
何か、何か大事な事を忘れている気がする。
魔力があれば何かが出来る気が……っ!!
「そうだ魔法石!!」
その事に気付いた私は、カーリーに頼んで急ぎ神殿へとむかった。
◆
神殿にやって来た私は、近くに居た神官に頼んでボルテド神官長を呼んでもらった。
神殿の中も明らかに慌ただしい雰囲気でそれどころじゃなさそうだったけど、こういう時は侯爵であるお父様の権威に感謝だ。
「これはこれは、本日はいかなる御用でしょうかリコアリア様」
いつも通り穏やかな雰囲気だけれど、僅かにピリピリとした空気がボルテド神官長から感じられる。
これは変な事を言ったら即追い返されそうだ。
「カーリー、貴方達は部屋の外に出ていてください」
「し、しかしお嬢様」
自分から離れろと言われ、カーリーと護衛の騎士達が難色を示す。
気持ちは分かるけどゴメン! これは皆には知らせるわけにはいかない話だから。
「お父様も承知している事です。それにボルテド神官長が信用できないのですか?」
「そ、それは……」
さすがに町を守る神殿の最高責任者を信用できないとは言えず、カーリー達が口ごもる。
「お前達も部屋を出て仕事に戻りなさい」
「かしこまりました」
ボルテド神官長も何かを察してくれたのだろう。
先に自分の部下を下がらせる事で、カーリー達にも部屋を出るように無言の促しをしてくれた。
「……畏まりました」
さすがにこれは逆らえないと察したカーリー達が渋々部屋を出る。
二人きりになった事で、私はようやく本題に入る事が出来た。
「単刀直入に聞きます。ボルテド神官長、結界を維持する魔法石の魔力が切れていますね」
「……仰る通りです。既に魔法石の魔力は尽き、戦闘に使えない程度の魔力の持ち主達を集めて魔力を貯めさせていますが、結界を半日維持する魔力どころか再発動の為の魔力すら溜まっていない状況です」
私が断定から入ると、ボルテド神官長もこちらを気遣うのは無意味と判断して素直に認める。
そうか、結界には発動の為の魔力と維持の為の魔力が必要なんだ。
今の結界はバッテリーが切れた車みたいな状況なのかな?
「ですがそれを知って如何なさるのですか?」
「そういう事情なら、私にも協力できる事があると考えて思いここに来ました」
「リコアリア様が? しかし貴女様はまだ魔法の訓練をしていないのでは?」
「ええ。魔法の訓練は始めていません。今の私にあるのは、使い道のない膨大な魔力だけです。そう、魔力だけなんです」
「それが……あっ!」
私の促しを受けたボルテド神官長が、はっとなる。
「そうか! そういう事ですか!!」
「ええ。私の使い道のない魔力を、結界石に込めるのです。どうでしょう、可能ですか?」
「ええ、ええ! 可能ですとも! はははっ! 何故こんな簡単な事に気付かなかったのか! いやいやいや、どうやら私も相当に焦っていたようだ!」
ボルテド神官長は何度もどうして気付かなかったんだと嬉しそうに繰り返す。
人間慌てていると視野が狭くなって当たり前の事すら気付かなくなるもんね。
「リコアリア様、貴女様が私共の下にやってきてくださったのは、間違いなく天恵! これなら戦況を変える事が出来ますぞ!」
興奮したボルテド神官長に手を引かれ、私は結界の間へと入っていく。
「ささ、どうぞ! やり方は祝福の間の宝玉に魔力を貯めた時と同じです!」
「では……『我が魂の血潮を捧げん』!!」
私の体の魔力が目の前の魔法石に流れ込んでいくのを感じる。
「おおっ!! 魔法石に輝きが戻っていく!! 素晴らしい! これほどの速さで魔力が戻っていく光景を見る事が出来るとは!! しかもこの波動は!? 部屋に満ちる魔力から感じるこの暖かなものはいったい!?」
ボルテド神官長が子供のように興奮した声を上げる。
早く、早く魔法石に魔力を注ぎ込まないと!
私は一刻も早く結界が再発動出来るよう、全力で魔法石に魔力を注いでいく。
「リコアリア様、もう結構ですぞ!」
「え? もう?」
そう時間をかけた覚えはないんだけど、もう結界発動に十分な量が溜まったの?
「でも満タンになるまで注いだ方が良いのでは?」
「いえいえ、もうとっくに満タンになっておりますよ」
「ええ!?」
嘘っ!? そんなに魔力を注いだ覚えはないんだけど!?
「驚きましたぞ。リコアリア様の魔力は膨大だとは思っておりましたが、まさか魔法石を満タンにしてもまだ余裕があるとは……」
「ともあれこれで結界を再発動できます! ありがとうございますリコアリア様!」
興奮した様子のボルテド神官長が部下を呼ぶと、すぐに結界が再発動する。
「これで騎士団にも余裕が出来た事でしょう。今のうちに負傷者の治療を行い、再攻勢に出る準備を整えましょうぞ!」
その後私はボルテド神官長直々に見送られながら屋敷に帰った。
そしてその日の晩。
「「「リコ」」アリアーッッ!!」
ボロボロになったお父様とダリルお兄様、それにムリエお姉様が私の部屋に飛び込んできた。
「ふえっ!?」
寝ていたところを急に起こされた為、私は何が起きているのか分からず、軽いパニックに陥ってしまう。
「ボルテド神官長から聞いたぞ! お前が結界を再発動させてくれたのだな!」
「凄いぞリコ! さすがは俺の妹だ!」
「狡いわよお兄様! リコは私の妹でもあるのよ!!」
三人同時に押しつぶされるように抱きしめられ、違う意味で目が回っていた。
「しかもあのような結界は初めてだ! 一体何をしたのだ?」
「え? それってどういう……?」
「結界が再発動する直前に、町を襲っていた魔物が纏めて吹き飛ばされたんだよ。まるで風の攻撃魔法を喰らって吹っ飛ばされたみたいな光景だったぞ」
「そうそう。報告を聞いた限りだと、町を包囲していた魔物が同時に吹き飛ばされたんだってね。あれもリコがやってくれたんでしょ?」
え? え? 何の事?
「い、いえ私は知らな……」
「リコアリア! お前は私の誇りだとも!」
「「リコーっ!!」」
「ぷぎゅうっ!?」
再びお父様達が私を強く抱きしめてもみくちゃにする。
「皆様、リコアリアお嬢様が苦しがっております」
「「「はっ!?」」」
「きゅぅ~」
家令のジョンソンが制止してくれたおかげで、ようやく私は揉みくちゃの状況から解放された。
「す、すまないリコアリア。つい興奮してしまって」
「わ、悪い。俺も嬉しくてつい……」
「ごめんなさいリコ、貴女が誇らしくて……」
三者三様の口ぶりで謝罪を告げてくるお父様達。
「だ、大丈夫です~……そ、それに、苦しいのもお父様達が無事に帰ってきてくれたおかげですからぁ~」
「「「リコ」」アリアッ!!」
しまった、と思った時には既に遅く、私は再びお父様達によって揉みくちゃにされてしまった。
けれど、悪い気分じゃなかった。
私は誰に命令された訳ではなく自分の意志で考え、決断し、皆の役に立ったのだ。
だから、私はこの苦しさを誇らしく感じていた。
翌朝にはお父様達は再び戦場に戻って行ってしまったけど、数日後には戦いを終え、屋敷に戻ってきてくれたのだった。
ただ、一つだけ問題が発生してしまった。
というのも、結界の件で魔法石が謎の復活を果たした事がどうも私が神殿に来た事が原因なんじゃないかと神官たちの間で噂になっていたらしいのだ。
そして噂は神官から町の人達の間に広まり、驚くべき速さで町中に噂が広まってしまった。
その結果、民の間では私が結界を再発動させたと信じられてしまったらしい。
おかげで私が神殿に行こうとすると、町の人や神官達に……
「守護姫様だ!」
「結界の守護姫様だ!」
「信心深き守護姫様だ!!」
と、とんでもない二つ名で呼ばれるようになってしまったのだった。
「どうしてこうなったのー!!」
リコ「そもそも私は姫じゃなーい!」
侯爵「ちなみに高位貴族の娘を姫と呼ぶのは割と普通にある事だ」
兄「平民にとって王の娘も高位貴族の娘も雲の上の存在だからな」
神殿長「じいじは嬉しいですぞ」
リコ「呼び方の難易度が上がってる!?」
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