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七、風邪③

七、風邪③


 風邪が治ったのはそれからひとつき後のことである。

 夏風邪は思いのほか長引くものらしく、翠月はひと月も宮殿の居所で過ごすこととなってしまった。不本意ではあるが、世子が絶対に安静だと譲らないため、翠月はこのひと月、おとなしく宮殿で暮らしている。


 宮殿では女官が毎日翠月の世話をしに来て、まるで翠月は王妃かなにかになったかのように、それは丁重にもてなされた。

 翠月が王宮にいる間は、世子も仕方なくではあるが、王宮で暮らしていた。これには王も王妃も大喜びで、世子は度々実の両親に呼び出されては、食事を共にしたり、書物を読んだり歌を詠んだり、絵を描いたりと忙しいようであった。


「世子さま、今日も遅くなるのですか」

「ああ、すまない。今日は父上がお呼びなのだ」


 宮殿にいる間くらい、親孝行をなさっては。そう言ったのは紛れもなく翠月であったのだが、こうも頻回に出かけるとなると、少しの寂しさを感じてしまう。

 翠月がしゅんとしょげる様子を見て、世子は申し訳なく感じるも、父である王の頼みにはどうしてもそむけない。


「すまない、なるべく早く帰るようにする」

「はい、はい。分かっています、私のわがままなどお気になさらず、ゆっくりして来てくださいませ」


 翠月のそれが強がりであることは世子も重々承知であるのに、その日も世子は早く帰ってくることはなかった。




 世子が王宮に暮らし始めて一ヶ月、ようやく翠月の病状が完全に回復したとの御医のお達しが出て、ようよう明日にはあの簡素な小屋に戻れると、世子はふっと息をついていた。

 だが、今後しばらく世子が宮殿に来ないだろうと、その日もやはり、世子は王と王妃に呼ばれて、夜から出かける支度をしていた。

 こんな日くらい、ゆっくりすればいいのに、と翠月は思うも、王や王妃の気持ちも痛いほどに分かるため、なにも言わずに世子を見送った。


「今日もひとり、かあ」


 きっと世子は、今日も翠月が寝入ったころに帰ってくるに違いない。そう思うと、無性に腹立たしく寂しさが募り、翠月はなかなか寝つけないでいた。

 そんな翠月の居所の扉が、なんの合図もなしに勢いよく開いた。


「ひゃ?」


 あまりにも荒々しく開け放たれた扉に、翠月は布団から飛び上がって部屋の隅に移動する。

 よもや強盗かなにかかと思ったのだが、そこにいたのはもう見慣れた顔であった。

 夏月が、扉の前にひとり、たたずんでいたのだ。


「か、夏月さま……び、っくりした……」

「なんだ、そなたは。わたしが見舞いに来たというのにそのような扱いを」

「あ、あ、いえ。いいえ、すみません。本当に驚いただけで」


 まさか強盗と間違えそうになったとも言えず、翠月はその場に立ち上がると、夏月に上座を譲り、自身は下座に座る。

 夏月はふん、と鼻を鳴らしながら上座に座ると、手に持っていた花を翠月に渡した。

 炉端に咲いているような、小さな小さな花である。

 翠月の居所には毎日たくさんの花が飾られる。その花はどれも見事な大きく可憐な花たちばかりで、夏月が差し出してきたそれとは比べものにならない。


 だが翠月は、夏月に差し出された花のほうが、毎日飾られる花たちよりも何倍もなん十倍もきれいだと感じてしまう。何故だろうか。

 翠月は夏月から花を受け取ると、思わず笑みをこぼしていた。


「それでは、わたしはもう行く」

「え、夏月さま、今来たばかりじゃないですか」

「そう長居するつもりはない。病み上がり故、そなたの睡眠を邪魔することはしたくない」

「あ、あ、でも……」


 翠月は夏月から受け取った花を両手に持って、その花に視線を落としながら、言いにくそうに口をハクハクしている。

 いつもであれば言いたいことをはきはきと言う翠月が、なにを言い淀んでいるのかと、夏月ですらも気になって、立ち上がりかけた身体を再びおろす。

 そうして翠月は、ようやく声を振り絞って、


「ひとりは寂しいので……少しでいいので……ここにいてくれませんか」


 世子には言えなかったほんの些細な望みを、翠月は夏月にぶつけていた。

 風邪で倒れる前も、風邪で倒れてからも、世子は翠月との時間をあまりとらない。それは照れくささから来るものであることは翠月も分かっているのだが、どうしても世子には甘えることが出来ないのだ。


 看病をしてくれていた時は寝ないでずっとそばにいてくれたことももちろん知ってはいるのだが、だからこそ世子にはわがままを言えないのだ。

 世子は世子であるがゆえに、一国の跡取りである世子にわがままを言うのは憚れたのだ。

 夏月はすぐに翠月の内心を察するも、そのような頼み事など聞こうとも思わなかった。自分は世子の代わりではない、代用品として扱われるなどと不本意極まりない。


 だというのに、夏月はその場から離れることが出来なかった。たった一言、「嫌だ」と言えば済むものを、それができなかったのだ。

 夏月は観念し、息を吐き出す。


「少しだけなら、話し相手をしてやっても、いい」

「ほ、本当ですか? よかった……」


 翠月は心底嬉しそうに破顔した。

 その顔が、妙に夏月の胸を締め付ける。

 どうせそなたは、世子のほうが好きなのだ。世子が大事だからこそ、わがままも自分の意見も言えずに、代用品としてわたしを利用するのだ。


 だがそれは、もう慣れている。夏月はいつだってそういう扱いを受けてきた。王宮は窮屈だ。だが夏月は、王宮の外に住もうとはしなかった。

 自分こそがこの国の世子に相応しいのだと言わんばかりに、ずっとずうっと、ひとりで気を張って生きてきたのだ。

 そんな自分が、よもやただの平民の娘に、花を摘んで見舞いになど行くことになろうとは、露ほども思わなかった。


 夏月は、自分が自分でなくなるような、そんな恐れを翠月に抱いた。このまま翠月とともにいれば、いつか自分は世子を憎めなくなる。

 そんなことを思いながら、夏月はただ淡々と、翠月のおしゃべりに付き合うのだった。

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