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四、狩りに行きましょう③

四、狩りに行きましょう③


 世子が狩りに出るのはもうだいぶ久々であった。その上、乗っている馬は自分の馬ではなく、やや気性が荒い。

 さらには弓も自分のものではないとなると、なかなか骨の折れる狩りとなることは必至であった。

 馬を走らせしばらくすると、林の木の陰に鹿を見つける。


「よし……」


 牡鹿だ、この林の長なのであろう、立派な角を生やした鹿である。

 世子はその鹿に狙いを定める。

 だが、世子が矢を放つ前にひゅっと世子の目の前に矢が飛び交い、馬が驚き世子を振り落とした。

 夏月の矢が、世子を狙ったのだ。


「兄上?」


 落馬したものの、世子は受け身を取っており、遠くに見える夏月は「ちっ」と舌打ちをしている。

 世子が落馬した音によって、牡鹿は逃げおおせる。今度は世子が舌打ちをする番だった。


「くそっ、また探さなければ」


 立ち上がり、世子は再び馬にまたがる。

 遠くにいたはずの夏月の姿は、もうない。出遅れた、と世子はいよいよ焦り始める。

 だが、落馬の音を聞いた内官たちが、青ざめた顔で世子のもとへと走り寄ってくるのが分かる。


「世子さま、世子さま、ご無事ですか」

「大事ない。わたしは」

「ああ、世子さま、衣が汚れて……世子さま、もう狩りはおやめに」

「うるさい!」


 馬の手綱を引き、世子は再び獲物を探し出す。

 なにがなんでも夏月に勝たねば。そうでなければ翠月を守れない。そんな気持ちとは裏腹に、世子は純粋に夏月に邪魔をされたことが気に入らなかった。

 正々堂々と狩りで勝負をしない兄に、どうしても勝ちたかったのだ。





 世子の落馬の知らせを聞いて、翠月もまた、居てもたってもいられなくなり、世子を探して走り出す。

 だが、ひとりで走り出した手前、誰がどこにいるのかさっぱりわからない。

 昔は遊び慣れていた林であったが、ここ何年か来たことはなかった。故に、林のなかは迷路のように翠月を翻弄した。


「どこ、どこなのよ」


 はあはあと息を切らして、衣の裾を破きながら走る翠月だが、どうやらみなとはぐれたのは間違いなさそうだ。

 こんなことならば、誰かと一緒に行動すればよかった。宦官を振りほどいて走り出すんじゃなかった。

 いつもそうだ、自分は浅はかで、後悔ばかりなのだ。


 泣きたくなる。


 世子が負ければどのみち翠月は罰を受けるが、そんなことはどうでもよかった。今は、世子の安否のほうが先である。


「……え?」


 びゅん! と、矢が翠月の右ほおを切り裂くように飛んでいく。翠月の前方の気の陰に、夏月の姿があった。

 そして、翠月の後ろには、大きな猪が一匹。

 夏月の矢が猪に見事に当たり、猪は一発で仕留められた。


「そなた、正気か?」

「あ……」

「このような山奥で、弓矢も使えぬおなごが」

「私……」


 いまさらになって、翠月は自分がだいぶ危険な状況にあったことを知り、その場に腰を抜かした。


 生きている。助けてもらった。


 翠月にはなにがなんだか分からない。

 もしも今、夏月が猪を射止めなかったら、翠月は確実に死んでいた。

 そもそも、この林がそんな恐ろしいところだとは思わなかった。こんな場所に世子を連れてきて、万が一なにかあったらと考えると、自分の浅はかさが恨めしかった。

 その場に座り込みはらはらと泣き出した翠月に、だが夏月は同情も優しくもしてやらない。


「立て」

「……ひっく」

「立て! そなた、それでも許嫁か?」

「私、は!」


 震える足に力を込めて、翠月は立ち上がった。いまだ腰も抜けているし、うまく立てていないに違いないが、それでも翠月は、意地を見せた。

 立ち上がり、夏月を思い切りにらむように見据える。夏月もまた、翠月のほうをじっと見ている。


「私、好きで許嫁になんかっ!」

「ほう、それはわたしではなく秋月に直接訴えるんだな」

「……あなたはっ、なんであなたは世子さまの兄君なのに、世子さまを敵対視するのですか」

「……分かり切ったことでろう」


 夏月は馬をゆっくり進めて、翠月の元まで歩かせる。そうして翠月の横まで来ると、その手をぐっと引っ張りあげて、自身の馬の上へと乗せた。


「や、私、一人で帰れます故」

「そなた、まだ分からぬか。この林は獣が数多いる。食われるのがおちだ」


 翠月は馬から下りようとするが、だが暴れることはしなかった。先の件で学習したのだ。世子と馬に乗ったとき、暴れて落とされそうになったこともあり、馬を驚かせないようにと、夏月への抵抗がうまくいかない。


 そうこうしているうちに夏月は馬の手綱を引いて、走り始める。こうなってしまえば翠月の抵抗など無駄に等しい。

 いくら翠月とて、走っている馬から飛び降りるほどの胆力はない。


「そなた、わたしが王族と知ったとたんに態度を変えたな」

「……それは……」

「だが、案ずるな。あのときの私は王族ではなく両班として町に出た故。全て不問に付す」

「……え?」


 意外であった。翠月は夏月の意外な一面を垣間見た気がして、思わず夏月を振り返った。

 だが思ったよりもすぐ近くに夏月の顔があり、翠月は驚き再び前を見る。

 馬は走り、狩りの最初の地点へと向かう。翠月はただ、黙って夏月に抱きかかえられるようにして、馬に乗っていることしかできなかった。





 狩りの結果は、夏月の勝ちであった。

 夏月は大きな猪と、それからウサギを何匹か仕留めたが、世子のほうはなにも仕留めることが出来なかった。やはり、落馬した影響が大きかった。

 それに加えて、妙な圧力のせいで本領を発揮できなかった。この勝負に負ければ翠月が罰を受ける、それが世子の動きと思考力を鈍らせたのだ。


「ははは、秋月。わたしの勝ちだな」

「兄上……ですが、兄上が牡鹿の狩りを邪魔しなければ、わたしにも勝算はありました」

「負け惜しみを」


 確かに夏月は世子が牡鹿を狩るのを阻んだ。だが、当の夏月はそれをひとつも悪いとは思っていないようだ。

 高らかに笑いを漏らして、世子を見くだし笑っている。

 世子は顔をゆがめる。まるで子供のようだと翠月は思う。夏月がではない、世子が子供のようだと思ったのだ。

 世子はまるで、兄である夏月に負けたことが不服であるように、いじけたように顔をゆがませたのだ。

 だが夏月にとっては、それこそが気に入らない理由なのだ。


「兄上。狩りには負けましたが、どうか翠月のことは……」

「ならぬ」

「兄上!」


 はて、と翠月は首を傾げた。先ほど夏月は、翠月のことは不問に付すと言ったばかりである。

 だがなぜ今度は、「ならぬ」と言うのだろうか。翠月に言った言葉は単なる戯れで、嘘で、からかったのだろうか。

 翠月は世子と夏月の間に割って入る。


「夏月さま。私のことは不問に付すとおっしゃいましたよね?」

「さあ、なんのことやら」

「……男に二言はないものではないのですか?」

「……そなた、わたしに口答えするのか?」


 夏月が翠月を見おろした。だが翠月は、一歩も引かない。、夏月を見上げて、まっすぐに、ひるむことなく。


「でも、先ほど夏月さまは私を許すとおっしゃいました」

「……はあ。そなた、やはり強気なおなごだな」


 夏月はやれやれ、と肩を竦めて、今度は世子のほうを見る。


「このおなごの件は水の流す」

「兄上? 本当ですか?」

「ああ。そなたも不憫だな。このようなおなごが許嫁とは。王さまもなにをお考えなのか」

「……っ!」


 今までならば、世子は夏月にどんな嫌味を言われても平気であった。自分が第二皇子でありながら世子になったことも、夏月になに一つ敵わないことも。

 それなのに、翠月のことを言われると、どうにも我慢ならない自分がいた。

 大きく息を吸い込んで、世子は夏月に目一杯の反抗を見せた。


「兄上にとっては『このような』おなごでも、わたしにとっては『唯一無二の』おなごです」

「……! そなた、兄に向かって口答えをするようになったか」


 忌々しそうに顔をゆがめて、だが夏月はそのまま踵を返す。これ以上は言い争う気はないようだ。

 馬に乗って、そうして宦官たちを引き連れて、夏月は去っていく。

 仕留めた猪とウサギを担がせながら、夏月は後ろ手に、


「わたしが狩った獲物はわたしの腹に収まる故、心配無用だ」

 それが翠月に向けた言葉だとは、誰も気づかなかった。





 夏月を見送って、翠月と世子も帰路につく。もうだいぶ日は暮れて、山道は暗い。

 翠月は今日一日の出来事で、世子が世子になりたくない理由を垣間見た気がした。


「わたしと兄上は仲がよくなくてな」


 訊いてもいないのに、世子のほうから話し始める。翠月はただ黙ってそれを聞くのみだ。

 馬の揺れが心地よい闇の中で、世子の声はよく聞き取れた。


「わたしは兄上になに一つ敵わない。なのに世子に選ばれた。本当ならば兄上が世子に選ばれるべきなのに。なぜわたしが……」


 世子は夏月が好きなのだ、兄として尊敬している。だからこそ、自分の力で打ち負かしたい。それができればきっと、世子は王の後継として自分を認められる。だが実際、世子はなにひとつ夏月には敵わない。

 だから世子は、自分は世子にふさわしくないと考えて、王宮から離れてあの簡素な屋敷に住んでいるのだ。

 思ったよりも根深い問題だと翠月は思った。だが、知ってしまったからには力になりたい、そう思いながら、ふたりで暗い道を、ゆらゆらと揺られるのだった。

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