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二、狩りに行きましょう①

二、狩りに行きましょう


 翠月が世子のもとに来てから一か月がたった。

 驚くことに、世子はこの一か月毎日飽きもせずに同じような書物ばかり読んで過ごしていた。

 よほど読書が好きなのだろう、とさしもの翠月も察するが、書物ばかりにふける世子は、まるで翠月のことなど気にかけない。存在しないかのように、翠月との会話もなければ、出掛けることもしないのだ。


 生来活発な翠月にとって、ここの暮らしはひどく窮屈であった。

 やることといえば世子の食事作りと洗濯、それから掃除くらいで、毎日毎日同じことの繰り返しに、そろそろ飽き飽きしてきていた。


「世子さま、世子さま」

「……その呼びかたはやめてくれと何度言ったら……」

「あっ、申し訳ありません。秋月さま」

「……なんだ」

「その……たまには外にお出掛けになられたらいかがですか」


 翠月は世子の机の前に座って、前のめりに言った。ちらりと世子の書物が目に入るが、難しい言葉たちは翠月の意識をすぐに削いだ。

 翠月は世子にキラキラとした眼差しを向けている。恐らく、いや、確実に、翠月は世子が自分の言うことを聞いてくれると踏んでいるのだろう。


 参った。


 ゆきずりで翠月をこの屋敷に住まわせたものの、世子は実際、翠月のことなど無視して、いつも通りの生活を送ってきた。日がな一日書物にふけるのが世子はなによりも好きだ。


 だが翠月はそうはいかなかったようだ。暇潰しになればと翠月にも書物をいくつか渡してあるのだが、てんで興味を示さない。それどころか、暇だと世子に嘆くように、外へ出ようと促した。


 正直に言うと、世子は後悔していた。憐れみからであったとしても、翠月を側に置いたことはあまり世子にはよろしくないことであったようだ。

 書物をぱたりと閉じて、世子は翠月を見た。


「そなたひとりで出掛けてきてよい」

「え……あ、でも」

「なんだ?」

「……わたくしひとりで楽しんできては、世子さ……秋月さまに申し訳ありません」


 翠月はどうやら世子のことを気にかけているようだが、それはお門違いだ。世子は翠月が外に出掛けようが、羨ましいとは思わない。

 だがどうやら、翠月は世子を差し置いて自分だけ出掛けることに抵抗があるようだ。

 無意味な気遣いだと思いつつも、世子は翠月の優しさを踏みにじるのは気が引けた。


「ならば……狩りに出掛けるか」

「狩り……?」

「野山で鹿や猪を狩るのだ」


 世子は弓を引く動作をして翠月に説明するが、翠月は「いけません!」と声を張り上げた。

 びくっと世子が驚き体を震わせる。翠月はハッとして、世子に恭しく頭を下げ、謝った。


「も、申し訳ありません。おなごがかように声を荒らげてしまい……」

「よい。しかし、なぜ駄目なのだ?」

「そ、れは……無為な殺生は……」


 もごもごと翠月は言葉を濁した。

 確かに翠月とて鹿や猪の肉は食べる。ゆえに、動物を殺すなとは言えない立場にいる。だが、王族方は食べるため以外にも、娯楽として狩りをするのだと翠月も知っていた。

 逃げ惑う動物たちを追いかけ殺して、なにが楽しいのだろうか。

 世子は翠月の意図が分からず、首をかしげている。

 翠月はおずおずと下げていた頭をあげて、ようよう声を振り絞り、付け加えた。


「動物たちとて必死に生きております。娯楽の一貫で命を奪うのは……わたくしは賛成できかねます」

「必死に……?」


 どうやら世子には意外であったようで、翠月の言葉を何度か口にして繰り返した。

 世子にとって動物の命は、そこら辺の草花と同じである。きれいな花は摘まれて死んでいく。動物たちもまた、自分の意のままに死んでいく。それがずっと、当たり前だったのだ。

 なるほど、平民と王族とでは考え方がまるで違う。

 世子は頷き、そうして翠月の言葉を肯定した。


「そうだな。目から鱗であったが、確かにむやみに殺生をするのはよくない」

「……はい」


 はぁあ、と翠月から力が抜ける。どうやらよほど緊張していたようだ。

 無理もない、世子に口答えするなど、打ち首になってもおかしくないくらいだ。

 だが翠月は、あえて口にした。命の尊さは人間や動物に関係なく、等しいものだと世子にも知ってほしかった。


「世子さ……秋月さま。それでは、狩りは狩りでも紅葉狩りなどはいかがでしょう」

「紅葉狩り? 紅葉を狩るのか?」


 まるで的はずれな言葉に、思わず翠月は吹き出してしまう。世子は笑われたことにムッとして、翠月にジト目を向けている。

 翠月は慌てて笑いをこらえ、そうしてコホンと咳払いをしたのちに、説明する。


「紅葉を見に行くことを、紅葉狩りと言うそうですよ」

「紅葉を……確かに今頃は見頃だろうな」

「はい。木々のしたを歩くのは胸踊ります」


 翠月がうっとりと紅葉を想像し、その場に顔をあげた。まるでこの部屋が林であるかのように、翠月は創造力を働かせる。

 世子には、翠月がなにを見ているのか分からない。同じように紅葉の林を想像するも、それはうまくいかない。どうやっても小さな部屋から世子は出られずにいた。

 さて、翠月がそれほどまでに焦がれる紅葉はどれほどきれいなものなのだろうか。

 世子はがぜん気になってしまう。


「翠月。それでは、紅葉狩りとやらに出掛けるぞ」

「本当ですか? ふふ、では、わたくしの秘密の場所に案内してさしあげますね」


 心底嬉しそうにする翠月に、世子までもが多幸感に包まれる。

 これが普通の、庶民の生活だというのなら、どんなに尊いことだろうか。世子はそんなことを思いながら、身支度を整え始めた。


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