第一章 肆.
「ここまでで皆さんからの質問はありませんか?」
オレと一緒に船から降りた亡者の一団に説明を行っていた天人が、一人一人の顔を見回しながら言った。
頭に花を咲かせた綺麗な顔がこちらを向いたときに、思いきって尋ねてみた。
六道の一番上の天道に辿り着いたらゴールなんですか?
「いいえ、天道に生まれた天人たちも、まだ輪廻転生の迷いのなかにいます。ワタシもまた六道の巡礼であることに変わりはないのです」
一番上に上がっても天国には行けないのですか?
「輪廻の中にあるものは、すべからく生れて老いて病んで死にます。天人は夜空の星々と同じくらいの長い寿命がありますが、それでもいつかは老いて病んで苦しんで死ぬことに変わりはないのです。
生とは苦しみを重ねることです。苦しみの末に漸く生を終えたとしても、転生して別の生を受け、また苦しんで生き、苦しんで死なねばなりません。それが輪廻の鎖です」
生きることは苦しいのですか?
「生きるとは穢土に暮らすことです。泥にまみれ、醜いものを見、苦しみに苛まれるのが生きるということです。しかし、蓮はそんな穢れに満ちた泥沼の底から芽吹き、綺麗な花を咲かすのです。
蓮の葉の上で悟りを得て、生、老、病、死の四苦より自由になれたなら、輪廻の鎖から解き放たれ涅槃の境地へと歩めるでしょう。それがあなたの言う天国かもしれません」
ちょっとオレには難し過ぎてよくわかりません。
「実はワタシもよくわかってないんですよ。なにしろ、ワタシたち天人は永劫とも言える寿命のせいで、死を迎えるということが、きちんと実感できているとは言えませんからね。先ほど述べたことは全部ブッダ様からの受け売りなんです。天人たちの中から、解脱した者が現れたなんて話も聞いたことがありませんから」
そ、そうなんですか?
「天人は長い寿命の末に五衰を迎えるまでは、天界で毎日を享楽的に、なんの憂いもなく過ごし、生きる苦しみとはまるで無縁の存在なのです。それゆえ六道の巡礼たちのなかで、もっとも恵まれた境遇にあるのがワタシたち天人だとも言えますから、輪廻を重ねて天道にまで上がれたならば、それなりに満足できるゴールに辿り着いたと考えても間違いではないでしょう。
さて、それではお待ちかねガラポンタイムですよ。あちらのガラポン会場へお移りください」
気がついたらオレたちの後ろには、また別の船から降りた亡者の群れが、所在なさげにうろうろとしていた。急いで場所を空けてあげないとね。
「カス」、「カス」、「再生」、「カス」、「カス」、「カス」、「カス」、「カス」、「カス」、「カス」、「カス」、「カス」、「カス」、「再生」、「カス」、「カス」、「カス」、「カス」・・・
さっきとは別の天人が、愛想の良い綺麗な声でカスカスカスと連呼してる。
紅白の鯨幕で囲われたガラポン抽選会場には亡者たちが列を作り、己の順番がくると、手回しハンドルのついた六角形の箱のような抽選器をガラガラガラと回転させる。そして頭に綺麗な花を咲かせた天人にカスと叫ぱれてた。
うーん、シュールだ。
それにしてもカスと再生しか入ってないのかな、あのガラポンは?