第三章 15.魔獣遣い (前編)
「ごめんね、サーラ先生。ずっと付き合わせちゃって」
「大丈夫なのじゃ。それに妾がダルタと一緒に行きたくてついて来たのじゃ」
「でも、何度も行ったり来たりでサーラ先生も疲れたんじゃ……」
「なあに、旅をしていれば、このくらい動き回ることはよくあるのじゃ。それに家族のことを心配するのは当り前なのじゃ」
「……ありがとう、サーラ先生」
月に照らされた〈参道〉を強化した脚力で南に向って走り続ける。
街路の石畳にカツンカツンカツンカツンと靴音が響き、暫く後に漸くまた南門の前の広場に到着した。
ん? 何か変だ! 静か過ぎる!
「門を守っていた衛士たちはどうしたんだろう? 城壁の上にも誰もいないみたいだ!」
「蜘蛛たちに市街に入られてしまい、皆で追って行ったのではないかや?」
「それにしても大門に見張りを一人も残していないなんて……」
――その時、門前広場に面した路地の一つで闇が蠢いた。
「そこにいるのは誰だ!」
「おーや? 子供じゃないか! こんなところで何をしているのかい? 態々蜘蛛に喰われに来てくれたのかな?」
異形だった。
全身に闇に溶け込む黒いローブを纏い、深く被ったフードから覗く顔には、赤や黄色や黒などで毳毳しく彩られた、牙を剥く恐ろしい虎の面を着けていた。
そしてまだ成虫でこそないが、今まで見てきたのより一際大きな羅刹蜘蛛の背に跨っていた。
「蜘蛛に乗っているじゃと? そうか、オヌシが此度の騒動の元凶と言う訳なのじゃな、魔獣遣いめが!」
「ワハハハー。これはこれは、過分な褒め言葉を戴き恐悦至極というもの。ワレは元凶などとは程遠い、ただの魔獣遣いに過ぎぬわ、ドワーフの娘よ」
「土矮夫では無いのじゃ、この無礼者が!」
「クファハハハ、噂通りだ。何故かドワーフはドワーフと呼ばれるのを嫌うのだな、面白い!」
「こっ、このー!」
「おい、お前、ここにいた衛士達はどうしたんだ? 後からの加勢も含めて、何十人もいたはずだ!」
「さてな、おそらくは、私の可愛い蜘蛛達の腹の中だろうさ! 今夜は好きなだけ食べても良いと許可したからな」
こ、こいつ! 衛士達と一緒に父さんもいたんだぞ!
頭蓋の中で脳味噌が怒りで膨れ上がった気がした。もう我慢出来なかった。
「うおおおおっー!」
怒声と共に駆け出し、剣を抜いて振りかざす。ルマン様との武術の修練などすっかり忘れて、力の限り滅茶苦茶に斬りつけた。
キン、キン、カン、ガキン!
だが蜘蛛の長く硬い脚に阻まれて、僕の剣は虎の仮面の曲者には届かない。更に猛攻を掛けるも、蜘蛛の方が手数が多く、鋭い爪で反撃を食らってしまい、手傷を負って飛び退った。
「うわぁーっ」
胸に迫る蜘蛛の長い脚の先の爪を、つい、バックラーを持ってるのを忘れて左腕で受けてしまい、前腕が袖の上からざっくりと切り裂かれてしまったのだ。
オーン アグニマーヤー スヴァーハー!
更に追撃をかまそうとしていた蜘蛛に火球が放たれ、慌てて仮面の男が蜘蛛を後退させる。
「貴様、魔法を使うだと!? うぬ? その尖った笹穂耳に褐色の肌! まさか幻のダークエルフだとでも言うのかー!」
「妾は土矮夫でも堕悪エルフでもないのじゃ!」
アグニ スヴァーハー!
サーラ先生が短縮詠唱で更にもう一発、火球を放って大蜘蛛を後退させ、その隙に倒れていた僕を引き起こした。
「大丈夫かや、ダルタ? しっかりするのじゃ。自分で治療は出来るのかや?」
「う、うん、大丈夫。すぐに治せるよ」
負傷した場所に右の掌を当て、切り裂かれた肉と皮膚を〈再生〉する。体内は元からプラーナが充満してるので、失われた血液と体力もすぐに回復した。
「解ったじゃろ、ダルタ? 無闇に斬りつけてもあの大きな蜘蛛の脚に阻まれて、仮面の男には剣は届かんのじゃ。ここは妾と連携して攻撃を仕掛けるのじゃ。行くぞ、ダルタは左からじゃ!」
と耳元で囁くなり、サーラ先生が右手に向って走り出した。
アグニ スヴァーハー! アグニ スヴァーハー!
大蜘蛛に乗った仮面の男の右側に回り込み、サーラ先生が短縮詠唱魔法で放った火球が二発、続けざまに仮面の男を襲う。
仮面の男は蜘蛛を操り火球を避けようとするが、男を乗せた羅刹蜘蛛は俊敏さを発揮出来ず、蜘蛛は身体の側面に火傷を負い、男もローブを焦がしていた。
「ううぬ、このチビっ子ダークエルフめ、まさかこれ程の魔法の手練れだとは!」
「ダークエルフではないと言っておるであろ!」
「フン、短縮詠唱による連続攻撃には驚いたが、先程の一発目の火球よりは小さくなっているぞ。どうやら連続しての短縮魔法発動では然程の威力は出せないようだな」
「それはどうじゃろな?」
インドラーヤ スヴァーハー!
短く唱えられた雷神のマントラによって光の速さで稲妻が走り、仮面の男を蜘蛛ごと包み痺れさせた。
雷撃の威力は弱くとも、仮面の男の動きには一瞬の遅滞が起こり、そこに僕が剣を構えて背後から襲いかかった。
強化された脚力で大きく飛び上がり仮面の男の頭上に剣を振り下ろす。一瞬の遅滞の後に機能を取り戻した蜘蛛の目が後背の敵を捉え、身を捩った。
仮面の怪人は栗本薫御大の某百巻越え大作の勝手にオマージュです。
あれ最初は硬派なヒロイックファンタジーだったのにだんだんラノベ化しちゃって……それでも130巻まで買わせてしまう御大は偉大。
後編はこのあと金曜日の零時に投稿します。