第三章 4.刻の鐘
ジーク兄さんと狩りに行く約束をした太陰日の朝。僕は町の南大門でジーク兄さんを待っていた。もうすぐ開門時間だ。
カーシナラの町の中心部を東西に街道が通ってるため、一番人通りが多いのは東門と西門なんだ。街道――町の皆は大通りと呼んでいる――沿いに大きな建物が並び、商店や宿屋も多い。
町の北側にある神殿への参道と大通りが交差している中央広場では、毎朝荷車が並べられて市場が開かれてる。店舗を持たない小規模商人が小間物を並べたり、近隣の農村から農民が野菜や薪などを運んできて並べて売ってるんだ。
僕は昨日から実家に帰っていたので、家から南大門まではすぐ近くなんだよね。両親にラハンの先輩に狩りに連れていってもらう話はしてあるし、もちろん用心のため神官服を着ているよ。
いつもの白と黄色の神官服ではなくて、野外活動の時にラハンが着る濃紺の神官服だけどね。この神官服を来ていれば、町の出入りで大門の衛士に止められることもないそうだし。
初めての魔獣狩りだし、今日は念入りに革製の胸甲を着けて、腰の剣帯には父さんに作ってもらった剣を吊り下げ、剣帯に付いてるフックに小丸盾を取り付けて、しっかりとした革の靴を履き、背嚢を背負ってる。お弁当も入ってるよ。
父さんには、たくさん獲物を狩れるように弓矢を持っていけと言われたけれど、ラハンは戒律で弓矢は使えないと言ったらがっかりしてた。父さんは弓が得意で、時々、森に入って鳥や兎を捕ってくるからね。
遠くからカーンカーンとかん高い鐘の音が聞こえてきた。これは神殿の朝のお勤めの時間を知らせる水のニ刻の鐘だ。町の大門の閂が外される開門の時刻でもある。
ここの南大門を守る衛士たちが忙しく動き出して、大きな扉を押し開け始めたよ。
一日の時間帯を地水火風の四つに分けて、さらにそれぞれを三等分して鐘を鳴らす。
日の出に水の鐘がカーンと一回鳴るとみんな目覚めて一日が始まる。水の鐘がカーンカーンと二回鳴ると、町の門が開き、商人たちや職人たちは仕事を始める。神殿では朝のお勤めの時間だ。
太陽が天頂に昇ると、火の鐘がカランコロンと一回鳴り、お昼ご飯の時間だ。火のニ刻の鐘がカランコロンカランコロンと鳴ると、だいたいの人は午後の仕事を始める。
風の一刻の鐘がゴーンと鳴れば一日の仕事を片付け始め、家の外で働いてる人たちは帰宅する。神殿では夕刻のお勤めの時間だ。
風の鐘が日没に合わせてゴーンゴーンと二回鳴らされると、町の大門も閉められ閂が掛けられる。だいたいの庶民は、この風のニ刻の鐘までには夕食を済ませてしまうんだ。蝋燭やランプを使うとお金がかかるからね。
子供は普通、ベッドの中でゴーンゴーンゴーンと鳴る風の三の鐘を聞くことになる。
夜の間も神殿の刻の塔では地の鐘が鳴らされてるのだけど、この鐘は分厚い革の袋を被せて鳴らすので、低い重い音でドーンと響くんだ。たぶん神殿近くに住んでる人でなければ、この鐘の音を聞いたことのある人は少ないと思う。僕も神殿暮らしを始めてから初めて地の鐘の音を聞いて、びっくりして夜中に目が覚めちゃったよ。
刻の鐘は塔に一つあるだけだけど、内部に鉄のベロを吊るしたり、革の帯を巻き付けたり、革袋を被せたりして、地水火風の鐘の音色を変えてるんだって。
刻司の神官様は高い塔に登ったり降りたりで大変だって聞いた。
日の出に水の一刻の鐘が鳴り、日没に風のニ刻の鐘がなる。もちろん季節によって昼夜の長さが変わるので、夏と冬では一刻の長さも変わってくるし、昼間を七分割、夜を五分割しているわけだから、昼間と夜の一刻も、午前と午後の一刻も同じ長さにはならないらしい。
刻の鐘は仕事始めや終業の合図、待ち合わせの約束などの、大まかな時間の目安に使われているので、一刻の長さが午前と午後でちょっと違っていても然程困りはしない。
でも鍛冶場の炉の加熱時間とか、粉挽き場の作業効率を比べたりとか、一定の時間を計る必要のある人たちも居るわけで、そういう時に使われる砂時計がある。初代マチュラ王が制定したという砂時計だ。
一日を二十四等分して基本時間を定め、砂時計に目盛りをつけて、「一時間」「半時間」「四半時間」の経過が分かるようになってるらしい。
また、お師匠様のダーバ様によると、何千年もの天体観測の積み重ねで季節ごとの太陽の運行は確定されており、季節毎に少しずつ変化する日の出や日没の時刻に合わせて時を刻む〈刻計り〉の魔導具が神殿にはあって、鐘を打ち鳴らすのに役立てられてるんだそうだ。
ちょっと難しくて何を言ってるのかよく分からなかったけどね。
さらに一説によると、大昔は昼間も夜も同じ六刻ずつになるように太陽は動いていたそうだけど、夜に属する神々と昼に属する神々がサイコロ双六で領土を奪い合った結果、昼は七刻、夜は五刻に決まったらしい。
その結果に不満を持った夜の神々がブッダ様に訴えて、今度はカードゲームで、一刻の時間の長さのやり取りをすることになったんだってさ。
カードゲームで夜の神々が優勢になると夜の一刻一刻が長くなり、季節は冬になる。逆に昼間の神様が盛り返してくると、夜の一刻は削られて徐々に短くなり、反対に昼間の一刻が長くなって季節は春から夏に向かうんだって。
このブッダ様が決めたカードでのやり取りにも不満が溜まってきたら、次の試合は神々の殴り合いになるんだそうだ。世界は割れて粉々になってしまうとか、全てが焼き尽くされてしまうのだとか。……神様って怖いよね。
「おはようダルタ、待ったかい?」
南大門から町の外に出る人の列に並んでると、後ろから声を掛けられた。
「おはようジーク兄さん。僕も鐘のちょっと前に来たばかりです」
ダルタ兄さんも昨日から休みだったはずだけど、農村の実家には帰らずに、町中で過ごしてたみたいだ。門の外で待ってるのかなと思ってたよ。
「昨夜はラハン棟の自室に泊まって、朝の水の一刻に神殿を出て来たんだ。村の実家からだと距離がありすぎて、約束の水のニ刻鐘に間に合わないからな」
「すみません。せっかくのお休みなのに、実家の家族に会いに帰れなかったなんて……」
僕に実戦の経験を積ませるために、せっかくのお休みの日に実家に帰れなかったとか、申し訳なさすぎるよ。
「そんなに気にするなよ。最近は季節に一度くらいしか実家には戻ってないし、私もダルタと一緒に狩りに行けるのを楽しみにしてたんだ」
「僕もジーク兄さんと一緒に狩りに行けるのを楽しみにしてました。僕は町を出るのは今日が初めてなんですけど、ジーク兄さんと一緒なら安心だって、家の人も言ってました」
「よし、じゃあ出発するか。ダルタの初めての狩りだし、家の人が心配しないように、日暮れまでには帰らないといけないからな」
ジーク兄さんと二人で南大門を越えた。ジーク兄さんも僕と同様に、濃紺の神官服の上から革製の胸甲を被り、剣帯にブロードソードを吊り下げて、腰にバックラーを付けて背嚢を背負っている。
衛士の人はジーク兄さんとも顔見知りなのか、笑顔で手を振って送り出してくれた。
大門の外はちょっとした大きさの広場になっていて、荷車に薪や野菜を積んだ人たちでいっぱいだった。
日没の閉門に間に合わなかった旅人は、ここで野宿をするのだそうだ。周囲には大きな木は生えていない。町の近くの木は煮炊きに使うため、疾うの昔に町の者に伐られてしまったらしい。
町の近くで森が残ってるのは、神殿の御神体の丘がある周辺だけだそうだよ。あそこは大昔から森の伐採が禁じられているからね。
城壁の周辺にはろくに木も生えてないし、家や畑もなかった。城壁のすぐ外は、敵が攻めて来たら踏み荒らされてしまうから畑は作らないし、敵が隠れられる遮蔽物となるといけないので、小屋などを建てるのも禁止されてるんだってさ。
週一回くらいの投稿でと思ってましたが、時間があると思うとつい余所様の人気小説を読み耽ったり、遊び呆けてしまって自作のストック作りが進まなかったり――昔から宿題は提出期限ギリギリまで手をつけないスタイル――なので、週二回投稿にしてちょっとセルフ追い込みを。
次話は日曜日の夜に投稿予定です。