第一章 5.ギフトの修練
〈再生〉のギフトはわりとありふれたギフトだという。もちろん誰もがギフトを持って生まれてくる訳ではないので、そういう意味ではギフト持ちであるだけで、両親がブッダに感謝の祈りと歌と踊りを捧げてしまうくらいには希少なのだけど。
「ギフトを持ちを集めれば十人のうち四、五人くらいは〈再生〉のギフト持ちがいるものじゃ。珍しいギフトであるとは言えないが、鍋の穴を直したり包丁や鋏をよく切れるようにしたりと、使い勝手の良い、人の役に立つギフトじゃから大切に育てることじゃな」
髭もじゃの神官様、いやお師匠のダーバ神官様はそう言ってギフトの修練の方法を教えてくれた。
ダーバ神官様は、内心では僕のギフトがとんでもない珍しいものなんじゃないかと期待してたと思う。なにしろブッダの天啓を得て僕を弟子にとることにしたくらいだし。ちょっと失望させちゃったかな?
年明けから神殿に通い始めた。冬でもこの辺りでは気温は冷え込むが天気が崩れて雪や雨が降ることはあまりない。
からっと乾燥した、身が引き締まるような冷たい空気のなかで、字の読み書きに、経典の祈り文句の暗唱、体力作りのための鍛練とギフトの修練を続けた。
今日も神殿の裏庭の陽のあたる場所で、頭上にふよふよと泳ぐ黄色い金魚を乗せたまま、コロコロコロコロ泥団子を丸める。
遊んでるんじゃないよ?
この泥団子が乾いてきて表面に細かい罅が入ってくるのを、〈再生〉のギフトで修復するのが修練なんだ。水で濡らした指ですりすりしちゃえば、すぐ簡単に直るような小さな罅割れだけど、これを手を触れずに、くっつけくっつけと念じながらギフトで直す。
なかなか大変なんだよ?
修練をしながら、時々、神殿の裏手の丘を眺める。金魚も丘が気になるのか、頭の上で丘の方を向いていることが多い。
あまり高くはないけど裾野が切り立っていて、まるでお椀を臥せたような形に見える。登ってみたいけど、実は神殿の御神体になってる丘で立ち入り禁止なんだって。勝手に人が入り込まないように、棒を持った神官様が毎日交代で丘に通じる道に立ってる。
丘の中でブッダ様が瞑想しているとかなんとかの伝説がある、ってお師匠様が教えてくれた。
そんなこんなで冬は終わり春が訪れ、木々の若葉も濃い緑となり初夏になった頃、僕は八歳の誕生季を迎えた。
この国の庶民は、誕生日をいちいち記憶していたりはしない。生まれた季節を迎えると年齢が一つ増える。みんなそれで事足りている。
乳幼児の死亡率が高い社会で、次々に赤ん坊を産んでも七歳頃まで無事に育つのは、そのうち一人か二人だけという厳しい世界なんだ。誰も子供の生まれた日をいちいち覚えていたりはしない。
僕のうちも子供は僕ひとりだけだけど、本当は姉さんや妹がいたのかもしれない。
詳しくは聞いてないけど、母さんが小さな女の子の産着や服を何枚も大切にとってあり、時々、無言で眺めているのを僕は知ってる。