夏だからって何か進展するのは間違いだと思います(切実
事の発端はアユムに出会うもう少し前の頃だった。
長男で次期当主として幼少の頃から教育を受けていた兄が、父から任されていた領地の視察をしている最中に、魔物に襲われたのだ。
この魔物の襲撃により、兄の下に仕えていた数名の騎士が殉職。
魔法使いとして、騎士と共に戦った兄も利き腕を失う大怪我を負った。
幸い、命は助かった。
ただし、如何に魔法が優秀と言えども、食い千切られた右腕は戻らなかった。
次期当主として期待された兄はこの件ですっかり消沈してしまったらしい。
自らの采配ミスで優秀な部下を失い、利き腕も失った兄は、次期当主の座を誰かに譲りたいと申し出たのだ。
これには父も困った。兄は非常に優秀だ。将来は三大貴族の子息達を押し退け、大臣の席に座る事もそう遠くない未来であろうとまで言わしめた秀才である。
故に人の命を目の前で失うような失敗を、経験した事が無かった。
この魔物襲撃事件により、ポッキリと心を折られてしまった兄のあまりの消沈ぶりに、父も母も無理強いは出来ないと判断した。
少なくとも、心が癒えるまでは兄を当主にする事は難しい。
貴族と言うのは何かと精神力を要求される立場だ。我慢と閃き、頭の回転、知識。様々な事を必要とする。
これを引退するまで、行使し続けるのだ。これには強い心が必要だ。
それが弱っている兄に、当主を任せるのは酷であるし、家を守る事を考えれば、危険だ。
いつどの世の中にも、弱ったところに付け込む悪どい輩は多くいる。
それが大貴族の当主ともなれば、そういう輩からすれば宝石よりも眩い金塊の塊に見える事だろう。
その為、父は兄を一旦次期当主の座から退け、他の兄弟達から、次期当主を擁立しようと考えているのだ。
しかしまぁ、これが困った事に適任がいない。
次男坊はとんだ放蕩息子で、金銭の関わる勘に関しては凄まじいものがあるが、人間的に問題がある。
弟の四男はまだ若過ぎる。まだ18歳とやんちゃの盛りだ。
そして、俺は既に家を出て、警邏隊の一隊員として働いている。
この中で一番の候補は誰か。そう問われると自分でも堅実に働いている三男坊を選ぶ。
父も同じように俺に打診をして来たのだ。家に戻り、当主としてやってくれないか?と。
その話に俺は当初から渋い顔で対応するしかなかった。
何せ元より期待などされてない三男坊。生活するには十分な教育を受けさせて貰ったし、今の仕事に就くにも多少の口利きがあったのは事実だ。
家のコネで入ったとは言え、警邏隊という仕事にはプライドを持って臨んでいたつもりだ。
おかげさまで、先輩達や上司からも評価してもらってる。
やりがいも出て来て、これからと思ったタイミングにこれだ。
ハッキリ言って、俺は貴族の生活と言うものが苦手だ。
貴族の生活は非常に窮屈で、基本的に家の外に出ることは許されない。腹の探り合いも多く兄弟や親子でさえ時に敵となる。
慣例や決まり事、マナー、ルール。挙げればきりがないほど、貴族社会と言うのは物凄く小さな箱庭だろう。
俺はその中に押し込められるのがどうにも嫌で、家を出て自分で働いて地に足を着いた庶民同様の生活につくことにしたんだ。
変わり者と言われている自覚はある。それでも自分には合わないと判断してここに来た。そしてそれは正しかったと認識している。
ただ、アユムに惹かれることになるとも、父からの催促が思っている以上に執拗に来ていることが俺の予想外だった。
恐らく、あの手この手で俺に催促して来る父の頼みは押し通されることだろう。そうすれば、俺はそう遠くないうちに貴族社会に引き戻されることになる。
アユムは元勇者とは言え、貴族社会には関心もつながりも無かった立場。王城を追われた身ともなれば貴族と関わることはほぼなくなるだろう。
それに、彼女は根っからの庶民気質だ。忙しいながらも、あの食堂【グレンツェン】での生活を楽しんでいるし、保護者であるアルマンさん、ココリネさんとの関係も良好。
それらの関係を引き裂き、自由が似合う彼女を無理矢理に身動きの取れない貴族社会に引きずり込みたくはない。
彼女と言う華が似合うのは広大な花畑だ。決して狭く小さな温室の中じゃない。
いずれ貴族社会に戻される俺のそばに彼女は置いておけない。
だが、彼女の元から離れたくない俺がいるのも事実。彼女を裏切りたくないのも事実。
「……俺は、どうすれば良いんだろうな」
結局のところ、これもすべて言い訳なのだろう。本当にいい男なら、全てを投げ捨ててでも彼女を選び、そして幸せを掴む。
俺には、それを出来る自信がない。それを言い訳がましく隠しているだけに過ぎないのだと思う。
一体どうすれば良いのかも分からないまま。俺は自分の無能ぶりに自嘲することしか出来なかった。




