水晶ノ猫
「おーい!」
観客席で数人の男女が、下のフロアにいる赤いドレッドヘアの男に向かって手を振っている。その男は彼らの声に気づくと、彼らに向かって大きく手を振り返し、それと同時に心を落ち着かせた。
初めて出場する日本大会だからと言って別段緊張などしなくていいのだ、と。この騒々しい観衆の声など無視して、いつも通り目の前の敵と友人達の声だけを認識すればいいのだと。
男は歩を進め、橋を渡り円形のリングの上に堂々と立つ。
そして既にリングに上がっていた対戦相手に向かって不敵に笑うと、自らの能力を発動した。
「咲き散らせ!荒華!』
男の周りに無数の花弁が散る。その花弁は一つに纏まると男の周りで波打ち始めた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「はじまったねー」
清水は、リングの上で能力を発動した嶋本を見るや否や肩口まで伸ばした髪を後ろでまとめながら隣にいる茶髪の男、荒木と、丸坊主の大男、小野に向けて話しかけた。
荒木と小野は、清水の言葉に答えずに静かにリングを見ていた。
リングの上で能力を発動しているのはまだ嶋本のみ。相手の能力を見るまでは集中を切らす事は出来ないのだ。
「全く、あんたらが戦うんじゃないんだからそこまで集中しなくてもいいのにー」
逆に清水は妙にキョロキョロと周りを見渡している。それは戦いが始まるまで暇だからというのもあるがもう一つ理由があって。
「ねー、浦田くんどこに行った?」
一緒に来ていたはずのもう一人の友人、浦田の姿がどこにも無いのだ。
彼は嶋本の一番の友達の筈なので彼の試合を見ない訳がないのだが、それ故にこの場に居ないことが奇妙。清水が試合が始まったにもかかわらずキョロキョロとするのも納得できるほどに妙なのである。
「俺は知らへん」
「俺も知らないな」
荒木と小野は素っ気なく返した。
それは試合に集中している現れなのだろうが、その様子がどこか冷たく感じ、清水は若干の苛つきを乗せながら言葉を発した。
『二人とも酷くない?』
清水の言葉を聞いた二人は少し顔をしかめ、片手で頭を抑える。
小野は仕方ないといった様子で、清水の言葉に返事をした。
「アホ、俺らのコレは浦田を信頼しとるからほっといとるんや。アイツは絶対に嶋本の試合をぞんざいには扱わへん。そう思っとるからこんな風に試合を見とるんや。やから清水、お前こないなとこで能力使うな」
小野の言葉を聞き、清水は自分の考えの浅さを恥ずかしく感じた。それを反省してか、今度は謝罪の感情を乗せて言葉を発する。
『そっか、ごめんね』
そう言うと清水も試合に集中し始めた。リング上では嶋本の対戦相手がちょうど能力を発動した瞬間だった。
だが、相手が氷で羽を作り出したのを見ても清水が集中しきる事は出来ない。
浦田がどこにいるのか。
それが気になって仕方なかったのである。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
嶋本の試合が始まる少し前。
歓声が上がっている会場を背にして、水晶の玉を片手に持ちサングラスをかけている青年がキラキラと光を反射している猫を傍らに置きながら森の中で佇んでいた。何かを待っているのか、チラチラとスマートフォンの時計を見て時間を確認したり、傍らの猫に話しかけたりしている。
「なぁ、クリスタルキャット。ここであってるよな?」
クリスタルキャットはニャアと鳴いて青年の言葉に返事をした。青年はクリスタルキャットに向かって一度微笑むと、正面を向きなおす。この後くる筈の人物を警戒しているのだ。
と、その時。先程までなかった気配が現れた。
おそらく警戒していた相手だろうと青年が手に持った水晶の玉を覗くとそこには背後から蹴りを放ってくる見知らぬ男がいるではないか。
慌ててその場を離れると、その数瞬後に背後に男が現れ先程まで青年がいた場所に蹴りを放った。
「ありゃ、何で避けられた?絶対入ったと思ったんだけど」
男は頭をぽりぽりとかくと、青年を真っすぐと見つめた。
「お前の能力か?」
普通ならそれに答えるはずがないのだが青年は男の問いに軽く答える。男は返答があると思っていなかったのか、目を丸くしていた。
「ああ、僕の能力。水晶に未来を映す能力なんだ。それで君の攻撃を避けた。正式名称は『水晶ヲ覗ク猫』って言うんだけど、それって猫の名前としては何かアレじゃん?だから僕はクリスタルキャットって呼んでる」
そう言うと青年は足元にすり寄っていた猫を抱きかかえた。
その猫が、彼の能力なのだ。
能力名、水晶ヲ覗ク猫。
水晶の玉に未来の事象を映し出す能力で猫の形をしている、動物系統の能力である。
「つうことはその猫が能力か。にしても未来視だと?ったく、俺も運がねえな」
と言っても、男が聞いている限りの青年の能力は戦闘向きではない。彼が運がないと言ったのは、青年の能力が時間を長引かせるのに長けていると言う点だ。
男にとって今この瞬間は時間が命。一刻も早く嶋本の妨害をしなくてはいけないのだから。
「君の名前、聞いてもいい?」
青年は猫を可愛がりながらそう聞いた。目の前の青年が何を考えているのか、男はそれが全く分からなかったが、とりあえず出方を伺ってみるかとその問いに答えた。
「福田だ。下の名前は必要ねえな」
福田が苗字しか言わなかったのには訳がある。青年の能力の何かしらでフルネームを使う必要があるのかを確認するためだ。
フルネームが必要なのなら、苗字だけしか答えていない男の下の名前を、回りくどくだろうが聞き出そうとしてくるだろうし、特に必要ないのなら要らないと言うはずだろう。
それが青年を倒す事に繋がるかと聞かれれば微妙と答えるが、福田にとっては何かしらのとっかかりが欲しかったのだ。
「ああ、必要ない」
故に、福田は青年の答えに静かに歓喜する。少なくとも、フルネームが必要になるような強力な能力はもうないのだと理解したのだから。
福田はすぐに勝負を決めようと決意した。すぐに勝負を決める事ができると自分を鼓舞した。
「ちなみに、僕の名前は浦田和馬だよ。同じ田だねー」
そうだな、と福田が返事をする。そして足に力を入れて蹴りの準備をすると・・・
「ああ、そういえば君の目的だけど、嶋本の邪魔をする事で」
あってる、と言いきる前に浦田は横に跳ぶ。次の瞬間には、やはりと言うべきか、先ほどまで浦田の頭があった場所を福田の足が高速で通過した。
浦田が水晶を見ていた気は全くしないが、それはあのサングラスで視線を隠しているせいだ、と福田は予測する。ならば、あのサングラスさえ外す事が出来れば浦田の隙をつく事ができる、そこで水晶を奪うか砕くかすれば浦田を完全に無力化できる、と。
「おいおい危ないな。今の完全に殺すつもりで蹴ってたよね?」
浦田は自分のペースを崩さずに喋り続けた。少しずれたサングラスを指で正しながら、福田を見つめていた。
福田の目的は、浦田の命ではなかった。
衝撃で浦田のサングラスを外す事ができるのではないかと考えていたのだが、予想通り避けただけでもサングラスがずれている。ならばこの作戦で行けると福田は確信し、浦田を見つめる。
浦田の瞳には何が写っているのか、見つめられている福田にはサングラスが邪魔でそれが分からなかった。
「こっちも嶋本の試合が始まる前にあん中に入らなくちゃいけないんでな、早めにカタをつけたいと思ってる」
と、言いながら福田が力を込めた瞬間、福田の目の前に水晶の玉が写り込んでくる。慌てて仰け反って避けるも、驚きで一瞬思考が停止してしまう。
なぜ、水晶が飛んできたのだ。
浦田の能力である水晶ヲ覗ク猫は飛んできた水晶を受け止める事など出来ないだろうし、当たり前だが浦田自身が投げた水晶を受け止めるなど、福田の様に瞬間移動ができない限りは不可能だろう。
ならば、なぜ投げた?
福田の頭は、その考えで占領された。だが、その疑問はすぐに解決することとなる。
福田は浦田を正面に捉えた。
そこでは、水晶ヲ覗ク猫が水晶の玉を生み出している最中だった。
福田はなるほどと納得し、それと同時に自らの先入観を責めた。敵が自分の能力を全て教えるはずがないのだ。
水晶ヲ覗ク猫は、水晶を生み出す能力と水晶に未来を写し出す能力の二つが組み合わさった能力。
別段、動物系統の能力が能力を二つ持っている事はない訳じゃない。能力である動物が近くにいなければ発動する事ができない、動物の世話をしなくては死んでしまう、それらの制約があるのだから、それくらいあってもいいだろう。強力な能力には、制約がつきものなのだ。だから動物系統の能力には強めの能力が多いのだけど、詳しい事はここでは割愛。
戦闘が始まってから福田の頭の中には能力が二つある可能性が全くなかった。その事を反省しながら、福田は奥の手を発動する。
無力化が不可能だとすれば、全力で叩き潰すしかない。
「走れ!影顔!」
福田の能力は、視界にある影の上に質量を持たない真っ黒な分身を作り出し、その影と自分の位置を入れ替える事ができると言うもの。その分身は、最大で十二まで作り出す事ができる。
「うわ、これはやばいかも」
浦田は水晶を次々と福田に向かって投げながら、福田の能力が発動する直前にそう言った。浦田には福田の狙いが分かっていた。そして、それが発動してしまえば回避する事などできないであろうことも。
浦田が走り出す。走ってその場を離脱する。
それに対し、福田は追う事をしなかった。
当たり前だ。福田の目的は嶋本の邪魔なのだから、浦田が逃げるのなら別にそれを追う必要は無いのだから。
しかし、それと同時に福田はすぐに嶋本の元に向かう事も出来なかった。福田の目的は浦田も分かっているのだから、福田が向かおうとすれば浦田がそれを止めようとするのは必然。それに加えて浦田の能力は未来視だ。どう足掻いても遭遇するだろう。
故に福田は身動きはできても大きく移動する事は出来なかったのだ。
その時、殺意、とまでは行かないが確かな敵意を感じて、福田は避けた。すると福田の肩を水晶玉がかすめたじゃないか。
ここで、福田は一つ疑問を抱く。それすなわち、なぜ未来をみて避けた先に水晶を投げないのか。
水晶を連続して作り出せないのか、それとも単純な身体能力の不足か。
どちらにせよ、福田はこれはつく事ができる隙だと認識した。
福田は走る。走り、今水晶が飛んできた方向に向かう。
水晶が福田に向かってどんどんと飛んでくる。福田は分身をいくつか作り、それを使いながら水晶が飛んでくる茂みに向かっていった。
茂みから浦田と猫が飛び出して、福田と逆の方向に走りだす。
追う必要はない。だが、自由にさせては大きな障害となる。
福田はそう判断し、浦田を排除すると決めた。浦田の進む先の影に分身を数体作り出すと、さらに浦田を囲む様に12体の分身を作り出した。
「終わりだ、浦田」
福田は、全ての分身を浦田に向けて走らせた。そして、その分身一つ一つと、連続して入れ替わる。
これで、浦田が福田の攻撃を予知していたとしてもすぐに別の分身と入れ替われば攻撃を入れる事ができるだろう。
十二の分身と一人の本体が浦田に集まっていく。入れ替わりながら、浦田の目の鼻の先まで近づいている。
浦田は猫が作り出した水晶を手に持つとどんどん投げているが、その水晶は影にあたることもなく、なんの抵抗もなく影を貫通して地面に衝突し、砕け散っていた。
そして・・・全ての分身たちは浦田の周囲に密集すると、消えた。正確に言うなら、福田が消した。
分身が消えた後に残っていたのは、福田が浦田の首を絞めている状況だった。
「カ・・・ハ・・・」
どれだけ浦田が苦しそうにしようとも、福田が手を緩める事はない。
そんな中で、浦田は苦しそうにしながら口角を上げた。
「これ・・・が・・一回目・・か」
なにやら悪い予感がして直ぐに福田から離れる。だが、その判断も少し遅くて。
「逃すな、クリスタルキャット」
次の瞬間、二人は水晶に包まれた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「なるほど、こうやって終わるのか」
浦田は水晶の中に写り込んでいる事象を見て、そう溢した。彼の正面数メートルの所では、福田がプルプルと震えている。
浦田がそんな福田に向かって声をかけようとした所、福田の方から浦田に向かって叫んできた。
「おい!なんだこれは!」
「あははーなんだろうねー」
浦田は真面目に受け答えない。ヘラヘラと笑いながら、福田の質問を受け流す。
「おい!真面目に答えろ!何故!俺はさっきここに到着したばかりなのに!戦った感覚があるんだ!」
浦田はヘラヘラと笑う。福田の必死の形相を見ながら、ヘラヘラと笑い続ける。
「僕は水晶の中に未来を写し出すんだ」
なら、と言うと、浦田は笑いを消して真っ直ぐに福田を見つめると、サングラスを外しながらこう言った。
「水晶の中の事象は全て未来になると思わないかい?」
福田の背中をぞくりとした悪寒が駆け回る。
「お前、何、だよ。その目・・・」
サングラスの下の浦田の目は、透明だった。
透明な水晶だった。
浦田は福田のその反応に、少し悲しそうになった返した。
「これね、言うならばクリスタルキャットの制約、かな」
そして福田は、圧倒的な焦燥感に襲われた。それは、既に動物という制約を持っている動物系統の能力者が更に身体的な制約も持っているという事からくるもとだった。
制約の重ねがけなど、福田は聞いた事がない。
「君みたいな普通の人は光の反射を目視している、つまり現在に限りなく近い過去を見ているだろう?僕は逆。クリスタルキャットのせいで現在に限りなく近い未来を見ているんだ」
浦田はどこまでも悲しかった。
この目のせいで、小さい頃からいじめられ、違うものだといわれ、ハブられてきた。
だからだろうか、この様に能力を細かく説明するのは。みんなと一緒なのだと伝えたいから、細かく説明しているのだろうか。
そんな過去があるから、敵であろうとも突き放すような反応をとられると心を抉られるように感じるのだ。
「クソがァァ!!!」
福田はナイフを懐から取り出して浦田に向かって攻撃した。十二の分身を使って、全力で殺しにかかった。
それは、成功した。
実際に、福田のナイフは浦田の腹に深く刺さった。
そして、再び水晶に包まれた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
一体何回、繰り返したのだろうか。福田の精神は既に限界を迎えていた。
何度も何度も同じ人間を殺すのは、殺す側にとってもとても凄い負担なのだ。
だが、今回も始まる。新しい過去が、新しい始まりが、古い未来を捨て去って始まってしまう。
「結構辛そうだね」
だが、それは浦田にとっても同じだった。殺す側と同等の、もしくはそれ以上の負担が浦田にはかかっている筈なのだが、浦田はその様子を外に出さない。殺され慣れているのだ。
嶋本の邪魔をしようとしている人間は、福田だけではない。
その全ての敵に対して、同じような手を使って撃退しているのだから、数百数千回死亡している。慣れなければ心が壊れていた。
「そろそろ、終わらせるね」
浦田は無数の水晶の玉を作り出すと、空中に浮かばせた。これは、浦田が隠していた、水晶ヲ覗ク猫の能力の一つだ。水晶ヲ覗ク猫は作り出した水晶を操ることができるのだ。だから特に野球などの経験がない浦田が正確に福田に向かって水晶を投げる事ができたのだ。そして、水晶の生成速度も福田の前ではわざと遅くしていた。
全ては、このタイミングで倒す可能性を上げる為に。
浦田は、空中に浮かばせた水晶達を猛スピードで福田に向かわせた。水晶達はまるで流星群の様に福田に降り注ぐ。
大きく土埃が上がり、辺り一帯が土色に包まれた。
そしてその土埃が晴れると、先程まで福田がいた場所には大きなクレーターができていて、福田の姿はどこにもなかった。
「おしまいだよ」
浦田はサングラスをかけると、嶋本が試合をする会場に向かっていった。
一刻も早く、嶋本の試合を見なければいけないのだ。なにせ、嶋本は浦田の恩人なのだから。
嶋本は、ハブられていた浦田の唯一の味方だった。彼がいなかったら浦田は自殺をしていたかもしれない。
そんな中で味方になってくれた。だから、浦田は全力で嶋本の味方をするのだ。応援をするのだ。
「おいで、クリスタルキャット」
浦田はクリスタルキャットを呼ぶと、走り始めた。クリスタルキャットもそれに並走する。
浦田が時計を確認すると、嶋本の試合はもう既に始まっていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
浦田が観客席に着いた時には、嶋本は花弁を操って宙を浮く敵と戦っていた。
浦田はすみませんと言いながら自分の席に向かう。
「ごめん清水、今どんな感じ?」
浦田が来たことを確認した清水は少し怒りながら状況を説明してくれた。
「全くどこ行ってたの?今ね、嶋本くんが相手に一発当てて、そしたら相手が宙に浮いちゃったって感じ。まだ始まって直ぐだから早く見よ!」
浦田は席に座って嶋本の試合を見始めた。
嶋本は、花弁で作った荒波を操って氷の羽で空を飛んでいる相手に攻撃している。
中々当たらないが、嶋本が勝てない気がしなかった。
だって、相手はまだ一度も嶋本に攻撃を当てていないのだから。防御に手一杯で、攻撃に転じることができていないのだから。
浦田は膝の上で丸まっているクリスタルキャットを撫でながら、嶋本の試合を見続けた。
この調子なら、絶対嶋本は勝てるだろう。