ちょっとしたチートな話
「邪魔だ…どけ…」
目前の炎の塊に、男はぽつりと呟いた。
背後でへたり込むキャラバンの子供達は、その光景に言葉を失っていた。ただじっと見ているだけだった。
赤いマントが荒野の乾いた風にたなびき、黒いポロシャツと深い紺色のズボンが煌々と照らされる。
「す…すげえ…」
「なんてこった…」
他の大人や若者達も、それ以上の言葉が出ない様だ。
これ程の大きな炎は、魔法ですら見た事が無い。
炎が消えた跡は、大きな穴として残っていた。
数十体の魔物の痕跡は全く残っていない。
「おじさん、一体何したの…?」
子供達が興味津々と言う顔で訊いて来た。
「別に…ただのファイアーボールだ」
20代後半か30代前半と思しき男は、事も無げに言い捨てた。だがそれはやはり、大人達にとっては驚愕の事実だった。
ファイアーボールは通常、手の平に収まる大きさの筈だ。しかも呪文か発動する魔法の名称を唱える必要が有る。
しかし、彼はそんな事をせず、ただズボンのポケットに手を突っ込んだままで創り出したのである。
それも、子供達の視界を覆う程の巨大な炎の壁を、だ。
それは、襲ってきた数十体の魔物を残らず焼き尽くし、地面に大きな穴を開けた。
「本当に、有り難う御座います」
「別に良いさ」
大人達に怒られ、しょんぼりする子供達を一瞥した男は、表情を変えずに背を向けた。
偶々居合わせただけである。近くに居たので、魔物達も序でに襲って来たのだろう。
「振り掛かった火の粉を払っただけだからな」
またも言い捨てる様に呟き、余韻に浸る事も無く、歩き始めた。眼前に広がる街に向かって。
男の噂はたちまち広がった。
何せ街の目と鼻の先で起こった出来事だ。目撃者も一人や二人では無い。
宿を取ろうとすると、うちがうちがと煩いので辟易した。
結局街の端に有る安宿を取ったが、例のキャラバンもこの宿を取っていたので大騒ぎになった。
「ねえねえおじさん!」
「お名前なんて言うの?」
「魔法見せて見せて!!!」
四方八方からマントや服の袖を引っ張られ、身動きが取れない。
「こらこら、魔術師様がお困りだろう」
「だって~」
「ぶ~」
大人達が窘めるが、子供達の中にキャラバン以外の者達が交ざっているのは何だろうか。恐らくこの街の子供達だろうか。
まあ気にしたら負けだろう。
「別に…名乗る程のもんじゃ無い」
「「え~!」」
子供達だけじゃ無く外野の連中の声も聞こえたが、男は無視して大部屋の一番奥に引っ込んだ。
翌朝、男は街の出入り口に来ていた。
街の人間が何人か、遠巻きに彼を観察している。
男はそれを気に留めず――気付いてはいるのだろうが――地平線の向こうをずっと見続けていた。
暫くして、一つの影が、地平線の向こうから空を駆けて来た。
男が徐に腕を前に伸ばすと、それは彼の腕に止まった。
「!!」
「ガ…ガーゴイル…!?」
背中から蝙蝠の翼を生やした子鬼の姿は、紛れも無く魔物の一種だ。
男はガーゴイルと何事か話し合うと、ふうっと息を吹きかけた。
その瞬間、ガーゴイルは煙の様になり、男の付けていた指輪の中に吸い込まれて行った。
恐らく契約従者の類なのだろう。だがやはり目撃者達の衝撃は絶大であった。
「な、なあ、あんちゃん」
「…何だ?」
「い、今のって、もしかして…」
野次馬の一人が意を決した様に男に近づいた。
「…あぁ、俺の契約従者だが…」
「な、何してたんだ?」
「この先を偵察させてたんだ…旅を続けるには、情報収集は欠かせないからな」
やんやと湧く周囲を後目に、男はさっさとその場を立ち去ってしまった。
数日後、男は先日の出入り口に来ていた。
既に旅支度は終えている。
「いやあ、すっかり世話になっちまったな、あんちゃん」
「別に良いさ…物の序でだ」
宿屋の主人だけでなく、家族や従業員、例のキャラバンの連中も町の人間達含め、数十人単位で見送りに来ていた。
二日ほど前、再びやって来た魔物の群れを、男が一人でやっつけてしまったのだ。
更にこの街全体を覆う結界を施したと言う。曰く、数百年は効果が続くらしい。
「寂しいですなぁ」
「また来てくださいね」
「…まぁ、気が向いたら、な」
男は相変わらず無表情で呟くように応えると、荒野に向かって歩き出した。
「引き止めなかったのか?」
「そりゃ何度か頼んださ」
街の人間達が言いあう声が聞こえる。
「けどなぁ、旅が好きなんだと…一ヵ所に何日も留まるのは性に合わないんだとよ」
「へぇ~、もったいねえなぁ、あんな腕がありゃあ引く手数多だろうによぉ…」
そんな会話を、男は置き去りにして荒野に足跡を付けて行った。
世界の枠が一瞬揺らいだ。
どうやらまたこの世界に転移した者が居るらしい。
男はふっと笑みを零した。
この世界に生まれて数千年、世界中を旅してきたが、やはり異世界の話を聞くのは一番の楽しみだろう。
数年前に出会った若者は陽気に元の世界の事を話し、何着か持っていた服をプレゼントしてくれた。
今着ているのはその内の一組だ。ポロシャツとジーンズと言うらしい。
異世界から転移して来る理由は様々有る。
呼ばれた者、元の世界で命を失った者、中には時間を超えたり高位の魔法を駆使してわざわざ異世界から飛んで来た者も居た。
友情を結んで少し一緒に旅をした者、敵対した者、話すだけで別れた者…。
今度はどんな相手だろうか。
男は相変わらず無表情で、荒野の土を踏みしめた。