戻ってきた日常
その後気がつけば、私は大学の保健室で寝ていた。
なんでもミステリー研究会の手書き魔法陣に入った途端にぶっ倒れて、そのまま運ばれたのだとか。
「脈もしっかりしているし、軽い貧血でしょうって保健師さんが言ってくれたんだけど、二時間も目を覚まさないから心配しちゃったわ」
そう教えてくれたのは同じ趣味の友人弥香である。
二時間しか経っていないのかと、私は愕然とした。
あの異世界の出来事が、現実世界の私にとっては――――たったの二時間。
(濃すぎるでしょう)
もしもあれが全て夢だったのだとしたら、私の脳はものすごくハイスペックだとしか言いようがない。
(現代版盧生の夢? ……まあ、でも夢としか考えられないんだけどね)
あれが現実だなんて言う人がいたら、私は間違いなくその人を厨二病断定する。
自分をそうだとは思いたくないから、私は夢だと思うことにした。
自分がそんなに想像力が豊かじゃないだろうとか、思い出すたびに本当に失恋したみたいに胸が痛いとか――――あまり考えないことにする。
どんなに考えたって、もう私は帰ってきてしまったのだ。
夢にする以外、どうすることもできない。
それぐらい私にだってわかっていた。
そうすれば、戻ってくるのはありふれた日常だ。
大学に行って講義を受けて、友だちと遊んで。
サークル活動をしたりゲームをしたり。
トリップ前と何一つ変わらないそんな日々を私は続けている。
「美春、最近元気がないわよね?」
いつもの大学の昼休み。
一緒に食堂で食事をしていた弥香が、心配そうに私の顔をのぞきこんできた。
そんなことないとは言えない私は、当たり障りのない嘘をつく。
「……あ、はは。バレちゃった。実は今月お小遣いがピンチでね」
私の返事に弥香は呆れた顔をした。
「まだ月半ばなのに? どうせまたイケメンなんとかってゲームに課金したんでしょう。ホント、美春はイケメンに弱いんだから」
ゲームに課金などしていないが、イケメンに弱いのは本当なので反論はしないでおく。
異世界の夢を引きずっていて、ずっと元気になれないなんて話せるはずがなかった。それくらいならゲームのイケメンに入れ込んでいると思われていた方がまだましだ。
(あ~あ。私ってもっと切り替えの早い性格だと思っていたんだけどなぁ)
思わずため息が出てしまう。
そんな私の背中を、弥香がバン! と叩いてきた。
「もうっ! 元気出しなさいよ。……仕方ないわねぇ。じゃあイケメン好きな美春が一発で元気になるような情報を教えてあげる!」
弥香は元バレーボール部だ。鍛え上げられた腕力は女子の平均を軽く超えていて――――つまり、私の背中はヒリヒリと痛い。
恨みがましく睨めば、弥香は私の耳に顔を寄せ囁いてきた。
「ここだけの話。外国語学部にものすごいイケメンの若い教授が入ってきたんだって。女子が殺到して講義が混乱するから噂を広めないようにって注意されるくらいのイケメンらしいよ」
それは、以前の私なら飛び上がって興奮するような話だった。
「……ふぅ~ん」
しかし今の私は、まったく興味がわかない。
(どんなイケメンだって、リュシアンくらいイケメンのはずがないもの)
例え百歩譲って、その教授がリュシアン並みのイケメンだとしても、リュシアン本人でないならば私には意味がない。
「もうっ! 美春ったら、ホントにどうしちゃったのよ? いいからこっそり見に行きましょうよ! この時間なら研究室にいるかもしれないわ。近くで見られるチャンスよ」
弥香は勢いよく椅子から立ち上がった。
時刻は昼休みが半分過ぎた頃で、私たちと同じように昼食を食べ終えた学生たちもあちらこちらで立ち上がっている。
そのせいか、周囲はざわざわと騒がしかった。
「いいよ。あんまり興味ない」
「もう! 美春ったら――――」
ガタン! ガタン! キャァ、キャア! と本当に周囲はうるさい。
(いつもこんなに騒がしかったかしら?)
これでは満足に、悲しみに浸ることもできなかった。
「――――美春」
弥香には悪いが、図書館にでも行って一人になろうと思う。
(私には失恋を癒す時間が必要なのよ)
「――――美春」
「悪い、弥香。私ちょっと図書館に――――」
行ってくるわね、と言おうとして私は顔を上げる。
「美春」
先ほどからずっと呼ばれていた名前が、もう一度呼ばれた。
低く艶やかな、男の人の声で。
私はポカンと口を開ける。
「……へ?」
「美春、やっと会えた」
ものすごい美形が、私の顔を見て心底嬉しそうに笑み崩れていた。




