帰還
国王はリュシアンの興味を惹く者として、魔族が惹かれてやまない“異世界人”を召喚した。
たまたまそれが私だったのだがつまりはそれは、私じゃなく他の誰でもよかったということだ。
(そんなの嫌だもの。大切にされたって嬉しくなんかないわ!)
むしろ大切にされればされるほど、私の心は傷つくはず。
現に今だって私の心は、ズキズキと鈍い痛みを感じていた。
認めたくはないが、私はリュシアンが私ではなく異世界人が好きだったことに傷ついているのだ。
(嘘つき! 私が好きだって言っていたのに、好きだったのは私じゃなく“異世界人”だったんじゃない!)
心の中で私はリュシアンを詰る。
口に出したら恨み辛みが止まらなくなりそうだから、グッと我慢するけれど。
リュシアンは、困ったように額に手を当てた。
「う~ん。そうじゃないんだけどな。……確かに最初に惹かれたのは“異世界人”の君だけど、俺はそれだけで相手にのめり込むような性格じゃないよ?」
期待を持たせるような言葉は言わないでほしい!
ギン! と、リュシアンを睨みつければ、彼は「まいったなぁ」と頭をかいた。
「きっと、何をどう言っても、君は信じないんだろうね?」
「当たり前でしょう!」
信じてやっぱり違っていたら、私は今よりもっと傷ついてしまう。
例え一時信じられても、今の状況ではこの疑念が完全になくなることはないだろう。
きっと何かの折に疑念は再び湧き上がり――――私はそれをぬぐえない。
そんな負のスパイラル、絶対ごめんだった!
どんなにリュシアンが美形でも、万能魔族でも――――絶対、絶対、受け入れられない!
私は自分が弱いことをよく知っているのだから。
リュシアンは、フ~ッと大きなため息をついた。
「なら仕方ないね。君が元の世界に帰る意志を変えないのなら、俺には引き止められない。……ものすごく不本意だけど、帰してあげるよ」
あっさりと引き下がってくれた。
「へ?」
思わず間抜けな声が出る。
「聞こえなかった? 帰してあげるって言ったんだよ。それともやっぱりここに残ってくれる?」
私はブンブンと首を横に振った。
あんまり勢いよく振ったせいでふらついてしまったくらいだ。
リュシアンがクスリと笑みをこぼす。
「言っただろう? 君の意志が一番だって。残念だけど俺にはそれを覆すことはできない。――――まあ、世界の一つや二つ滅ぼすくらいの覚悟でやれば、やってやれないことはないけれど……それだと美春に徹底的に嫌われてしまいそうだからね」
当たり前である。
世界の一つや二つなんて、冗談でも言ってほしくない。
ブルリと体を震わす私に、リュシアンは優しい声をかけてきた。
「君のことは間違いなく帰してあげるよ。……その代わり、別れのキスがほしいな」
とんでもないことを言い出した。
「キ、キスって!?」
「それくらいいいだろう? 俺は動けないから君の方から俺の元に来てキスしてよ」
自分の足を上げ、ジャラリと鎖を見せつけるリュシアン。
私は、ジト目で彼を睨んだ。
「………………本当に? キスしたら、本当に本気で私を帰してくれる?」
「俺の真実の名――――リュシアン・レイクガリア・マルブランシュ・エアファ・ローグにかけて誓う」
――――長っ! 魔族の名前、長っ!!
長い名前は国王だけではなかったらしい。
「……覚えられないから、リュシアンだけでいいわ」
ブスッと呟けば、リュシアンはプッと吹き出した。
「ああ。本当に残念だよ美春。…………それで、キスはしてくれるの?」
私の頬はカッと熱くなった。
こんなことには慣れていないのだから仕方ない。
キスだって――――パパやママにしたことを除けば、ファーストキスだったりする。
たぶん私の頬は真っ赤になっているだろう。
そう思いながらコクリと頷いた。
(だって、そうしなければ帰してもらえないんだもん!)
心に言い訳して、転送台を降りる。
笑顔で待つリュシアンの元に一歩一歩近づいた。
「………………このままじゃ届かないわ。か、屈んで、目を閉じてくれる?」
彼の真正面に立って、そう頼んだ。
相変わらず美形の顔は迫力満点で、目でも閉じてもらわなければ、自分からキスなんてできそうもない。
リュシアンは黙って目を閉じた。
背を曲げて、私の方に顔を近づけてくれる。
長い黒髪がサラリと肩から滑り落ちた。
近くでよく見れば、美しい髪は痛んでいて整った顔にもかすり傷がついている。
服も汚れていて、そういえばリュシアンはついさっきまで牢屋に入っていたのだと思い出した。
魔族でも強い力を持つという彼が、抵抗もせずに濡れ衣をきせられ牢に入ったのは、全て私のため。
(きっと、私が地球に帰った後で脱獄でもなんでもして抜け出すつもりだったんでしょうけれど)
「帰したくない」とか言いながら、それでもリュシアンが最優先してくれるのは私の無事なのだ。
力を制限されている中で、取ってくれた行動に私は応えたい。
(……ええいっ! 女は度胸よ!!)
心の中で叫んだ私は、リュシアンの頭を両手で抱え、形のいいその唇に――――自分の唇を、くっつけた!
想像以上に柔らかい感触に、ドキドキドキと心臓が壊れそうに早鐘を打つ。
たまらず目を瞑ってしまった。
私がキスをした瞬間、リュシアンがピクッと震えたのが伝わってくる。
でもそのままジッとしていてくれるから、私もしばらく動かずにいて――――やがて、ゆっくりと唇を離した。
目を開ければ、そこには驚いたように紫の目を見開くリュシアンの顔がある。
「………………てっきり、頬かおでこで誤魔化されるのかと思っていたよ」
なんとも失礼な言い草である。
「失礼ね。好きだって告白された相手への最後のキスに、そんな誤魔化ししないわよ!」
「うん。やっぱり美春だ。……ますます帰したくないな」
私はパッとその場から飛び退いた。
慌ててパタパタと走って転送台の上へと戻る。
「や、約束だからね!」
そう怒鳴った。
リュシアンは、クスクスと笑い出す。
「ああ。残念だけど――――サヨナラだ。美春」
そう言って、転送装置に軽く触れた。
確か、転送装置の操作は二回。一回目は、私をこの世界から切り離す操作で、その後送り返す操作があるという。
(ということは、私はもうこの世界とは切り離されたってことなのかしら?)
表面上は何も変わらないように思えたが――――次の瞬間、リュシアンが何かを話し、しかし私はその声が聞こえないことに気づいた。
世界が切り離されているため、空気も断絶して音が伝わらないということなのか?
リュシアンもそれに気づいたのか、寂しそうに笑った。
片手を上げヒラヒラと振ってくれる。
私も手を振り返した。
「………………大好き。リュシアン」
最後だから――――もう会えないから、私は声に出す。
聞こえないはずなのにリュシアンは、嬉しそうに笑った。
口が動いて何かを話しかけてくれるのだが、読唇術のできない私にはわかるはずもない。
それでいいのだと思った。
(これ以上、リュシアンの言葉を聞いてしまったら覚悟が鈍るもの)
チカチカと周囲がきらめいて、瞬く光がリュシアンの姿を消していく。
――――いや、消えているのは私だろう。
きっと、リュシアンが二回目の操作をして、私が地球へと転移していくのだ。
(これで帰れるのね)
私はそう思う。
自分で望んだ帰還のはずなのに、心は何故か重かった。