お誘い
魔族としても規格外に強い力を持つリュシアン。
彼はどんなことでも可能な反面、どんなことにも心を動かされることがなかったという。
「俺にとって世界はあまりにもつまらないものだった。どんなに美しいものにも、どんなに醜いものにも、俺の心は少しも動かない。――――なのに美春を見た途端、心臓が勝手に鼓動を早めたんだ。グチャグチャの顔で泣き喚く君がたまらなく愛しくてどうしようと、生まれてはじめて動揺した。心を落ち着けるために、見る必要もないテオフィルの様子を確かめるふりをして離れようとすれば、君はますますしがみついてくるし――――あんまり嬉しかったから、その場で直ぐに『君を守る』という誓いを立ててしまったんだ」
熱く語るリュシアンの言葉に、私はドン退く。
私が滅茶苦茶怖がって泣き喚いていた時に、リュシアンは喜びに浮き立っていたということだ。
(やっぱり性格が悪いとしか思えないわ!)
私の心情に気づいているのかいないのか? リュシアンは饒舌に話を続けた。
「その後も、事件の捜査を口実にして君と一緒に行動すればするほど、君は俺を魅了してくれた。爆発で傷ついた俺を助けようとしてくれたり、そうかと思えば嫉妬させたり……いろいろなメイ推理で振り回してくれたのも楽しかったな」
今リュシアンの言ったメイ推理のメイは名推理ではなく、絶対“迷う”方の『迷』だろう。
確信して睨みつければ、リュシアンはうっとりと甘く微笑んだ。
「死神の名を持った魔族は人間の国では許可されたこと以外に魔法を使うことを著しく制限されている。脆い人間や人間の国をうっかり壊したらたいへんだからね。――――それさえなければ、俺はもうとうに君を攫って俺のテリトリーの中に閉じ込めていただろうな」
今回リュシアンが人間の国に来るに際し許可されたのは、狂いかけているテオフィルを看取ることとテオフィルに最期の望みがあればそれを叶えること。もっとも望みを叶えるかどうかはリュシアンの判断に任されているため、こちらは強制ではない。
このため、それ以外のことについては強力な魔法を禁じられているのだという。
「おかげで俺は、君を攫われたりした」
悔しそうにリュシアンは呟く。
私は――――それどころではなかった。
「攫って閉じ込めるって!? ……ま、まさかのヤンデレ!? ……私の意志を尊重するんじゃなかったの?」
私は大慌てで確認する。
「ヤンデレ?」と不思議そうに呟きながらも、リュシアンはニッコリ笑った。
「そうだよ。君の意志が一番さ。――――つまり、君が自ら同意して俺のところに来たいと言ってくれればなんの問題もないってことだよ。今はもう無理かもしれないけれど、この世界に来たばかりの君なら俺のことを信じて俺と一緒に来てくれたんじゃないかな? 君は俺の顔がずいぶん気に入っていたみたいだし?」
私は「グヌヌ……」と唸った。
まったくもって否定できないのが情けない。
リュシアンの力が制限されていて良かったとつくづく思う。
「今からでも遅くないよ。――――美春、俺と一緒に来ないか? この世界で俺は万能だ。君の望みはなんでも叶えてあげよう。宝石でも衣装でも美味しい料理でも、王侯貴族みたいな贅沢でも俺に不可能はないよ。……そう、君が望むなら月にだって連れて行ってあげる」
とんでもない美形が、甘く私に囁いてきた。
確かに本気を出したリュシアンならば、不可能はないのだろう。
私は――――呆れてため息をついた。
「お断りするわ」
「何で?」
何でなんて決まっている。
「そんな、なんでも叶うことなんて“つまらない”って、堂々宣言していたのは、あなたでしょう!」
ビシッ! と指さして指摘してやった。
リュシアンはキョトンとした顔をする。
次いで、ブハッ! と吹き出した。
「そう来るか?」
ゲラゲラゲラゲラ笑い出す。
はっきり言って、美形が台無しである。
魔族の笑いの沸点は案外低いのかもしれなかった。
「ああ。やっぱり美春はいいな。本気で帰したくなくなる。……ねぇ、冗談じゃなくこの世界に――――俺の元に残らない? うんと大切にするよ」
最初は笑いながら――――そして最後は熱っぽく私を誘うリュシアン。
その声は艶を帯びながらも真摯で、嘘をついている気配は何もない。
私は、先ほどより大きなため息をついた。
「残らないわよ。……だってあなたが惹かれたのは“異世界人”の私であって、ただの“私自身”じゃないもの」