美談の真実
テオフィルが掌中の珠のごとく大切に育て、結果、賢く優しくなった女性が、父王亡き後の国を放っておけるはずもない。
彼女は自分の幸福より国民の幸せを選んだ。
「国王さまがフラれたの?」
「ああ。陛下は『女王なんて辞めて自分と結婚してほしい』と頼んだのだけれど、前女王陛下は頑として頷かれなかったそうだよ。――――いろいろ脅かしたり宥めたり……最後には、なりふり構わず縋ったりもしたそうだけど、どうしてもダメだったと仰っていた」
あの美形陛下に縋られても断っただなんて、驚きだ。
私には、絶対無理である。
アシルも「すごいお方だよね」と感心した。
「陛下は『君が手に入らないのならこんな国、滅ぼしてやる』とまで仰ったそうなんだけど……前女王陛下は『あなたは絶対そんなことしないわ』と言い切られたそうだ」
『八割がた本気だったのだが』と国王は、アシルに話したという。
「苦笑されながらのお言葉だったけど、思わず背筋がゾッとしたよ」
言いながらアシルはブルリと震える。
私までなんだか寒気がした。
とにもかくにも信頼を失いたくなかった国王は、渋々彼女の女王就任を認める。
代わりに、絶対自分以外と結婚するなと命令したそうだ。
もちろん愛人など論外だ。
当然、前女王は頷かなかった。
「それでは後継者ができないからね」
せっかく女王になっても一代限りの女王では国の寿命を数十年延ばしただけで終わってしまう。
『ならば君の遺した国は私が引き受けよう』
国王はそう言ったという。
元々女王自身、両親の本当の子ではない。直系の王家の血など途絶えているのだからかまわないからと。
「――――私、国王さまは後継者のいなかった前女王陛下に依頼されて王さまになったって聞いたんだけど」
実際には、嫉妬した国王が自ら言い出して女王の結婚を阻止するために王になったのだ。
美談と思っていた話の真実に、私はがっくりする。
「国王さまと前女王陛下は、彼女が亡くなるまでとても仲睦まじくすごされたらしいよ」
「結婚したの?」
「いや。前女王陛下の即位で事情が変わってしまったからね。お二人が正式に結婚するためには再び魔族の国での手続きが必要だったんだ。……でも陛下は、自分が目を離した隙にまた何か起こったら嫌だからと前女王陛下の側を離れようとしなかった」
このため正式な結婚こそしなかったが、テオフィルと前女王は傍目も羨むラブラブぶりだったそうだ。
「陛下自ら『ラブラブだった』と仰ったんだ」
アシルは苦笑いでそう話す。
聞いていた私も遠い目になってしまった。
前女王亡き後、約束通り即位した国王。
その国王に、王妃の役割を果たすためだけの妃がつけられたのだが、妃に選ばれた女性は、自分が愛されるなんて欠片も思っていなかったそうだ。
「一番めの正妃さまよね?」
「ああ。彼女は自分の分をきちんと弁えていた」
目の前でラブラブぶりを見ていたのだから、当然だ。
ところが、妃にとって肝心なその”分”は、二番目に正妃になったアシルの母には何故か伝えられなかった。
「……悪意ではないと信じたいけど、あわよくば陛下の御心をもう一度得ることが出来ないかと考えた者がいたのだろうね」
国王がこの国を統治してくれる理由は前女王への想いのみ。
それでは心もとないと思った者がいたのだ。
得難い魔族の国王。
偉大なその存在を自国に繋ぐ鎖は多ければ多いほどいいと。
「その結果が私の母の悲劇だ。……そして、その悲劇を知る今の正妃さまは国王さまの愛を求めなかった」
確かに今の正妃の関心は、国王からの寵愛ではなく王妃としての仕事。
愛情なんて求めても無駄だと、彼女は知っている。
こう考えると、アシルの母は本当に可哀想だったとしか言いようがなかった。
周囲の思惑に、いいように利用されたのだ。
(許せないわよね)
私は、そう思う。
そして、もっと許せないのは、同じ失敗をまた繰り返そうとしていることだった。
私の脳裏に、側妃の顔が浮かぶ。
国王を一途に慕う彼女は、アシルの母の悲劇を教えてもらっているのか?
(たぶん知らない可能性が大きいわ)
どんなに酷い悲劇でも、人はそれを忘れることができる。
忘れるというそのこと自体は生きていくために必要で、ある意味幸せなことだが――――ただ、同じ不幸を繰り返してしまうという危険性を併せ持っていた。
それでなくても、もう何十年も昔の出来事なのだ。アシルのような当事者でもない限り忘れてしまうのは仕方ないことかもしれない。
(魔族みたいな長命種ならそんなこともないんでしょうけれど)
でも、それだからこそ魔族の国王の目に繰り返される人間の愚行は、どんな風に見えていたのか気になった。
四番目の妃から向けられる純粋な好意を、彼はどう受け取ったのか?
「陛下がお亡くなりになられたのは残念なことだけれど、でも、これでもう母のような悲劇は起こらないだろうね」
考え込んでいた私に、アシルはどこかホッとしたようにそう話しかけてきた。
「君にとっては災難だったけどね。陛下が生きておられれば落ち人の君が塔に入れられるなんて絶対なかったよ」
落ち人をとても大切にしていた国王。
彼が存命だったなら、私の待遇はかなり変わっていたはずだ。
もちろん、塔には入れられなかっただろうけど――――しかし、それはそれで別の危険がありそうだった。
(魅力的な研究対象なのよね? そんな存在になんて、間違ってもなりたくないわ!)
「まぁ、入れられてしまったものは仕方ないよね。……ああ、でも君が落ち人ならば、出られる可能性はあるのかな?」
アシルはそう言って考え込む。
「え? 私、出られるの?」
「……うん、そうだね。……たぶん大丈夫だと思う。食事が終わったら、塔の管理人に会いに行こう。きっと君を外に出してくれるよ」
アシルは笑ってそう言った。




