覚悟
暴行され望まぬ妊娠をしたアシルの母。
その後、彼女は絶望のあまり以前にも増して自殺未遂を繰り返すようになった。
どれほど止めても聞く耳を持たず、少しでも目を離せば窓から飛び降りようとし、外出を許せば川に飛び込みそうになる。
尖ったものは側に置けず、ついには体を拘束される事態となった。
狂人のようになってしまった元正妃。
あまりに哀れなその姿に、ずっと彼女に仕えていた侍女は思わず言ってしまったのだそうだ。
『……お体を大切になさってください! お、御身に宿っておられるのは……陛下の御子であらせられるのですから!』
――――まるっきりの嘘の言葉だった。
「正気の母ならば信じなかっただろう。……でも、既に母は狂っていた」
悲しみに心を壊していたアシルの母は、侍女の嘘を信じたという。
自分の体に愛する国王の御子がいるのだと思い込んだ彼女は、それまでとは打って変わって穏やかになった。
健康に注意しよく笑うようになり、つわりで苦しい中でもきちんと食事を摂取する。
何より周囲の侍女たちに優しくなった。
世話をされれば「ありがとう」と微笑み、様子のおかしい侍女がいれば「どうしたの?」と心を配る。
今まで己が悲しみだけに浸っていた彼女のあまりの激変ぶりに、誰も真実を告げることができなくなった。
「もしも本当のことを言ったなら、今度こそ母は死んでしまうと思ったと侍女は言っていたよ。心無い親族の中には、陰で『死んでしまった方がいい』なんていう奴らもいたそうだが――――それでも彼らには今の事態を引き起こした罪悪感もあっったんだろう。母の思い込みを面と向かって否定する者はいなかった。……みんな見て見ぬふりをしたんだ」
真実を告げるのは、赤子を出産した後がいい。
周囲は自然にそう決めて、腫れものに触るようにアシルの母を扱った。
そんな環境の中、ついに彼女は臨月を迎える。
男の子――――アシルを出産した。
しかし、この時アシルの母は四十一歳。
当然初産で、しかも彼女は妊娠中一時心身を壊していた。
万全の体調だとしても不安のある出産に……アシルの母は耐えられなかったのだ。
なんとか子を産み落としたものの、衰弱しベッドから起き上がることはおろか手を動かすことさえできなくなってしまう。
命をかけて産んだ我が子を、その手に抱くこともできず……それでもアシルの母は笑ったという。
「よ、かった。……陛下の、御子は……無事、なのね。……よかった」
我が子の――――いや、国王の子だと信じた赤子の無事を確認し、それだけを喜び、彼女は息を引き取った。
「――――それを聞いた時、私は堪らなくなったんだ」
報われないと知ってなお国王を愛した母も。
母を利用しようとして捨てた父も。
狂っていく母を助けられなかった周囲も。
――――そして、母を愛さなかった国王も。
「みんなみんな、一体何をしているんだと思ったよ。……揃いも揃って最悪だ。……だってそうだろう? 彼らの行為の結果として母は死に、かわりに産まれたのは最低な男の血を引く“私”なんだから」
アシルは唇を噛みしめる。
「……だから、自分が陛下の子供だなんて名乗り出たの?」
私の問いかけに、小さく頷いた。
「そうでなければ……私が、陛下の御子でなければ、母があまりに哀れだ」
もちろんアシルは、本当に自分が国王の子だと認められるだなんて思っていなかった。
彼の望みはただひとつ。国王に母の苦しみを知って欲しかっただけ。
どんなに母が国王を愛していたかを。
そして、どれほど理不尽な目に遭い……死んでいったかを。
「自分が子供だと名乗り出れば、陛下の注目を引ける。直接お会いできるなんて思ってもいなかったけれど、十五年前に母が死に、その後何一つ言ってこなかった私が、日記をもらった途端行動を起こせば、陛下は日記に何が書いてあったのだろうと思ってくださるかもしれない」
ほんの一言でもいい。
国王に言葉を届けられないかと捨て身の行動をアシルはとった。
直ぐに捕まり塔に入れられることになったのは、覚悟の上だ。
「それで、国王さまには会えたの?」
私の問いかけにアシルは静かに頷いた。
「ああ。お会いすることができた」
そう言った。




