悲哀
魔族だから。
人間ではないのだから、国王は自分を愛さない。
そう信じていたアシルの母の心は、無惨にも壊される。
人間でも国王に愛された先代女王の存在によって。
……ならば、自分が愛されないのは、単に国王に恋愛対象として見てもらえないからなのだ。
人間や魔族という種族の問題ではない。
愛されない原因は――――単に自分個人にある。
「その事実は、母を絶望させたんだ」
その日から毎日毎日泣き暮らすアシルの母。
周囲がどうしたのかと問いただしても、彼女は理由を話さなかった。
「母自身、口にして認めたくなかったのだと思う。同じ理由で陛下にも『幻影のことは、何も話さなかった』と日記には書いてある。幻影を見たことを話し、自分の思ったことを確認して、陛下にそれを認められたら『私は、死んでしまう』と、震える字で綴ってあるんだ」
アシルは、静かに下を向く。
「……フフ、おかしな話だよね。ある日の日記には『愛されなくて死にたい』と書いてあるのに、別の日には『悲しくて死んでしまうのが怖い』と嘆いているんだよ」
苦笑交じりにそう言った。
「そんなもの。恋に狂っている女性に、まともな発言を求める方が無理だと思います」
私がそう言えば、アシルは「それもそうかと」呟き、顔を上げた。
「泣き続ける母に、周囲の者はなんとかしてその理由を知ろうとしたそうだ」
アシルは話を続ける。
頑なに口を閉じていたアシルの母だが、その言葉の端々から、どうやら彼女が絶対に叶わない恋をしているらしいと、周囲の者は気づいたという。
正妃である彼女のしている叶わぬ恋 = 道ならぬ恋 = 不倫
そんな風に周囲が思ってしまったのは、仕方のないことだろう。
ほんのつい先日まで国王を崇拝し、熱烈なまでの愛情を捧げていた正妃の急な心変わりを訝しむ者もいたが――――それでも正妃の叶わぬ恋の相手が、夫である国王だとは誰も思わなかった。
(そうよね。不倫相手が夫だなんてあり得ないもの)
ここできちんと否定すればよかったのに、泣き暮れている正妃はそれすらもできなかった。
そのため、邪推は更に邪推を呼んで――――ついには、正妃の不倫相手まで具体的に囁かれる事態となる。
白羽の矢が立ったのは、アシルの母が正妃になる以前から仲の良かった遠縁の男だった。そこそこに容姿が優れ、しかし身分があまり高くない――――いかにも不倫相手になりそうな男の一人だ。
しかも、彼は噂を否定しなかった。
「その男が私の本当の父親のわけだけど――――父は、本気で母が自分に道ならぬ恋をしたのだと信じていたらしいんだよ」
アシルは皮肉気に顔を歪める。
要はアシルの父は自信家だったのだ。自分の見た目が女性に好かれるということを知っていた男は、正妃が自分に一方的に思いを寄せても不思議はないと思ったという。
「とんだ勘違い男ね」
私は心底呆れてしまった。アシルの父がどんな容姿か知らないけれど、国王より美形ということはないだろう。あの美形に勝てると思うなんて、身の程知らずもいいとこだ。
ともあれ、火も何もないところだったが、何故か噂が立ってしまう。
そして、噂の主の片方は泣いてばかりで何も語らず、もう片方も、話を否定しない。
(自分がそうかもと思っているんじゃ、否定するはずないわよね)
そうなれば、肯定したも同然だった。
ただでさえ噂好きの貴族の間で、前代未聞のゴシップが爆発的に広がる。
それに加えて、正妃が泣き止まぬことにより公務が滞り、いろいろ支障が出はじめた。
対策会議が行われ、幾度かの話し合いを経て――――最終的に国王は『それほど二人が想いあっているのならば、正妃の任を果たすのは辛いだろう』と、正妃解任の意を告げたという。
「まったくの誤解だったけど、母もこれ以上陛下のお側にいるのは苦しいからと、陛下のお言葉を受け入れたんだ」
だからといってアシルの母は、噂になった男と結婚する気などまったくなかった。
彼女は、一生国王を想いながらひっそり生きていこうと思っていたそうだ。
「日記に書いてあったのは城を出るまでだったから、ここからの話は、母の侍女から聞いた話なんだけど――――」
日記を読んで、その後が気になったアシルは、母の侍女を訪ね話を聞いたという。
侍女は、涙ながらにアシルに全てを教えてくれた。
正妃の地位を降り実家に帰ったアシルの母の覚悟を、当然と言えば当然だが、彼女の家族や親族は受け入れなかった。
結婚しないと言い張る彼女に「なんのために正妃を辞めたのだ!」と詰ったという。
正妃という女性にとって最高の地位を与えてやったのに、自らそれを捨てた彼女に対する不満もあったのだろう。
ついには、噂の相手となった男を焚きつけ、無理やり彼女を襲わせたそうだ。
既成事実を作り、体の関係を結べば諦めるだろうと考えたのだ。
しかし、そこで衝撃の事実が明るみに出る。
国王と白い結婚だったアシルの母は、当然のこととして清い体だったのだ。
ここで慌てたのが、襲った方の男だった。
彼は、突如「結婚しない」と言い出した。
「……なんで?」
私はわからず首をひねる。
男性にとって、結婚相手の女性のはじめてが自分だということは、嬉しいことでありこそすれ、厭うことではないだろう?
「あまりに最低すぎて言いたくないんだけど――――父が欲しかったのは、国王に愛された女だったんだ」
偉大な国王の愛した女。そんな存在を妻にできると思っていたのに、押し付けられたのは国王に抱かれたことのない形ばかりの正妃。
「陛下のご寵愛をいただけなかったような女は御免だと、父は言ったそうだよ」
「最低!」
私は思わず怒鳴ってしまった。
「同感だ。元々会ったこともない父だったけれど、この話を聞いた後は、顔も見たくないと思ったよ。……そんな男の血が私にも流れているのかと思うと、吐き気がする」
アシルも苦い口調でそう話す。
その後、悲壮な表情を浮かべ目をつむった。
「……無理やり父に抱かれた母は、ひどく錯乱し度々自殺を企てたそうだ」
彼女の愛したのは、国王ただ一人。
なのに、無残にも他の男に体を暴かれた。
それだけでも、我が身を儚み死を望んでいた彼女だったのに、更に残酷な事実が判明する。
彼女は、そのたった一回の暴行で妊娠してしまったのだった。
「私を身ごもったと知った母の絶望は、どれほどのものだったのだろうね」
目を開けたアシルの瞳は、悲しく揺れていた。




