確率二分の一?
「日記?」
なんで、そんな個人情報そのもののトップシークレットが、宝石なんかと一緒にあったのだろう?
「これは、私の推測なんだけど――――母は、自分の日記を陛下に渡そうとしたんだと思う。少しでも、陛下に自分の心を知ってほしかったんだ。残念なことに、陛下は母の渡した品になどまったく目を通さず、結果息子の私の手に渡ったわけだけど――――」
諦めを含んだ悲しい色をこげ茶の目が浮かべる。
「――――私自身も、どうしようかと迷ったのだけれどね」
自分を産んで直ぐに亡くなった母は、アシルにとっては見たこともない人だ。いくら形見の品とはいえ、そんな大して思い入れのない母の日記を読みたいとは思えなかったと、アシルは言った。
迷って――――少しだけならと、日記を開いたのだと。
「目を通した母の日記に書かれていたのは、信じられない話だった。……こんなことを若いお嬢さんに言っていいのかと思うけれど――――」
いったん言葉を切ったアシルは、窺うように私を見てくる。
やがて、躊躇いがちに口を開いた。
「――――母は、本当の意味では陛下の妃ではなかったんだ」
聞いた私は首を傾げる。
本当も嘘も、正妃は『妃』ではないのだろうか?
アシルは、少し顔を赤らめた。
「その……つまり、陛下と母の間には、えっと……夫婦の営みというか……夜の務めというか……つまり、そういったものが、一切なかったんだよ」
私は目を見開いた。
要は、白い結婚ということだろう。
「……ほ、本当に?」
「ああ。陛下が妃となった女性に求めておられたのは、臣下や民の前で妃として振る舞えるだけの存在だったらしい。少なくとも母は、誰も見ていないところでは妃としての務めを求められることはなかったと、日記に書いていた」
国王という存在に添う形だけの正妃。
公務はもちろん、私事であってもそこに他人の目があれば『妃』として振る舞うことを求められたが、閨の中で国王は一切妃に触れなかった。
それどころか、一緒のベッドに入ることもなかったと日記にはあったそうだ。
聞いていた私の脳裏に、ゴスロリ側妃の姿が浮かぶ。
自分の元に国王が通ってくれないと心を壊しかけていた女性だ。
(アシルさんのお母さんも側妃さまと同じだったっていうこと?)
そうとしか思えない。
(二人が特別なの?……それとも)
今の正妃は三人目の妃だ。側妃は四人目。
その四人の内、二人が国王と体の関係がなかったと言っている。
(二人に一人? ……それってものすごく大きな確率よね)
本当にその確率は、二分の一だったのだろうか?
(……ひょっとして、四人全員って可能性もあるんじゃない?)
残る二人の内一人は既に亡くなっている。死人に口なし。その人がアシルの母のように日記でも残していない限り調べようはない。
(残る一人の正妃さまは――――素直に話すはずがないわよね)
凛として背筋を伸ばし、柔和な笑みを浮かべながらも決して隙を見せなかった正妃。
彼女が国王との夜の事情を話すはずがなかった。
それは、彼女にとって不利にこそなれ、決して得にはならない情報なのだから。
(形式だけの妃と本物の妃って、やっぱり他人の見る目が違うわよね)
私の個人的な意見とすれば、そんなことは正妃自身に対する評価に何の関係もないと思う。
しかし世の中には、どうでもいいことを突き上げ誹謗中傷する輩が多いのだ。
それは異世界でも変わらないだろう。
眉間にしわを寄せる私に対し、アシルは申し訳なさそうに謝ってきた。
「……ごめん。やっぱりこんな話はしない方がよかったかな?」
見た目の印象通り、純情そうな人である。
私は、首を横に振った。
「ああ。大丈夫です。……それで、お母さまはそのことを怒って妃を辞められたのですか?」
正妃に選ばれるくらいだ。アシルのお母さんはきっと美人で教養のあるお嬢さまだっただろう。
なのに彼女がなったのは形ばかりの正妃。
花も盛りの若い年代に後宮でお飾り正妃だなんて――――私なら絶対怒る!、
(花の命は短いって言うもの。……まあ、私の常識とこの世界の女性の常識は違うんだろうけれど)
でも、だからこそアシルの母は、任期半ばでまだ子供が産める内に正妃を辞めたんじゃないだろうか?
そう思った私は、半ば確信しながら質問する。
アシルは、悲しそうに顔を歪めた。
「……怒ってはいなかったと思う。日記のどこにも陛下に対する恨みつらみは書いてなかった。……日記を埋めていたのは、母の“絶望”だけだったよ」
静かなアシルの声が、切なく震えた。