魔族の方程式
目を開けて、最初に視界に入ったのは美しい木目の天井だった。どこか日本家屋を思い出させる木の天井に、私はホッとする。
(……ここは? えっと、私、どうなったんだっけ?)
ぼんやり考えていれば、声が聞こえた。
「あ、気がついたかい? 具合はどう?」
落ち着いた雰囲気の低い声だ。
仰向けに寝ていた私は、グルリと顔を声の方に向けた。柔らかな枕が私の動きに合わせて形を変える。
そこにいたのは、ひょろりと背の高い男性だった。白いシャツにグレーのズボン。ブラウンの長髪を無造作に後ろで縛っていて、年齢は四十代くらいに見える。
両手に大きなトレーを持っていて、その上にはコップと皿が乗っていた。
「起きられるかい? 落ち着いているようなら食事をとった方がいいよ。君は半日くらい眠っていたから」
ゆっくり近寄ってくると、ベッド脇のサイドテーブルの上にトレーを乗せる。コップにも皿にも湯気の立つ温かそうな料理が盛られていた。
こげ茶色の目が、気づかうように私を見つめてくる。
いったいここはどこだろう?
周囲を見回せば、天井と同じ木の壁と暖かな色彩の絨毯が見えた。
私は白い布団のベッドに寝ていて、部屋の中には先ほどトレーを乗せられたサイドテーブルの他に小さめの応接セットがある。
大きな窓にレースのカーテンが揺れ、花盛りの庭が見えた。
「ここは?」
ベッドの上に体を起こしながら、たずねる。
すかさず私の背中に応接セットのクッションを当てた男は、自然な口調で答えた。
「ああ。塔の中だよ。――――信じられないだろうけど」
「塔の中ぁ~?」
私は「あ」を発音させる形のまま口を開きっぱなしにした。
ちょっと待て! と思う。
頭の中で、気絶する前に見た塔を思い出す。
古びた塔は、どこからどう見ても木造には見えなかった。石造りの堅固な塔で、窓もなかったはず。
(……いや、実は内部は木造で、塔の裏側に窓があったのかもしれないけれど)
そして裏庭には、花盛りの庭が広がっているというわけだ。
カーテンを揺らし爽やかな風が入り込み、カップから立ち昇る湯気をゆらゆらとさせた。風には甘やかな花の香りが混じっている。
あのおどろおどろしかった塔の裏側に、このお花畑。
(――――んなわけあるかぁ~!)
私は自分で自分の想像にツっ込んだ。
だいたい、牢獄にレースのカーテン付きの大きな窓を作る人間がどこにいる。
解放感たっぷりの部屋は、どこからどう見ても囚人を閉じ込める場所には見えなかった。
私は不信感もあらわに男を見る。
彼は困ったように笑った。
「信じられないのも無理はないけれど……本当のことだよ。この部屋も庭も全て塔の内部なんだ」
とても信じられない。
信じられないのだが――――
しかし、私にはたったひとつだけ、思い当たる節があった。
「……ひょっとして、魔族の魔法ですか?」
私の問いかけに、男はホッとしたように頷く。
「そうそう、そうだよ。良かった、話がわかる人で。これなら説明はいらないかな? 私も、自分でもわからない仕組みを説明するのは苦手なんだ」
恥ずかしそうに笑う四十代の男性。
確かにそれもそうだろう。
私は自分の予想が当たっていたことを嬉しく思いながらも、ドッと疲れを覚えた。
――――この塔に入れられる前、塔の結界は魔族が作ったと、あの侍従は言っていた。永久稼働の結界で、一方通行のゲートは入ってしまえば出ることはかなわないのだとも。
(絶対出られないって、こういうことだったのね)
なんでもござれの魔族の魔法。きっとその規格外の魔法で、塔の内部はおかしな空間になっているのだろう。
(異空間か何かなのかしら? それとも転移魔法で、扉をくぐった途端別の場所に飛ばされるとか? ……じゃなきゃ、あの庭はあり得ないわよね?)
窓の外に広がるお花畑は、視界の果てまで続いている。東京ドーム〇個分というような広さだ。
こんな非常識、普通の人間ならば信じられない規模である。
現代日本で育って、SFやファンタジーの不思議設定に慣れ親しんだ私だって、にわかには受け入れ難いくらいなのだ!
(百歩譲って、CGの映像とかならまだましなんだけど……)
たぶん外に広がるのは本物のお花畑だろう。甘い花の匂いもそうだが、なんとなく雰囲気でそんな気がする。
(魔族って――――とことん『半端ねぇ』なのね)
私は、ガックリと肩を落とした。
そんな私に、男は同情のこもった視線を向けてくる。
「君もこの塔に入れられたのならわかるだろうけれど――――私たちは、ここから出てはいけない存在だ。つまり一生をここで過ごすことになる。ならばできる限り最高の環境を与えたいと、結界を請け負った魔族は思ったのだそうだよ」
「最高の環境?」
「ああ、傑作だよね? 魔族にとって人間なんて誰でも同じなんだ。閉じ込めるのが人間にとって罪人だとかまったく関係ない。……魔族が依頼されたのは、二度と出られない結界を作ること。結界の物理的な強度もさることながら、それにプラスして結界内の環境を最高にすれば、閉じ込められた人間は外に出たいと思わないだろうって考えたって話だ。つまりこの環境も、結界魔法の補強効果のひとつなんだよ」
万全の結界+最高の環境=脱獄不可能牢獄。
そんな方程式を考え実行する魔族の思考回路は、本当にぶっとんでいる。
閉じ込める人間側は考えもつかないことだっただろう。
(こういうのをなんて言うのだったかしら? 本末転倒? それとも主客転倒?)
なんにしても想定外なのは間違いない。
「……このこと、外の人は知っているの?」
たぶん知らないだろうなと思いながら私は聞いてみた。
思ったとおり男は首を横に振る。
「誰も知らないだろうね。……君もこの塔に入るときに、そんなことを言われなかったかい?」
そう聞かれれば、侍従は『中がどうなっているか誰も知らない』と言っていた。
「そうよね。知っていればきっと塔には入れられなかったと思うわ」
憎々し気に私を睨んでいた侍従の顔を思い出す。彼は間違っても私に最高の環境を与えようなんて思っていなかったはずだ。
「……君もずいぶん複雑な事情を抱えていそうだね。まあ、ここに来たからにはできることは何もないんだ。環境がいいことをラッキーだと思って食事をしたらどうかな?」
男は再び食事を勧めてきた。
私はあらためて彼を見る。
「あなたは?」
ようやく思いついて、私はそう聞いた。
この塔(?)にいるということは、彼も罪人なのだろう。
男は「ああ」と言って、優しそうな表情で笑った。
「私は、アシル・クロード。アシルがファーストネームで、クロードがミドルネームだ。家名はない。……不敬にも国王陛下の御子を詐称した罪で取り上げられてしまったからね」
静かなこげ茶の目が、そっと伏せられた。




