転んでもただでは起きません!
「もしもあの日、私の元に陛下が来られて『解任』を告げられたとしたら――――私は、理由を陛下におうかがいするだろう。私に罷免されるような心当たりはないのだから当然だ。……いつもの陛下であれば、私の質問に理路整然としたお答えをくださるはず。……最近の、少し変わってしまわれた陛下であっても、私が納得できるか否かは別として、きちんと理由を教えてくださるだろう。――――陛下は、そういうお方だった。圧倒的な力をお持ちであるのに、決して力づくでの解決を望まれない。まずはご自分のお考えを述べられ、非才な我々人間にもわかるように説明してくださる。……もちろん説明を受けたからといって、我々全員が陛下のお言葉に頷けるわけではないが、それでも陛下は、まず私たちと向き合ってくださる姿勢を崩されたことはない」
しみじみと宰相は語る。目を閉じ、微かな笑みを浮かべたその表情はどこか誇らしそうだ。きっと宰相は、そんな国王を心から尊敬し仕えていたのだろう。
しかし、次の瞬間、宰相の顔は無表情になった。
目を開き、私をジッと見る。
「――――私が“異常”と感じるとしたら、それは、何の説明もなくただ『解任する』と命じるだけの陛下だ。どんなに理由をおうかがいしても『もう決めた』『役目大儀であった』と一方的に言い渡されたとしたら……私は、陛下にいったい何があったのかと、疑問に思うだろう。不安で、押しつぶされそうになるかもしれぬ。…………まぁ、これはあくまで“もしも”の話だがな」
宰相は、そう言って口を閉じる。
――――そんなことがあったのかと、私は思った。
一年ほど前から、些細なことで怒るようになったという国王。取るに足らないような理由で死罪を言い渡すこともあったというが、それでも彼はまったくの暴君ではなかったようだ。
(きちんと向き合って話してくれる上司だったのね)
だからこそ、人間の統治を望む宰相も、国王に対し忠誠を誓い手足となり働いていたのだろう。
なのに、突然理由もなく『解任』を言い渡された。
その時の宰相のショックは、計り知れない。
しかも、その後すぐに国王は殺されてしまった。
(……うん。私なら間違いなくパニックを起こしそう)
変わらず日々の政務を行う宰相には脱帽である。
そんな彼でも、さすがに国王に『解任』を告げられたことは、周囲に正直に話せなかった。もしも話したりしたら、政治は今以上に混乱したはずだから、彼の判断は妥当なものだと言える。
今も、あくまで「もしも」の話にするのは、身の保身を謀るばかりが理由ではないはずだ。
(それにしても、どうして国王は急にそんな態度をとったのかしら?)
年をとって今まで温厚だった人が、気が短くなるとか頑固になるとかは聞いたことはあるが、長命種の魔族の国王にそれが当てはまるとは限らない。
らしくない国王の態度は、果たして彼の本心だったのだろうか?
それとも――――
考え込む私の肩を、リュシアンがポンと叩いた。
「もういいか? 用が終わったのならそろそろお暇しよう。宰相閣下は多忙なお方。あまり時間をとってもご迷惑だ」
良識的な言葉だけど、さり気なく腰を抱き寄せる必要はない。
「ベタベタ触らない!」
先ほどと同じように、私は腰に回ったリュシアンの手を叩き落とした。
「……美春が、冷たい。俺は、大人しく待っていたのに」
リュシアンが、恨みがましい視線を向けてくる。
宰相は、大きなため息をついた。
「よく言う。……私と彼女が話していた間、私の護衛を威嚇していただろうに」
ジロリと宰相に睨まれて、リュシアンはニヤリと笑う。
「そんなことをしていたの?」
私は、驚き呆れた。
そう言えば、私が宰相にとった態度は、かなり不敬だった。それでも誰からも制止されなかったのは、リュシアンが睨みをきかせてくれたからだったのだ。
「そんなことどうでもいいだろう。さあ、早く行こう」
本当にどうでもいいように言うと、リュシアンは凝りもせずまた私の腰に手を回した。
私は――――好きなようにさせることにする。
(まあ、守ってもらったんだし)
人間の心理に返報性の法則がある。他人から何かをしてもらった時に、お返しをしようと思う心のことだ。
この法則に従った私は、リュシアンの手はそのままに、宰相に向かって頭を下げた。
「お時間をいただいて、ありがとうございました」
出ていこうとしたのだが――――
「待て!」
宰相に引き止められた。
……何か難癖つけられるのだろうか?
振り向いた私に、宰相は仏頂面で聞いてきた。
「あの日のデザートは、結局何だったのだ?」
私は、少し驚いてしまう。
(気になるの、そこ?)
むしろどうでもいいことナンバーワンに思えるのだが?
「わかりません」
私は、そう言って肩をすくめた。
「は?」
「書類は焼けたし、そんなの覚えていませんよ」
ただでさえ私の記憶容量は少ない。自分が何を食べたか忘れるかもしれないのに、他人が何を食べたかなんて覚えていられるはずがなかった。
(毒殺でなかったから、食事の内容には注目していなかったし)
「……あれほど自信満々に宣言しておきながら、覚えていないだと?」
宰相の声は、何故かワントーン下がっていた。
私は、キッパリ頷く。
「ぶっちゃけ、なんでも同じでしたから」
宰相が何を食べたと言おうとも、それとは違うものだったと私は言おうとしていた。事実なんて関係なく書類にはそう書いてあったのだと言い張るつもりでいたのだ。
なにせ、書類は焼けてしまったのだから証拠はどこにもない。
私の言い張り放題である。
「私のいた世界には『災い転じて福と成す』『転んでもただでは起きない』といった言葉があります」
書類が焼けたのなら、それを利用すればよい。
そんなの当然だ。
宰相は「ぐうっ」と唸った。
私はニッコリ笑う。
「あと『雉も鳴かずば撃たれまい』っていうのもありますね。『藪をつついて蛇を出す』とか」
多少の嫌味もまじえて教えてやった。
今回の証拠書類の焼失が、私にとって痛手ばかりではないのだと、理解してほしい。
城の中のどこかに放火犯がいるからだ。
私の言葉を聞いた宰相の従者の一人が、体をピクリと震わせた。
宰相は、それを見て片眉を上げる。
「……火をつけたのは断じて私ではないが、私の配下が勝手に先走った可能性も捨てきれないな。異世界人に対して絶対手出しするなと、しっかり言いつけておこう」
苦虫を噛み潰したような顔でそう言った。
わかってもらえば結構である。
待ちきれなかったのか、腰に回した手に力を入れたリュシアンに促され、私は上機嫌で宰相の部屋を後にした。