目覚めても、まだ異世界でした
気がついたら、私は、明るい部屋に寝かされていた。
大きな窓から入る陽光は眩しく、白いカーテンが、風に揺られ舞っている。
穏やかな光景なのだが、私の心は、ズン! と重くなった。
(……絶対、大学じゃないわよね)
寝ている私が見上げる先には、美しくも可愛らしい天使が微笑んでいる。もちろん、実物ではなく精巧な絵画である。いわゆる天井画というやつで、私の眠るベッドの天蓋の内側に描かれているのだが、……天蓋付きのベッドが、大学にあるだろうか?
―――― いや、ない!
修辞法のひとつ反語である。
……まぁ、反語だろうがなんだろうが、現実は変わらないのだが。
「よかった。気がついたかい?」
ガックリと落ち込んだ私が、布団から抜き出した手で顔を覆ったタイミングで、声が聞こえた。
窓とは反対方向からで、聞き覚えのある美声だ。
指の隙間から、そっとそちらを見れば、案の定そこには、超絶美形のリュシアンがいた。信じられないほど美しい男が、私の様子を見て、ホッと息を吐く。
(確か、そんな名前だったわよね?)
私は、複雑な気分で彼を見つめた。
これだけの美形を見て、これほど残念な気持ちになることもないだろう。
(……夢オチじゃなかったのね)
相変わらず私は、異世界トリップ真っ最中のようだ。
「ずっと目覚めなかったから、心配していたんだよ。君が倒れてから、丸一日が経っている。……具合は、どうだい?」
「……大丈夫です」
非常に残念なことに、頭もお腹も痛くなかった。よく寝たせいか、疲れもなく、すこぶる体調がよいくらいだ。
(最近、読書三昧で睡眠不足だったから)
これでは、具合の悪いふりで現実逃避することも出来ない。
無駄に丈夫な自分の体が、こんな時は、恨めしい。
「本当に、よかった。……突然のことで、ショックだっただろう。君の驚きは、察するにあまりあるよ」
リュシアンは、心から心配そうに、そう話しかけてくれた。美しい顔を、同情で曇らせて、近寄ってくる。
「無理せず、ゆっくりと休むといい。……お腹は、空かないかい? もし、君が何か食べられるようなら、持ってくるけれど」
あまりに優しい彼の対応に、私はかえって不安になった。
(えっと、……確か、私は、人が死んでいた鍵のかかった部屋に、異世界トリップをしたのよね……だから、重要参考人で……あ、でも、ひょっとしたら、私が気絶している間に真犯人が捕まったとか?)
微かな期待をこめて、事情を聞くことにする。
「すみません。私、突然あの部屋にいて、何もわからないのですが……ベッドにおられた方が、お亡くなりになっていた件は、どうなりました?」
聞くついでに、さりげなく、私は何も知りませんよアピールもしておいた。
私の言葉を聞いたリュシアンは、表情を硬くする。
「――――やはり、君は“落ち人”なんだな」
「落ち人?」
聞いたこともない言葉に、私はポカンとした。
リュシアンは、コクリと、頷く。
「そう、落ち人だ。異世界から、この世界に落ちてきた人間を、こちらでは、そう呼ぶんだ」
『異世界』と、はっきりリュシアンは口にした。
私は、大きく目を見開く。
(この人、私が異世界トリップをしたことを、当たり前のように受け入れている?)
動揺のあまり、声も出ない私に、彼は話を続けた。
「この世界は、他の世界に比べ“魔素”の濃度が濃いと、言われているんだ。君が知っているかどうかは、わからないが、魔素はエネルギー変換率の大きい便利な元素だ。しかし、反面あまりに濃すぎると、魔族以外の生き物にとっては、毒になる物質でもある。多量摂取が過ぎれば、死んでしまうこともあるくらいだ。……だから、この世界では、時々魔族が他の世界への道を開き、換気する。……その時、偶然巻き込まれ落ちてくる生き物を、“落ち〇〇”と、呼んでいるんだ。犬なら“落ち犬”、鳥なら“落ち鳥”――――君は、人間だから“落ち人”だ」
……何を言われているのか、わけがわからなかった。
「偶然? ……落ちてくる? ……って、魔素って何?」
私の疑問の言葉に、リュシアンは、申し訳なさそうに眉を寄せた。
「魔素は、この世界の元素のひとつだ。……水素、酸素、魔素、窒素――――やっぱり、君の世界には、魔素がないのかな?」
そんな元素、聞いたことがなかった。
(元素って、『水兵、リーベ僕の船……』って、あれよね?)
水素、ヘリウム、リチウム――――どんなに思い出しても“魔素”なんて、習った覚えがない。
「……知りません」
私が、首を横に振れば、リュシアンは「やはり」と呟いた。
「換気する先の世界は、魔素のない世界か、魔素が極端に少ない世界だと言われている。……本当に、君は落ち人なんだな」
しみじみと、リュシアンは私の顔を見てくる。
「今まで落ちてきた会話のできる生き物から聞いた話では、全員、落ちる直前に、囲われた“円”の中に居たと言っているそうだ。……君は、どうだい?」
そうきかれた途端、私の頭の中に、部室の床に描かれたフリーハンドの魔方陣が浮かんだ。
あの、魔法陣に入った途端、私は異世界トリップをした。
「……居ました。円の中に」
「間違いないな」
断定され、私は、ガックリと項垂れた。
あんな、超適当な魔方陣が、諸悪の根元だったのだ。
しかも、異世界召喚とかではなくて、世界の換気のついでの偶然の落下事故(?)なのだと、リュシアンは言う。
(その上、落ちた先が、殺人現場で、しかも密室だとか……)
あの時の状況を思い出す限り、そうとしか思えない。
自分の運の悪さに、泣けてきそうだ。
しかし、リュシアンはそうは思わなかったようで、少し表情を緩めた。
「これで、君が陛下のお部屋にいた謎が解けたよ。――――落ち人となれば、君は犯人どころか犠牲者だ。落ちるタイミングが悪ければ、陛下共々死んでいたかもしれないからな。……君への疑いも、事情を話せば、きっと晴れるだろう」
そう言って、「運が、良かったな」と、嬉しそうに笑う。
(え? 私、運が良かったの?)
確かに、例えば、異世界トリップした瞬間が、殺人事件の真っ最中だったとしたら、私は目撃者として抹殺された可能性もある。
そう考えれば、運が良かったという話も、あながち間違いではないかもしれない。
(まぁ、異世界トリップしないのが、一番だけど)
運が悪かったとしても、とことん悪くなかった。――――今回の私のケースは、そんなところなのだろうか?
私は、う~んと、頭を捻った。
リュシアンの言葉の意味を、あらためて考えなおしてみる。
「――――私の疑いが晴れるということは、あの死んでいた人は、本当に殺されていて、その犯人は、まだ捕まっていないっていうことですよね?」
もし、真犯人が捕まっていれば私が密室にいた理由は、それほど大きな問題ではない。なのに、リュシアンはあからさまにホッとした。
(私って、まだ重要参考人だったってことよね?)
いや、例え、落ち人だったとしても、現在進行形で重要参考人なのは継続なのではないだろうか?
なにせ、第一発見者だ。
やっぱり、運が悪いとしか思えない。
私の質問に、リュシアンは難しい顔で頷いた。
「そうだな。君にはこちらの事情を教えなければいけないな」
そうして、彼は話しはじめた。