どうしてこうなった?
中央と四隅に尖塔を持つ、視界に入りきらないくらいどでかい本城。
その一番奥に建つ建物の右端、五階辺りが私の部屋で、黒い煙はまさにそこから吹き出している。
「…………は?」
呆けた私は悪くない。
「――――いったいどうして?」
口をついたのは、至極当たり前の疑問だった。
何故私がこんなにも狙われなければならないのだろう?
非常に残念なことだが、私には、まだ犯人の正体がわからない。
容疑者は三人いるが、その内の誰なのか?
はたまた全く別の誰かなのか?
皆目見当もつかないというのが、今の実情だ。
(こんな私を狙っても、なんの得にもならないでしょう?)
それどころか、事件を起こしてそこから足がついたら、得どころか大損である。
首をひねる私に、答えをくれたのはリュシアンだった。
「目的は、十中八九証拠隠滅だろうな。あの煙だ。部屋にあった正妃さまや宰相さまから集めた書類は、燃えてしまっただろう。――――俺の想像でしかないが……さっき聞いた側妃さまの新証言と突き合わせをされては、まずい情報があったんだと思う」
リュシアンの言葉に、私はギュッと唇を噛んだ
言われてみればその通りだ。
現に私は、部屋に戻ったら書類を調べ直そうと思っていた。
側妃さまの証言が本当だったとしたら、当然、正妃さまが嘘をついていることになる。
確かめるためには正妃さまの話を聞かなければならないが――――その場合、正妃さま一人を問い質しても上手く言い逃れられてしまう可能性があった。
(確か、正妃さまには、ばっちりアリバイがあったはずよね。それを証明する人もいたはずだわ)
正妃さまは、ああ見えてかなり強かな面を持っている。正妃という立場もそうだが、それに加えて福祉事業を自ら手掛ける女性が、優しいだけでは務まらないだろう。
(側妃さまの話だけでは絶対認めないと思うし、のらりくらりと躱されて最終的に丸め込まれてしまいそうよね?)
平和な日本で、しがない学生だった私では、正妃さまに太刀打ちできるはずがない。
しかし、その時間帯に正妃のアリバイを証明している人がいれば、そちらから証言の綻びが出る可能性があった。
膨大だった資料も、攻め口が見えれば、切り崩しも可能だろう。
(正妃さまに質問する前に、視点を絞って資料を見直すつもりだったのに――――)
そうされては困る人がいたのかもしれなかった。
いまだモクモク上がる煙を、私は睨みつける。
(本当に、勢いのいい煙よね。あれじゃ、私の部屋だけじゃなく他も燃えているんじゃないかしら?)
そう思ったところで――――ハッ! とした。
「え? ちょっと! あの階って、私が地球に帰るための”装置”があったところじゃない!?」
私の部屋から三十メートルほど歩いた行き止まりの部屋。そこに、その装置はあったはず。
あんなに派手に燃えていて、装置は無事なのだろうか?
まかり間違えて、装置の部屋に延焼でもしたら、私は地球に帰れなくなる。
それは、ものすごくまずかった。
顔からザーッと音を立てて、血が引いていくのがわかる。
リュシアンが「ああ」と呟いた。
「大丈夫じゃないかな? 魔族の装置は頑丈だから。部屋は燃えても、装置は残るだろう。……ただ、部屋が燃え落ちて崩れたりしたら、装置その物をセットし直すのに時間がかかるだろうけど」
それは、とんでもなく丈夫な装置だった。
(耐火金庫なみ?)
魔族、やっぱり万能である。この時ばかりは、そのことに私は心から感謝する。
そんな私の様子を見たリュシアンが、顔をしかめた。
「……やっぱり犯人が捕まったら、美春は帰るのか?」
何を当たり前のことを言っているのだろう?
「もちろんよ」
何のために私がここまで努力していると思っているのか。
「……帰したくないな」
なのに、ポツリとリュシアンは、そう呟いた。
私は驚き、動きを止める。
「え?」
「美春と会えなくなるのは嫌だ。犯人なんて捕まらない方がいい」
とんでもない爆弾発言だった。
「ちょっと! 冗談でもそんなこと言わないでくれる!」
当然私は激怒する。
リュシアンは、傷ついたように顔を歪めた。
「美春は、冷たいな。俺が君を好きなことを知っているのに」
――――私が知っているのは、リュシアンが私を好きだと勘違いしていることだ。
保護した相手に対して抱いている庇護欲を、彼は恋愛だと思い込んでいる。
(本当にリュシアンったら、恋愛初心者なんだから!)
「そんなことを言うなら、私はもうリュシアンと捜査をしないわよ!」
私は、半ば本気でそう言った。犯人が捕まらない方がいいと思っている相手と協力なんてできるはずがない。
ツンと横を向けば、リュシアンは面白いほど動揺した。
「美春! 君は、俺を捨てて別の男に走るつもりなのか!?」
…………なんだ、その浮気された男みたいなセリフは?
「いったい誰だ? まさか、ポールか?」
言うなり、リュシアンは、キッ! と、ポールを睨む。
ポールの横にいる側妃さまが「まあ」と、口を開けた。
ポールは「冗談じゃない!」と、大声で叫ぶ。
ブンブンと、ちぎれそうな勢いで首を横に振り、あんまり振りすぎて、グラッとふらついた。
「ちょっと、いくらなんでも、その嫌がり様は失礼じゃない!?」
思わず私は、ポールを怒鳴りつける。
「……やっぱり、ポールと浮気するつもりなんだな?」
地を這うような低い声で、リュシアンが呟いた。
「はぁ?」
奇しくも私とポールの声はハモる。
まさか本気で浮気なんて思っていたのだろうか?
「今しているのは、誰と捜査をするかっていう話でしょう? それがどうして浮気になるの? ――――っていうか、私とあなたはそもそも付き合っていないわよね?」
付き合った覚えもないのに、浮気だなんてとんだ言いがかりである。
「リュシアン、お前おかしいぞ?」
ポールに至っては、リュシアンを心配しだした。
当のリュシアンは、むっつりと黙りこむ。
私は――――頭を抱えた。
犯人が捕まらない方がいいなんて、自分から言い出しておきながら、この態度はどうだろう?
(リュシアンって、こんなに子供っぽい人だったかしら?)
かなりイイ性格の計算高い人間だとばかり思っていたのだが……
「リュシアンは、いったいどうしたいの?」
問いかければ、紫の目が私を見つめ返してくる。
「……美春と一緒にいたい」
絞り出すようにそう言った。
「だったら、犯人逮捕に協力してくれる? ………誠心誠意。一生懸命に」
それが騎士であるリュシアンの本来の役目のはずだ。
なのに、彼はギュッと唇を噛む。
すると、今まで黙っていた側妃さまが、唐突に口を開いた。
「えっと? ……それなら、犯人を捕まえても、彼女が帰りたいと思えなくなるくらい、あなたが口説けばいいのではなくて?」
リュシアンに向かってそう言った。
「へ?」
驚きにポカンとする私とは裏腹に、リュシアンはパッ! と表情を明るくする。
「そうか! その手があった!」
……………………
いやいや、ないだろう。
私は、日本に帰るのだ。
――――いたって平凡で普通で一般人の私には、やっぱり普通の家族がいて、ごくごく普通の友人がいる。
格別に仲がいいとも思わないが、突然会えなくなったら、普通に悲しい家族と友人だ。
大学だって、あまり偏差値の高い有名大学ではないものの、それなりに努力して入学した学校だった。
単位も順調に取っているし、このままなんとか卒業して、地元の会社に就職。三十前には結婚し、平々凡々な人生を歩むという、波風立てない順風満帆? なライフプランを、私は立てている。
私の中に、帰らないという選択肢はなかった。
少なくとも、帰れるのに帰らないなんて、どうとち狂ってもあり得ない!
なのに――――
「美春、今まで通り捜査に協力するよ。だけど、同時に全力で君を口説く。俺から離れたいなんて思えなくなるくらいに口説くから、覚悟して」
超絶美形騎士が、堂々とそう宣言する。
側妃さまが、嬉しそうに「まあ」と笑った。
ポールは呆れかえって空を仰ぐ。
…………………断ったら、ダメだろうか?
私は、ガックリと肩を落とした。




