重要参考人とは
(死体と二人っきりなんて、ムリムリムリ!)
私は、ガクブルに震え、お尻を床に着いたまま後退る。
ヨロヨロと立ち上がると、ドアに向かって一目散に駆けた。
バン! と、ぶつかって、震える手でドアノブを握る。
ガチャガチャと、開けようとしたのだが――――
「いやぁ! 開かない! どうして!?」
ドアは、ビクともしなかった。
よくよく見たが、ドアノブには、サムターンもなければ鍵穴もない。
「どうして、室内から開かないの!?」
開かないからには、外から鍵がかかっているのだろう。どうしてなのかはわからないけれど、私は閉じ込められていた。
「誰か! 誰か、開けて! 私をここから出して!!」
バンバンバン! と、ドアを叩き、大声で叫ぶ。
「お願い! ドッキリでも怒らないから! 弥香! 田中先輩! 根津君! ……パパ! ママ! お姉ちゃん! ……誰かぁ!!」
ここから出してくれるなら誰でもいい。
死体と閉じ込められるなんて、絶対嫌だ。
私は、知る限りの名前を呼び、助けを請うた!
――――後から思えば、この時の私は、パニックを起こしていたのだろう。
どれだけ、ドアを叩いて、叫び続けたのか、時間の感覚がわからない。
私にとっては、永遠とも思えた後、……………扉の外から、声が聞こえてきた。
「この声は? 誰だ!?」
男性のよく通る声だった。美声といってもいい声だが、今の私はそれどころではない。
「お願い! 助けて! 私をここから出して!!」
「なっ! 誰だ? 何故、陛下の部屋に女がいる!?」
扉の外の声は、間違いなく戸惑っている。
陛下の部屋とか、なんとか聞こえたけれど、その意味がわかるような余裕は、今の私にはなかった。
「そんなのわからないわ! 早く出してよ! 死体と一緒なんて、嫌なのよ!」
扉の外で、大きく息を飲む音が聞こえる。
「そこを退け!」
ビリビリと、声が響いた。
慌てて、私は扉から離れる。
その直後、目の前で、扉がドォォ~ン! という轟音と共に、フッ飛んでいった。
光が四角く射し込んで、冷たい空気が流れ込んでくる。
光を背に、黒い人影が浮かび上がった。
とても、背が高い影だ。――――なんにしても、生きている人間なのは間違いない。
たったそれだけのことに、涙が出るほどホッとした。
「うわぁぁぁ~っん!」
恥も外聞もなく、私は泣き出してしまう。勢いよく、その人影に抱きついた。
温かなぬくもりが、嬉しくて、離すまいとしがみつく。
「君は? いったい何があった?」
「わからない! わからないの! ……でも死んでいるのよ!」
私の『死んでいる』という言葉に、抱きついている男性は、鋭くベッドの方を見た。
駆け出そうとしたので、必死で引き止める。
「いやぁ! そっちに行かないで! 死体なの! その人は、死体なのよ!」
泣いて、叫んで、しがみつく私に、男性は困ったようだ。
肩を強く掴まれた。
「落ち着け!」
お腹の底に響く低音が、私の耳を打つ!
力強く命令することに慣れた男の声が、何故か私を安心させた。――――この声に従えば大丈夫なのだと、素直に確信できる。
身体中に入っていた力が、どっと抜けた。
崩れ落ちそうな私の体を、その男性はグッと支えてくれる。
「心配いらない。俺がいる。俺が、君を守るから、もう泣くな」
初めて会った男性が『守る』というその言葉。後から冷静になって考えれば、絶対その場の勢いだろうというその言葉が、その時は、信じられた。
「君は、ここにいろ」
私の肩を強めに掴んだ男は、そう言って、私を扉の脇に立たせてくれる。
そのまま、ベッドの方へ歩いて行った。
私は、震えながら彼を見つめる。
背の高い男は、腰を屈め、ベッドの中をのぞきこみ、……顔を強ばらせた!
ギュッと唇を噛んで、死んでいる男性の方へ手を伸ばす。
ピクリと震えると、……目を閉じ、頭を下げた。
何かを、小さな声で呟く。
――――それは、祈りの言葉に聞こえた。
私にとっては、見ず知らずの死体だが、彼にとっては、そうではないのだということを、私はここで思い出す。
(ヘイカって言っていたわ。……え? ヘイカって、……まさか陛下?)
今更ながらに、私がそう思った時、開け放たれていた扉から人が飛び込んできた!
「凄い音が聞こえたが、どうした!?」
部屋の中の男性と同じような服を着た男だ。
男は、私を見て驚いた顔をした。
「陛下の寝所に、何故女がいる?」
問い詰めようとしたのだろう、彼は、私に向かって手を伸ばしてくる。
しかし、その手が届く前に、部屋の中の男性が声を出した。
「陛下が、身罷られた」
低く沈んだ重い声が、部屋に響く。
「……………何?」
「陛下が、お亡くなりになった。――――石化され、既に命がない」
「バカな!? 陛下は、魔族であられるのだぞ! そんなに簡単に亡くなられるはずがあるか!」
私の方へ手を伸ばしていた男が、動揺して叫ぶ。
「事実だ。俺は、以前同じように石化の魔法で死んだ奴を見たことがある。この冷たさと感触は間違いない。……いくら魔族でも、石化の魔法には勝てないからな」
陛下で、魔族で、石化の魔法。
そんな言葉を、男性二人が真面目な顔で話し合っている。
(しかも死体の脇で!)
これが冗談とは、もう思えない。
(ドッキリでもないわよね)
ここから導き出される答は一つだ。
少なくとも、私にはそれしか思いつかなかった。
(本当に、私、異世界トリップしたの?)
信じたくないけれど、信じざるを得なくて、私は呆然としてしまう。
その間に、男性二人は事実――――間違いなく、陛下が死んだことを確認したようだった。
「貴様! 貴様が、陛下を弑したのか?!」
弑するというのは、自分の目上の者を殺すという言葉だ。
(あの人、殺されたの?)
プルプルと首を横に振る私の腕を、後に入ってきた男が、掴みあげる!
「痛ッ!」
「止めろ!」
最初に入ってきた男性が、私を庇った。
「リュシアン! 貴様、犯人を庇うのか!」
男の怒鳴り声で、私は、はじめて彼の名前を知る。
「彼女は犯人ではない。よく見ろ。ここには石化の魔法を発動するメデューサの目がない。メデューサの目無しに人を殺すのは――――ましてや魔族であられた陛下を弑するのは、不可能だ」
「しかし! ここには、この女しかいなかったのだろう!? ならば、こいつが犯人に決まっている!」
「確かに、彼女は重要参考人だ。しかし、だからといって、犯人と決めつけるのは短絡的だ。……それより、宰相閣下に連絡しよう。陛下の崩御を一刻も早く報せなければ」
リュシアンの言葉に、もう一人の男は、ギリッと唇を噛む。私を、ギロリと睨みながら、それでも部屋の外へと駆け出していった。
(私、どうなるの? 殺人事件の重要参考人って、イコール犯人じゃない?)
また震えが戻ってきて、私は自分の腕を抱き、下を向く。
そんな私の肩に、リュシアンがそっと手をのせた。
「大丈夫だ。約束しただろう。君は、俺が守る」
ジン! と、言葉が胸に沁みた。
うつむいていた顔を上げる。
あらためて見たリュシアンは、黒い長髪と紫の目をもつ――――超絶美形だった!
(……へ?)
沈んではいるが、穏やかな表情を浮かべる背の高い騎士。
年の頃は二十代後半だろうか? ――――私より年上なのは間違いないだろう。
(ちょっ、ちょっと待って! 私、この美形にギャンギャン泣いてしがみついたの!?)
あげく『行かないで!』と、叫びながらすがりついたのだ。
(いやいや、だって異世界トリップからの密室殺人事件だもの。冷静でいられる方がおかしいわよね?)
私は、自分で自分に言い聞かせる。
――――非常に、残念なことなのだが、読書が趣味で、物語のヒーローに憧れ、恋に恋する私は、……美形に、とても弱かった。
こんな時なのに、頬がじわじわと熱くなってくる。
(もうっ! 私ったら、今はそんな場合じゃないのに!)
自分で自分を叱りつける。
私が顔に手をあてたことで、具合が悪いのかと心配したリュシアンは、その綺麗な顔を傾け、私の顔をのぞきこんできた。
「大丈夫か? 少し座って休むか?」
腰に手をあて、部屋のソファーの方へ誘導しようとしてくれる。
(ち、近い! 近いから!)
超至近距離の美形のご尊顔に、私の頭は、クラクラと回る。
そして、やっぱり相当ストレスがかかっていたのだろう。
――――意識が、スッと遠退いていった。
「あっ! おい!」
慌てる声が聞こえる。
それに答えることも出来ず、私は、気を失った。
決して、美形のドアップに耐えきれなかったわけじゃない!
(絶対、違うから!)
私は心の中で、叫んだ。