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歴史のアロハ

作者: にんべん

大祝鶴(おおほうり つる 1526?-1543?)


愛媛県今治市の離島・大三島は昔から大山祇神社があったため「神の島」と呼ばれ、殺生を忌むために漁も行われず、神聖な島として地域の人々に畏れられていた。この島で大宮司を務める大祝安用の娘として生を受ける。幼い頃から顔立ち整い、体つきも大きく、男勝りの勇気をもっていたために父からも可愛がられ、武芸・兵法を習いつつ成長する。そんな彼女を島の民は明神の化身だと噂した。

1541年6月。鶴が16の頃、周防・長門(山口県)など6か国を支配する大大名、大内義隆の軍が大三島へ侵攻してくる。大祝氏は、伊予の有力水軍の河野氏と連合してこれを迎え撃つ。しかし、長兄の代わりに大将を務めた次兄の安房が戦死してしまう。と、鶴姫は三島明神に祈請し、明神を守護しようとして甲冑を着て馬に乗り、大薙刀を振るって敵陣へ駆け込むと、「我は三島明神権化の者なり、我と思わん者は出だせたまえ」と大音声を張り上げて味方を奮起させ、大内軍を撃退したという。

同年10月、再び大内軍が侵攻すると、鶴姫もまた出陣する。この戦で鶴姫は甲冑の上に赤地の衣を羽織って遊女に扮し、敵船を油断させてまんまと乗り込みに成功。素早く敵将の小原隆言を捕えて討ち取り、焙烙や火矢を放って敵軍を追い払い、鮮やかに奇襲を成功させた。また、安房の跡を継いで陣代を務めた越智安成と鶴姫はこの戦いを通じて恋仲になったと言われる。

1543年6月。2度の苦汁をなめた大内軍は遂に本腰を入れる。瀬戸内海の覇権を確立せんと、大内家きっての名将・陶晴賢の水軍を投入してきたのだ。今度ばかりは多勢の大内軍の前に敗走。連合相手の河野氏も大祝氏も一族の多くを失い、鶴姫の恋人の安成も討死した。もはや降伏しかないと兄の安舎は講和を決断する。しかし、鶴姫は徹底抗戦を主張する。そして、残存兵を集めて島の沖に停泊する大内軍の船へ夜襲をかけて、見事に壊走させる。こうして3度、大三島を守った鶴姫だが、戦いの後に三島明神への参籠を済ませると、沖合へ漕ぎ出し、そこで入水自殺して18歳の生涯を終えたと伝わる。辞世の句は「わが恋は 三島の浦の うつせ貝 むなしくなりて 名をぞわづらふ」。少女にとって安成の死は大きく、敵を討っても埋まらない心の穴に気付いてしまったのか。

彼女の生涯は資料が乏しく不明点も多いので、自殺せずに生き残って他家に嫁いだ説や、自殺をそもそもしていない説などもあり、はっきりしていない。また、研究の進んだ現在では実在自体を疑問視する見方が強いとされている。しかし、彼女の生涯を愛する大三島の人々の手により、鶴姫を主人公にした「三島水軍鶴姫祭り」が毎年とりおこなわれ、今なお彼女の伝説は生き続けている。


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