第六項:最後まで諦めません。
第六項:最後まで諦めません。
009
時間は巡り巡って大会の当日です。しかし一回戦から茂徳さんと正嗣さんが対決することになるなんて……。
茂徳さんとの一対一以降、正嗣さんは一人で何かをしに鳳凰堂家と平等院家の両家それぞれの系列会社に出入りなさっていたようですが、私には一切連絡をして下さらなかったので詳しくは知りません。
学校では相変わらず、勉強面でも生活面でもフォローされていましたが、婚約破棄のことさえ忘れてしまう程の有意義な時間を過ごさせて頂きました。
「では、また後で連絡します」
「はい。頑張ってください」
すると正嗣さんは一瞬目を見開いたのかと思えば、弾ける程無邪気で爽やかな笑顔を見せてくださります。
「頑張ります」
麻美さんはと言えば、正嗣さん曰く仕事が残っているらしく、仕事が終わり次第合流するそうです。麻美さんが早く合流することを正嗣さん共々私も祈りましょう。
仕方ないことかもしれませんが、麻美さんが到着する前に練習も終わり、いよいよ試合が始まりました。
冷たく、深い海のような色合いのユニホームを纏う正嗣さんと私兵の皆さん。熱く、燃え盛る炎のような色合いのユニホームを纏う茂徳さんと公火の皆さん。先にボールを奪ったのは茂徳さんでした。ボールを取った茂徳さんは烈火の如く私兵の陣地に攻め入ります。
一人、また一人とかわしていく茂徳さんですが、ゴール手前で動きを止められてしまいました。
正嗣さんです。
正嗣さんは茂徳さんの前に立ちはだかり、茂徳さんの華麗な猛攻を止めたのでした。
このことに観客はざわめきました。それもそのはずです。なぜなら茂徳さんは高校に上がってからの公式試合で、止めらることなどそうそうなかったにもかかわらず、大会初出場の正嗣さんが止めてしまわれたのですから。
茂徳さんは少し思案し、突破を諦め味方にパスを出しますが、横から現れた私兵の選手に取られて反撃を許してしまいました。茂徳さんが止められたことに動揺していたのでしょうか、公火の皆さんは呆気なく抜かれていき、ゴール前から駆け抜けて来た正嗣さんがダンクシュートを決めました。入部テストの時と同様ゴールをわざとらしく叩きつけ、会場を静めます。わざわざダンクシュートを決める必要はないと思いますが、正嗣さんらしいですね。
再開と同時に自分の陣地に戻った正嗣さんですが、手の平をさすって痛そうにしています。なぜそこまでしてあんなことを……。
「加奈子様、何が面白いのですか?」
「あ、麻美さん。お早い到着ですね。今正嗣さんがダンクシュートを決めたのですが、手の平を痛めてしまったのか、さすっていらっしゃるのです。ああいうところが正嗣さんらしくてつい」
「マヌケですよね」
相変わらずの冷たい評価ですが、そう言いつつも麻美さんの顔は微笑んでいます。きっとそんな正嗣さんがお好きなのでしょう。
「おっと、話をしている間に正嗣様がまた得点したようです」
点数は五対○。会場は盛り上がりを取り戻したようで、私兵も公火も応援の声が一層大きくなりました。
私兵の方々は正嗣さんが途中参加なのにも関わらず、和気あいあいとした様子なのに対し、公火の方々は早くも余裕が無くなっているのか言葉を交わしておりません。
公火の攻撃は茂徳さんを中心にドンドンパスを回すスタイルでしたが、今回はそれが上手く働かずにいます。と言うのも私兵は茂徳さんへのパスを止めることを狙い続けているからです。その作戦は今までも他の学校がやっていたとは思いますが、ここまで有効にならなかったのは正嗣さんのように、ボールを持った茂徳さんを止められなかったからでしょう。茂徳さんにパスが届いてもゴールに辿り着けない。茂徳さんがパスを出せば奪われる。考えられないくらい一方的な試合になりそうです。
「さて、この試合がどうなるか、とても楽しみですね」
「公火に勝ち目はあるのですか?」
「私兵は正嗣様以外に茂徳様を止められる方がおりません。それは、正嗣様が茂徳様に抜かれたら終わりであることを意味しております」
「ですが、この試合中に茂徳さんが正嗣さんより上手くなることがあるのでしょうか」
そんな都合の良いことが。
「……加奈子様にはおっしゃっておりませんでしたが、正嗣様は自分の身体のことは大体分かっているのです。そしてバスケットボールがこれ以上上手くなれないことも」
上手くなれないなんて、そんなことがあるのでしょうか。確かに壁に当たり、成長が滞ることもあるのでしょうが、人の成長に限界があるようなこと……。
「それに、私達は茂徳様が加奈子様のことを友人以上に思っていると考えています。その思いが強ければあるいは」
「そう……ですか」
茂徳さんに勝ってほしいと思う反面、正嗣さんに負けてほしくないとも思う私がおりました。ここで正嗣さんが茂徳さんに勝てば、これ以上上手くなれないなんて希望の無い考えを改めてくださるのではないかと。
ブザーが鳴り響き、一回目の休憩に入ります。現在の点数は公火が何とか返して十六対四です。
このままのペースで私兵が押し切るかのように思われましたが、次の回から雲行きが怪しく成ってきました。茂徳さんの攻撃に、正嗣さんが対応できない場面が度々出て来たのです。私兵の皆さんもそれに気付いたのか必死にフォローをし、何とか点数を二十八対十二にして前半を終えました。
点差は十六。まだまだ余裕に見えますが、正嗣さんの表情は優れません。
「正嗣さん大丈夫でしょうか」
「それほど疲れた様子はありませんのでパフォーマンスは落ちていないと思われます」
「それは茂徳さんのパフォーマンスが上がっているということですよね」
「そうかと。加奈子様としてはそちらの方が喜ばしいのではありませんか?」
「それはそうなのですが……」
はっきりと答えがでないまま、試合再開の合図が鳴りました。
「再開しましたね。どちらに勝ってほしいのか、終わる前に気付けると良いですね」
意味深な言葉を残し、麻美さんは応援に戻ってしまわれました。
どちらに勝ってほしいのか。
私は……。
010
お父様が庶民の暮らしを見て置きなさいと言って、今回と同じく突然小学校を転校させられました。四年生の時のことです。当時は家の事もあってか、クラスメートから腫れ物を触るような扱いをされ、イジメられはしませんでしたが寂しい思いをしていました。
庶民の中に入るとこんな扱い方をされる。お父様の意図はきっとそれを私に知らせたかったのだと思います。しかし、転校してから二週間目にそんな学校生活が変わります。インフルエンザで出席停止になっていた茂徳さんが登校してきたからです。
茂徳さんはクラスメートがなぜ私にそんな接し方をしているかも気にせず、話し掛けてくれました。
久しぶりに学校に来たら知らない人が居て、自分の席がなくなったのかと思った。とか、何でいつも一人で居るの? とか。かなりデリカシーのない質問もされましたが、私は気さくに話し掛けてくれる茂徳さんのおかげで、私はクラスに馴染めたのです。
家のことを知らなかったとは言え砕けた会話をして下さったこと、知ってからも変わらずに接してくれたこと。私は、茂徳さんのそんなところを好きになったのでした。
011
正嗣さんと初めてお会いしたのは茂徳さんと出会う前。小学校に入ってすぐの時だそうです。お父様が主催したパーティーに正嗣さんも来ていたらしく、どうやらその時から婚約の話はされていたそうです。
申し訳ありませんがその時のことはまったく覚えていませんので省略させて頂きます。なので私達の初対面はやはり今年の顔合わせのときと言って良いでしょう。
婚約者と言われていて勝手に嫌な人だと思い込んでいましたが、正嗣さんは私が思っていたような人ではありませんでした。
私には好きな人がいて結婚は嫌だと言うと、正嗣さんも私と同じ気持ちで、お父様達を何とか説得しようと奔走してくれていて、茂徳さんとの仲を取り持とうともしてくれています。
負けることが嫌いだから勝負から逃げ続けて、器用にそつなく物事をこなせる変わりに限界がすぐ訪れてしまうらしい。それでもバスケットボールで茂徳さんと向き合ってくれています。嫌われることを厭わないで茂徳さんを挑発してまで。
012
耳をつんざくようなブザー音に、私は思案を止めコートに目を向けました。
点差は三回目の休憩の段階で四十対四十。
なんと公火が同点に追い付いていたのです。
ベンチに戻った正嗣さんは今まで見たことがないくらい余裕のない表情をしています。
一方茂徳さん達は、前半での雰囲気が嘘の様に明るく、活気のある表情を取り戻していました。
雰囲気を崩さぬまま、試合は再開されます。
攻撃を開始したのは公火でした。茂徳さんを中心にパスをするのは今までと変わりませんが、明らかに前半よりもパスが通ります。ゴール直前でパスをもらった茂徳さんは、そのままシュート。しかし、すぐに正嗣さんがボールを打って阻止しました。
コートの外に出たので公火から再スタート。ボールが茂徳さんに渡り、正嗣さんが防ぐ暇もなくダンクシュートを決めました。点差は二。後はこのリードを守りながら差を広げるだけですが、私兵、正嗣さんも黙ってはいません。ロングシュートを落ち着いて決め、一点リードを奪います。
「一進一退ですね」
「ええ、正嗣様もまだ持ちこたえています」
正嗣さんはファウルを取られつつも、プレーの荒々しさを残して攻撃を防いでいます。茂徳さんが突破出来る回数も減って、私兵が三点リードした状態でお互いに得点出来なくなりました。
幾度目かの茂徳さんと正嗣さんの相対時、二人は言葉を交わしたように見えました。正嗣さんが驚いた様に目を見開き、その直後に茂徳さんは正嗣さんを抜き去って得点をします。
六十二対六十一。
再び得点のない状態が続きます。逃げ切れば勝ちの私兵と、それを追う公火。どちらも一歩も退かない攻防の中、ボールは茂徳さんに渡されました。残り時間も僅かで、シュートを決めれば勝ち。外れたら負けになるでしょう。
正嗣さんはゴールと茂徳さんの間でシュートを待っています。
……なぜでしょう?
茂徳さんがコートの中央より少しゴールに近づいた辺りから放ったボールは、確実にゴール目がけて上昇しているものの軌道が低く入るか入らないかは私には予測もつきませんが、正嗣さんはそのボールを落とそうと跳び、手を伸ばします。
後数センチ高く跳べていれば。
いや、もっと手前で落とせば。
そんな言葉が聞こえてきました。
正嗣さんの伸ばした手はボールに触れることは出来ましたが、ボールを止めることは叶わず得点を許してしまったのです。
結果は六十二対六十三。公火の逆転勝利という形で幕を降ろしました。
「お疲れ様です。正嗣様」
麻美さんはため息混じりにそう呟いたかと思えば、観客席から静かに出て行きました。正嗣さんに会いに行くのでしょう。
私も行きましょうか。
013
公火の選手達が使う出入口で待っていると、とても簡潔なメールが届きました。
『明日話を伺います』
どうやら正嗣さんは先に戻られたようです。会場の反対側に私兵の出入口があるので、帰っていたことに気付きませんでした。正嗣さんには私の行動が筒抜けのようですが……。
私にもし兄弟が居たならば正嗣さんのような人が良いと思います。いつも優しく見守って、恋愛を応援してくれるような兄か、優秀なはずなのに放って置けないような弟が居てくれれば。
「加奈子ちゃん」
なんと返したら良いか悩んでいると、背後から驚いたような声で呼び掛けられました。
「茂徳さん。お待ちしてましたわ」
こうして言葉を交わすのは久しぶりですが、自分で思っていたよりも緊張しておりません。
「加奈子ちゃんいきなりで悪いんだけど、俺とお付き合いしてください!」
直角に腰を曲げ、茂徳さんは右手を私に向けて差し出して来ました。突然のことに言葉も出ませんでしたが、このポーズにお付き合いしてくださいと言われたら勘違いしようがありませんよね?
質問をしたいところですが、その前に差し出された右手を両手で包んで了承したことを告げましょう。
「喜んで!」
茂徳さんは顔を上げ、安堵の表情を浮かべながらその場に座り込んでしまいました。
「良かったー」
「あの、茂徳さん」
「はいはい」
「私も嬉しいのですが、何故いきなり告白して下さったのですか?」
茂徳さんは苦笑いを浮かべながら後頭部を掻き、秘密にしておいて欲しいと念を押してから話して下さりました。
「常盤木さんって美人さんから全部事情は聞いちゃって、いてもたってもいられなくなっちゃったんだ」
麻美さんは正嗣さんのところではなくこちらに来ていたようです。事情の全部とはどの範囲でしょう。
「加奈子ちゃんと正嗣くんが婚約者で、それを破棄するために協力してること。正嗣くんは常盤木さんとお付き合いしてること。偶然知り合った俺が加奈子ちゃんのこと好きなのに気付いてけしかけてくれたことを教えて貰っちゃった」
私が茂徳さんに好意を抱いていたことは秘密にしていてくれたようです。流石は麻美さん。
「……あの、茂徳さんって私のこと好き、だったのですか?」
「うん……そうみたい。正嗣くんが教えてくれなかったら、俺気付けなかったかもしれないけど」
正嗣さんには感謝してもしきれないですね。まさか本当に茂徳さんと結んでくれたなんて。
「おーい銅島、バス出ちまうぞ」
「はいはーい、今行きまーす、と。じゃあまたね加奈子ちゃん」
「はい。今度の試合も応援行きますね」
「じゃあもっと頑張っちゃおうかな」
と、悪戯っ子のように笑って、茂徳さんは公火の皆さんの下に戻られてしまいました。
……もう少しだけ余韻に浸ってから帰りましょう。