第一項:婚約破棄の協力をします。
第一項:婚約破棄の協力をします。
001
諸行無常。盛者必衰。とは言うものの、たかだか数十年ほどで世の全てが変わるはずもなく、盛者は特に不変を好み、何時までも栄え続けようと習慣を変えられないもの。
男尊女卑が批難され始めてから何年経ったのでしょうか。
政略結婚の非人道さが世に広まってからいったい何年経つのでしょうか。
子供は親の保護下にあるとはいえ、親の所有物ではないのは周知の事実であるはずなのに、私は今ここにいます。
親の所有物として。
政略結婚するために。
男尊女卑を覆せない経営体勢だから。
もっと具体的に言うならば、日本で五本の指に入る我が平等院財閥の今後の発展とご健勝のために、世界で五本の指に入る大企業。鳳凰堂グループの御子息、鳳凰堂正嗣様と結婚するためにいるのです。鳳凰堂家の豪華絢爛な食堂に。
002
「どうした? そんなに緊張していては可愛い顔が台なしだぞ」
「大丈夫ですわお父様。私はどんなときでも可愛いと自負していますので」
なんて精一杯お父様に反抗しながら、暗く緊張し、多少崩れているであろう私の顔を見て彼から婚約破棄を言い出してくれればと期待をしています。
彼から断ってくれれば、こちらも同意する形で円満な婚約破棄できますからね。
約束の時間の十分前。相手方のお父上、鳳凰堂正宗様は既に着席し、こちらももう三十分は待っているというのに、当の正嗣は一向に現れる気配がありません。
正宗様は足をしきりに動かして時計を確認しています。鬼のような形相なので、私は更に緊張してしまいます。
正嗣様が現れたらどんなにお怒りになられるのでしょうか。
約束の時間を一秒でも過ぎてくれれば、それを理由に断るくらいはできるでしょう。ほとんど無意味でしょうけれど、どうせ結果が同じなら出来うる限りの抵抗をしたいと思うのが乙女心というもの。まあ、そんなことを言えるようなタイミングがあるかどうかは定かではありませんが。
趣味の悪い派手な装飾を施された振り子時計を見ながら心の中で祈り続けます。
残り五秒。
四。
三。
二。
一。
「こんばんわ」
秒針が真上を指すのと同時に私達の前面にある扉は開かれ、待ち人は現れてしまいました。
「遅いぞ正嗣!」
「時間に厳しいんですよ俺は。父上とは違って」
正宗様は日本人にしては顔の堀が深く、その荘厳な髭と相まって怒鳴り声の迫力が凄まじいというのに、当の正嗣様は全く意に介することなく皮肉まで言ってしまう……。
正嗣様は、真面目で堅物そうな見た目とは裏腹に、存外捻くれているのかもしれませんね。
「さて、正嗣くんも揃ったところで始めますかな」
「これは申し訳ない。ほら、お前も謝らないか!」
「俺は一秒たりとも遅れていませんよ。一秒たりとも早くもないですが」
口の減らない人だなと思っていると、重量物同士がぶつかり合ったような重く鈍い音がこの場に響き渡りました。それは正宗様が持っていた木製の杖で正嗣様を撲った音でした。左の肩をさすりながら、正嗣様は静かに正宗様の左隣、私の正面に座ります。音に反して痛みはそれ程でもなかったのか、その表情はとても穏やかです。
「見苦しいところを見せましたな。これは口ばかり達者で」
「いやいや、雄弁で結構じゃないですか。最近の若者は自分の意見も言わずに従うだけですからな」
その雄弁も、都合が悪ければ無かったことにしてしまうくせに。なんて、無駄な投げ掛けはしませんわ。適当に言いくるめられてしまうのが目に見えていますから。
食事とお酒が進むに連れて、父親同士は私達の意見も聞かずにどんどん話を進めていきます。結納がどうとか式は何時にするとか、提携はどのような形で行っていくとか。
私達なんてこの人達に取っては商品や備品でしかないのです。
味気無い料理を機械的に胃袋へ落としながら、観察するために対面に座る正嗣様を眺めてみました。
私と同学年で、名門私立に通う優等生。お父上とは似ていない爽やかな顔立ちで、真っ黒な髪をいじるわけでもなく耳が軽く隠れるほど伸ばしていますが、どことなく清潔感がありルックスも悪くありません。嫌な噂も良い噂も特に聞きませんので難しいところですが、多分悪い人じゃないのでしょう。捻くれていそうと言っても軽い皮肉での反発は私だってしています。話してみれば結構良い人なのかもしれません。
なんて、諦めたようなことを考えて、前向きに捉えようとしてもやはり納得することはできそうにありませんわ。せめて……。
せめて、結果はどうなるにしても告白してからなら。
「ん? さっきまであんなに喋っておったのにどうした正嗣」
会話に一区切りついたのか、私達が一言も発していないことにようやく気が付いた正宗様とお父様はこちらを向きました。別に今話さなければならないことなんて私達にはありませんのに。
「はははっ、久方ぶりに加奈子様にお会いできて、何を話せば良いやらと柄にもなく口すぐんでいたところでございます。とてもお綺麗になられましたね」
正嗣様は今まで黙っていたのが嘘のように流暢に話しました。内容は当たり障りの無い社交辞令のようなものでしたが、場の雰囲気を悪くするような立ち振る舞いではなく、とても自然に。
「お上手ですこと」
「本当にそう思っていますよ。心の底から」
まあ、悪い気はしませんね。ですが、正嗣様は本気で私との結婚を考えてらっしゃると思えて不安になりますわ。
「どれ、儂らは席を外すとしますかな」
「そうですな。加奈子、後で迎えにくる」
粋な計らいのつもりなのでしょうが、今はただのお節介ですね。止めても無駄なことは分かっていますので、可能な限り微笑んでお二人を見送ります。
そして広い食堂に私と正嗣様の二人きり。恋人か、互いに想い合っているも一歩踏み出せないような方々ならロマンチックな雰囲気にでもなれるのでしょうけれど、やはりと言うべきか気まずいだけの沈黙が訪れてしまいました。
正嗣様はグラスに入れられた水をスッと口に流し込み、お父様達が出て行った方の扉をジッと見つめます。
「麻美さん、入って」
麻美というのはメイドの名前らしく、軽くウェーブのかかったダークブラウンの髪を肩まで伸ばした、女性の私から見ても素直に感嘆してしまうほど綺麗な女性が食堂に入って来ました。
「如何なさいましたか?」
「この部屋は監視されているのかな?」
「いえ、平等院家のお二人が到着なさる直前に部屋に設置されていた盗聴機と監視カメラは既に撤去しております」
「部屋の周りは?」
「メイドが上下階のフロアを含めて見張っており、正宗様の目も耳も届いておりません」
「そう、お疲れさま」
「恐れ入ります」
正嗣様はニッコリ微笑んでメイドを労いました。雰囲気も全体的に丸くなったような印象です。
「というわけでここでの会話は俺達三人だけの秘密になるわけだから、心の底から言葉を紡いで欲しいんですけど」
と、仰々しく正嗣様は前フリをします。
「この婚約をどう思っているのか聞かせて頂けますか?」
正宗様に歯向かっていたときよりも優しい顔をしているのに、それよりも真剣な眼差しで私に尋ねられました。
一瞬の迷いすらなく、私の答えは決まっています。
「私は正嗣様と結婚したくありません。私には心からお慕いしている方がおりますので」
正嗣様は俯いて、肩を小刻みに震わせています。正嗣様へのフォローもなく、正直に言ったのは間違いだったのだろうかと考えてしまいました。しかし、時既に遅しですわね。
「正嗣様……」
メイド。麻美さんが心配そうに正嗣様の背中を摩ると、正嗣様は顔を天井に勢い良く向け、笑っていました。
「良かったー!」
両手を力強く握りしめ、勢いよく天に伸ばしながらそう叫ぶと、人懐っこい笑顔で私に話してきます。
良かった?
「実は俺も好きな人がいるんです。だからもし加奈子さんが乗り気だったら面倒だなって思ってました。あー良かった」
私も人のことをとやかく言えるわけではありませんが、こんな美人が自分との婚約に乗り気だったら面倒とは失礼な物言いですわね。
「だったら会談なんてする前に断ってくだされば良かったのに」
権力や財力で言えば明らかに鳳凰堂家の方が強い。その次期当主である正嗣様か断られれば、お父様は何もできません。
「俺もできればそうしましたけれどね、簡単にはいきませんよ……見たでしょ、親父に逆らったらどうなるか」
そう言うと、正嗣様は思い出したかのように左腕をさすりました。やはり平気な顔をしていても痛かったようです。その様子に、実の息子にも容赦なく杖を叩き付けた正宗様を思い出します。確かに言いたいこともなかなか言えそうにありません。正嗣様は皮肉を言うことはできるようですが……。
「お気持ちは分かりましたが、結婚をどうするかはできそうにないのですね」
分かったのはお互いに結婚したくないという意思だけ。これならば知らないほうが良かった。言わないほうが良かったようにも思えます。だって、なんとなく嫌なのだろうと思っているより、ハッキリ言ってしまったほうがお互いの胸にしこりを残すような気がするではありませんか。お互いに嫌なまま結婚して、記者会見も仲良さそうにしなければなりませんね。それから、きっと子供も作ることになるでしょう。養子という選択肢もありますが、お父様方は自分達以外の血が会社を継ぐことに反対しそうです。それに、養子を悪く言うつもりはこれっぽっちもありませんが、どちらかに原因があって子供ができようがないということにしない限り、夫婦仲がよろしくないと勘ぐられてしまいます。なので、作ることになるでしょうね。子供ができたら教育的に考えて家庭内でも仲の良いふりをしなければなりません。
なんて真っ暗な未来がすらすらと想像できてしまいます。しかし、正嗣様は笑顔をまったく崩しておりませんでした。むしろ口角が先程よりも上がっていて嬉しそうにしています。
「できます。俺達が力を合わせれば」
「それって」
「親父が反論できないような状況にする。そしてお互いの本命との仲を認めさせられたら最高ですね」
確かにそれなら最高ですわ。正嗣様と違い彼は一般家庭の人。この婚約を解消出来たところで彼との関係が上手くいくとは限りません。それを他ならぬ正嗣様が協力してくれるとなれば、こんなに心強いことはないでしょう。
「お話は分かりました。ぜひこの結婚を解消いたしましょう」
「婚約破棄同盟ですね」
破棄するのに同盟とは不可思議な言葉の並びですが、簡潔に私達の関係を示している良い名前です。
肯定と信頼を込めて私が右手を差し出すと、正嗣様は首を振ってご自分の手の平をテーブルに向けてきました。一般常識に疎い私ですが、それの意味は分かります。
私が正嗣様の右手に手を重ねようとすると、私達の手の間にスッと麻美さんが手を挟みました。驚いて麻美さんを見つめてしまいましたが、彼女もこの場にいるなら協力者ですから当然でしたね。
三人の手が重なったのを確認すると、正嗣様は高らかに声をあげます。
「では、婚約破棄を目指して頑張るぞ」
オー! と、この場の雰囲気に不釣り合いな掛け声をあげ、私達の婚約破棄作戦が始まりました。