イチローの決意
気を失ったままのイチローを八神が仁の元へ担ぎ込んだ。
「おいおい、どうした? 喧嘩か?」
仁が目を丸くしてイチローを見た。
「いえ、絶対結界内での修練中でしたが連れてまいりました」
と軍曹が答えた。
「誰にやられた?」
「シュラにです」
「なるほど」
と言って微笑んだ。
シュラの強さは仁も認める。そして上昇志向があり、十二神入りを強く熱望している。
暇をみつけてはこうやって仲間内で修練を積むのは良いことだし、強くなる事においてシュラは貪欲である。
賢が動かないので仁も口を挟まないが、赤狼の抜けた位置にはシュラでもいいと思っていた。
十二神に色をつけて言葉遊びのような名前にしてあるのは賢の遊び心だ。
自分の式神に分別しやすい好きな名前をつけていいのがこれまでの慣例だった。
シュラが入ると燈狐とかぶり狐神が二体になるのを気にしているのか、それとも他にあてがあるのか赤狼の空いた地位はそのままだった。
「まだまだ鍛錬が必要だな、イチロー」
イチローはどさっと床に落とされて、きゃいんと鳴いた。
ふてくされたように寝そべり、、そのままで視線だけを仁の方へ向けた。
「イチロー、お前に確かめたい事があってな」
と仁が言いかけたが、それでも身体を起こそうとしないイチローの身体を軍曹が蹴飛ばした。
「起きろ! 姿勢を正して仁様の話を聞け!!」
イチローは渋々身体を起こし、仁の方へ向いて座った。
「もし美登里ちゃんに結婚の話が持ち上がったら、お前はどうする? 美登里ちゃんは今、土御門で大変重責な地位にいるが、結婚するとなればお前を使役するような戦いからは離れるだろう。相手の意向によっては土御門を離れる事もありうる。お前は美登里ちゃんについて行くか、それとも」
「俺は親神赤狼の抜けた地位につきたい! 十二神の中に入りたい!」
とイチローが牙をむいてそう叫んだ。
「そうか、では、お前は美登里ちゃんの式神から降りるつもりがあるのだな?」
イチローはうなずいた。
「そうか、お前の意思は分かった。美登里ちゃんの結婚話はまだ本格的に決まったもんじゃないが、相手がとても美登里ちゃんを望んでくれてるからな。そうなった時の為に心づもりをしておけよ。賢兄が戻る戻らない関係なく話は進むかもしれないからな」
イチローはグウっと唸って頭を下げるような素振りをした。
「修行中だったな、もういい、行け」
イチローは(赤狼の兄貴、どこにいるのかなぁ。早く帰ってこないかなぁ)と思いながら、しゅっとその場から姿を消した。
美登里は門まで正隆を送ってから、また仕事に戻ろうと敷地内を歩いていた。
そこへがさっと音がして、イチローが姿を現した。
「まあ、イチロー。怪我をしているじゃないの」
「ゼッタイケッカイデシュラトシュウレンヲ」
とイチローは言った。
「そうなの。修練は良い事ですわ。あなたはもっと強くなるはずだから」
と言って美登里は微笑んだ。
「ミドリサン」
「何?」
「ハッキリツタエテオク、アナタガツチミカドイガイニトツグトキハオレハアナタノシキヲオリル。オレハマダマダツヨクナリタイ。アナタガアノオトコノモトニトツグナラ、オレハココヘノコリ、アナタノシキハオリル」
「そ、そんな、イチロー!」
「アナタニハオンモアルガ、アナタニツイテイクト、オレハタタカウキカイガナクナル。オレノサイシュウモクヒョウハジュウニシンノナカノサンノクライ。アカロウノアニキノアトヲツグコトダ。ダカラアナタニハツイテイカナイ」
きっぱりと言い切ってからイチローは姿を消した。
後に残された美登里は胸の中にざわざわしたものがわき出るのを感じた。
だがイチローの言うことはもっともだった。
生まれて間もない血気盛んな妖だ。
土御門家の式神という誉れある場所に存在し、強さを誇るような生き物たちだ。
極上の闘いがあるからこそ、土御門で人間に従う暮らしを選んでいるとも言える。
彼らから闘いを取ったら、どうなる?
ありあまる妖気と戦闘力を今は人間達の力で良い方向へ使っているが、それを禁じられたら、妖は次に人間を襲うようになるだろう。
美登里の元からイチローが去るのは仕方がない事だった。
だが、それは美登里にとっては身を切られるように辛い事だった。
願えば、よそへ嫁ぐ時にも美登里の式神をいただけるだろう。
だがそれは決してイチローではなく、闘いの不得手な者の中から選んだ者だ。
絆もなく、ただ、土御門との連絡係のような者。
長く付き合えばその者とも通じ合うことができるかもしれない、美登里はそう思った。
だが、どうしても心が納得しない。
イチローは生まれて初めていただいた式神だった。
生意気で口を利くし、乱暴で喧嘩っ早い。
それでも美登里には親友のような存在だった。
「嫌ですわ……イチローと離れるのは……嫌です……」
呟く美登里の頬を涙が一筋、伝わって落ちた。




