一狼
「それでだね、美登里ちゃん」
と雄一が言った。
「はい」
美登里は先代当主を見た。
大きな丸い巨体は賢と同じだが、顔は賢よりも仁が似ている。
優しそうな瞳はいつでも温かい光をたたえて、それは当主を頼りにする者達にとっては勇気を与えてくれる。
賢達、兄弟には厳しい師匠であったかもしれないが美登里にはいつでも優しいおじさまだった。
「その如月君が美登里ちゃんと是非もう一度会いたいと言ってきてるんだがね」
「はあ?」
思いがけない雄一の言葉に美登里は目を大きく見開いた。
「先代様……あのお話は先方のお母様からその場でお断りされたんですのよ」
ばつの悪そうな顔で美登里が言った。
「まあそれは夫人が勝手に判断した事で、正隆君は美登里ちゃんを気に入ったらしくてね。是非おつきあいを、と」
美登里は雄一と朝子の顔を交互に見た。
「まさか」
「本当なのよ、美登里さん、あなたのその気がおありならもう一度お会いしてみてもいいんじゃないかしら? 正隆さんは式神が視えるそうね。それならあなたとお話も合うでしょうし、お写真みせていただいたけど、とっても素敵な方じゃない?」
なぜだか朝子がうきうきした顔で言った。
「え……はあ、まあ、レストランでお会いした時にイチローの事を気にかけてくださいましたわ」
「美登里さんならどちらお家へお嫁へ出しても恥ずかしくないわ。でもやはりね、結婚相手の方との相性が一番大事。私達はあなたにも幸せな結婚をしてもらいたいの。あなたは実の娘同然ですもの」
と朝子が優しく言った。
「ありがとうございます」
「お会いしてみて、いい方ならおつきあいしてみればいいわ。じっくりおつきあいをした上で結婚を視野にいれて考ればいいわ」
「はあ」
雄一も朝子も何も押しつけるつもりはない。美登里の気が進まないのであれば断ってもいいのだが、先代夫婦を前にその優しい提案を断れるはずもない。
今は仕事の事だけ、賢と和泉の安否だけを考えていたかったのだが、美登里はおずおずとうなずいた。
「はい、私相手にもう一度会ってみようなんて、奇特な方ですわね。あまりお話も出来ずに終わりましたので、お会い出来るのを楽しみにさせていただきますわ」
と美登里が言った。
一つ驚いた事は正隆が美登里を酷く女性扱いする事だった。
今まで美登里の扱いは土御門家の直系に一番近いお嬢様で、もちろん下へも置かぬ扱いは当然だ。だが、使用人や一族の人間に丁寧に扱われるのはお嬢様だから、という理由だけだ。
美登里は女の子だから、という扱いを受けた事がない。
もちろん異性とのつきあいもした事がないし、デートなど論外。
男女七歳にして……というのは大袈裟であるが、そもそも恋愛をした事がない。
幸か不幸か、お嬢様の中のお嬢様である。
外出は祖母か母と、それ以外には必ずお供がついて回る。
美登里本人にしても当主に嫁ぎ次期当主を生む、と言われ続けてきたので、恋愛には興味がなく、異性とのつきあいも何の興味もなかった。
そもそも深窓の令嬢つながりの学友は親の決めた相手と見合い結婚するのが決定事項でそれに疑いをもつなど夢にも思わない人種ばかり。
誰も彼もを見下ろしてしまう自分の巨体では例え夢を見たところでロマンス小説がいいところ。和泉や美優のように小さくて細い女の子をうらやましいと思う事さえ、潔癖な美登里には恥ずかしいのだ。
幸い仕事に実力を発揮出来る。
仕事仲間も認めてくれる。
一族の為に働ける。
それでよしと思っていたはずなのだが、正隆の出現は美登里を混乱させる。
正隆にしてみればささいな行為だった。
土産に小さな花束を渡すとか、チョコレートを渡すとか、上品な女性らしい美登里の素振りを褒めるとか、そんな事だけだが美登里には酷く新鮮な事だった。
正隆はこの上もなく優しく品があり快活だった。
外で遊ぶ事を知らない美登里をあちらこっちらへと連れだして、今まで足を踏み入れた事のないような空間を見せてくれる。
美登里にしてはすべてが初体験で、素晴らしく、目がくるくるとまわって追いつかないほどの体験だった。
例えばファーストフードで昼食を取るとか、アイスクリーム屋で並んで待つ、遊園地へ行く、動物園に行くというような事だとしても。
そして正隆はイチローに対しても紳士的に振る舞った。
イチローを尊重し、彼を褒め、素晴らしい式神だと感心した。
式神は自分を認める人間には敬意を表す。
ましては主人である美登里の交際相手となればなおさらだ。
美登里が生涯をともにするかもしれない相手だ。
慎重に見極めつつも、美登里が幸せそうなのでイチローも正隆には懐いている風に装った。
赤狼兄貴がいたら、なんと言うかな、とイチローは考える。
赤狼は決して人間に心を許さない。
例外は和泉だけだ。
賢にも代々仕えてきた歴代の当主にも懐いた覚えない、と言うだろう。
イチローにしても正隆に懐くつもりはないが、美登里がそれを願っているようなのでそう振る舞う。
美登里が幸せならばそれはイチローも嬉しい。
自らの式神を選ぶ時に、美登里はイチローを見いだしてくれたのだから。
力量を認め、式神にふさわしいとイチローを選んだ。
もちろん、赤狼の子神であるイチローに誰も不満などあるまいが、特質や主人との相性もある。霊能力が高くてもうまく式を使えない人間もいるし、好きになれない人間もいる。
赤狼から生まれたイチローだが、わりと人間好きだった。
犬神のパッキーやジュウガと馬が合うのもそのせいだろう。
式神として仕えるのであれば、好きな人間がいい。
だから美登里が願うのあればイチローはそう努力する。
だが今のイチローには一つの望みがあった。
それはイチローだけではなく、土御門本家に存在する式神達すべての願望。
今、現在において空位となっている、土御門十二神のうちの一神。
赤狼がぬけた後、まだそこに新たな式神は配置されていない。
本家の式神達は密かにその地位を狙っていたのだが、一神どころか、現在では十二神すべてが不在。
戻って欲しい、戻るまで待つ、のは人間達の願望である。
式神達にとっては今が千載一遇のチャンス。一気に席が十二も空いたのだ。
仁を次の当主にして新たな十二神を組み直せばよいのに、と願う式神もいる。
現当主の賢が生きて戻ったとしても、式神すべてが無事ではないかもしれない。
一つでも二つでも空位があれば、と式神達は考えていた。
イチロ-は赤狼の抜けた穴だけ埋めたいと思っていた。
赤狼が十二神を抜けたのは一命かけて和泉を守ったからである。
再生した赤狼は今現在和泉の唯一の式神である。
賢の思惑にもよるだろうが、和泉から赤狼を外して十二神へ戻すという事は考えられないのではないか。
赤狼の抜けた穴は同じ一族の自分が担う、当主が誰でも十二神へ昇格する。
それが今のイチローの願いである。
そうすれば美登里から離れて当主の式神へ変わらなければならない。
ずっと美登里の式神でいたい気持ちもあるが、赤狼の後を他の式神に継がせるわけにもいかない。
それに美登里が土御門以外へ嫁げば、戦力から外されるのはイチローだ。
まだまだ強くなれる、まだまだ戦いたい、その思いが強くなればなるほど、美登里の結婚相手選出はイチローも意見が言いたい。
正隆は美登里にはよい相手かもしれないが、イチローには不服だった。
美登里が正隆と結婚し、土御門の戦力から外れるのであれば、イチローは当主に美登里との式神の誓いを撤回する旨を申し出るつもりだ。
縁あって主従の誓いを結んだが、やはり押さえられない思いというものがある。
赤狼のように、否、赤狼よりも強くなりたい。
イチローはもっと戦いの場へ出たかった。
賢に召喚され、強い悪霊と戦う十二神はイチローの憧れだった。
自分もその一員になる事を望んでいた。
特に赤狼の後釜は自分しかいない。
そう強く信じていた。




