三夜目2
賢は何故かおろおろしており、和泉は頬をぷうとふくらせたまま、
「あら?」
と言った。
「でも泰成様が瑠璃さんと結婚したいのなら、どうしてあたしを正妻にするわけ? 全てが終わった後に結婚するつもりならその時でいいじゃない? 賢ちゃんがあたしを運命だとか何とか言ったとしても……婚礼なんて形式ばったことまで」
「北の方は本当に喜んでいたからな」
「え?」
「北の方の長年の悩みは夫の出世でもなく、安倍家の行く末でもない。風采の上がらない、誰かと恋文を交わすでもない、勉強だけが取り柄のいつまでも独り身の四男の事だ。その泰成が我が半身と言った娘だぞ、例え先見の結果だとしてもこれは急いで片付けなきゃならん、と思ったに違いない」
「へえ」
「北の方は知らないんだ」
「何を?」
「泰成が一度死んだ事を」
「……」
「泰親と兄弟の祈祷で治癒したと本気で思っている。泰親もわざわざ妻にそんな事を知らせる必要もない。遺体は内密に処理して、泰成の怪我は綺麗に治ったと告げたんだろう。この時代の人間は祈祷やまじないで病気や怪我が治ると本気で信じてるからな」
「そうなの。じゃあ今も賢ちゃんの事を泰成様だと思ってるの?」
「そうだ、北の方は厳しい人だが心根は優しい。泰成の事を実子同然に育てたようだからな。本気で泰成の事を心配していた。乞食同然で盗みや物乞いをしながら生きてきた人間を息子として受け入れるんだ。この平安時代の格差社会で器の大きい人だと思う」
「そうなんだぁ」
「そうだ」
「ふーん……で?」
「で? って」
和泉は賢を横目で睨んだ。またぷうと頬がふくらむ。
「で、近寄るなってどういう事よ!」
「いや、それは明日も早いし」
「ああ、そうですか。じゃあ、お部屋にお戻りになってお休みあそばせ」
和泉はぷいっと屏風の方に顔を向けて、
「赤狼君と寝るからいいよ。赤狼くーん」
と言った。
「それは駄目だ!」
と賢が慌てて屏風をくるっと後ろへ向けた。
「何なのよ」
「だってさ……」
今度は賢がぷうと頬をふくらせる。
「家の門を出て、五十メートル歩いた先にコンビニがある時代じゃねえんだぞ?」
「ん? コンビニ?」
「そうだ」
「コンビニに何の用があるの?」
「……だからさぁ、こうやってふたりきりの密室で、いい匂いなんか漂ってて、灯籠の灯り一つで、邪魔者もいない、こんな状況で和泉が側に寄ってきたら……」
「きたら?」
「押し倒したいに決まってるだろ?」
と言って賢はぎゅうっと和泉の身体を抱き寄せた。
「何たって三年ぶりなんだぞ?」
「うん」
賢は和泉にちゅうっとキスをしてから、
「あーやっぱ駄目だ! 駄目だ! 頑張れ俺! 我慢しろ!」
と言って身体を離した。
「どうして駄目なの?」
「よーく考えろ。コンビニがないんだぞ。二十四時間、何でも欲しい物が手に入る時代じゃないんだぞ?……ゴムが買えない時代なんだ」
「へ」
賢はため息を一つついて、
「平安時代には避妊具が存在しないんだ」
と言った。
「そうなの?」
「そうだ。春を売る者が存在するから避妊という概念はあるみたいだがなぁ。子供の死亡率が異常に高い時代だ。貧しい家としてはたくさん生んで労働力として育てるか、市場で売るのも可能で子供は金になる。たくさん生めるにこしたことはない。だから避妊具は道具として存在しないんだ」
「そうなの、よく知ってるわねぇ」
「感心するのはそこか」
「えへへ」
「俺達には九尾の狐を討伐するという大きな闘いがあって、勝ったその先には千年の時を超えるという大仕事がある。万が一妊娠でもしたら平成へ戻るのは断念するしかない。お前の身体もお腹の子供も危険にはさらせないからな」
「ああ……そっか」
和泉ははっとしたような顔になって、ぱっと賢から離れた。
「そうね! 初めての妊娠出産が子供が育ちにくい時代なんて不安だわ。お医者様もいないんでしょう?」
「いない事もないけど、何でもかんでも祈祷でどうにかしようって時代だからな。霊能力と医療とは別物だって早く気づいて欲しいもんだ」
「そ、そうね」
「あーあ、せっかく会えたのに」
と賢はごろんと床に寝そべった。
「帰ったらずっと一緒にいられるわ」
と和泉がそう言って笑った。
賢は寝そべったまま和泉を睨んで、
「お前が余計な事に首を突っ込まなかったらな」
と言った。
それから和泉の手をとってぎゅっと握った。
「触らないで! 妊娠したらどうするの!」
と和泉がさっと手を振り払い、
「手を握ったくらいで妊娠するか!」
と賢が唇を尖らせた。




