賢の話
賢は瑠璃の言葉に首をかしげたが、泰成と瑠璃の間の約束事に心当たりがなかった。
賢がここへ来る以前の話ならば知る由もないし、例え知っていても泰成に代わってその約束事を叶えるつもりはない。
賢は平成に戻るという大仕事をしなければならない。和泉と十二神と共に千年の時を飛ぶのだ。莫大なエネルギーと、そして泰成が書き残した時巡りを応用する。
過去へ遡る術を未来へ適応できないわけはない、それは泰成の残した書物にも書き記されていた。ただ、それには過去へ遡るよりも莫大なエネルギーがいる。
賢や和泉、安倍家の有名な陰陽師達の霊能力を持ってしてもとても足りないほどのエネルギー。所詮人間の持つ能力などたかが知れていた。
そこへ十二神を足しても、安倍家の式神を足してもまだまだ足りない。
爆発するほどのエネルギー。
下手をすれば日本を壊してしまうほどの莫大なエネルギー。
この時代にそれはただ一つ。
理由もなく人を憎み、日本を憎み、滅ぼしてしまおうと企んでいる凄まじい怨念。
それが「九尾の狐」の持つ妖気。
九尾の狐を退治し、その時の消滅の大爆発で一気に千年先へ飛ぶ。
平成へ戻る方法はこれしかなかった。
だが本番一回きりの大勝負だ。
負ければ賢も和泉も死ぬ。
日本そのものの存在が危うく、千年も続く偉大な家柄など塵芥となって消える。
何度も命を賭けた勝負はしたが、これが最大の闘いとなるだろう。
失敗すれば死だが、和泉と共にならば念を残さずに逝けそうだ。
また幼なじみに生まれ変わろう。
和泉は嫌がるかな。
「何、にやにやしてんの」
「あ?」
振り返ると着物を着替えた和泉がゆっくりと部屋に入ってきた。
和泉が動くたびにふわぁと香の匂いが広がる。
「考えてたんだが……」
「何?」
和泉は賢の横に座った。
「平成に戻るか?」
「え? 戻らないの?」
きょとんとした顔で和泉が聞き返した。
「いや……まあ、戻りたいけど」
「なら戻りましょうよ」
「うん、だがな、それにはまた勝負しなけりゃならない。俺もお前も十二神も命がけだぞ。安倍家の力も借りて、総勢が霊能力を絞り出して闘わなきゃならない。命がけで闘って、皆が無事にすむかどうかは分からない」
「誰と闘うの?」
不安そうな顔で和泉が言った。
「九尾の狐だ。平成まで続く伝承の中でも最強の妖狐だと記されているし、俺もこれほどの妖気を持つ奴は初めてだ」
「九尾の狐と闘わないと平成に戻れないの?」
「そうだ、妖狐の持つ莫大な妖気が俺達を平成へ押し出す鍵となる。千年の時を未来へ飛ぶんだ。未来へ飛んでも、平成から百年後では意味がない。江戸時代でも意味がない。まっすぐに正確に平成の俺達の時代へ戻らなければならないんだ。それには凄まじいエネルギーが必要だ」
「……」
和泉の顔色は白く、そして心細そうな泣き出しそうな顔になった。
賢は和泉の手をぎゅっと握って、
「だがこの時代へ残るという選択もある」
と言った。
「俺は泰成の代わりに安倍の四男として生きていき、和泉が俺の子供を産む。その子孫が千年後の遠い未来に土御門を継承していくだろう。平成には仁と陸がいる。美登里や美優もいるから今の俺達が戻らなくても何も心配はない」
「賢ちゃん」
「九尾の狐は強い。安倍家で最強の泰成が命を落とした相手だ。必ず勝てるという保証もない、下手したら全滅だ。だから和泉がここに残って暮らすのもいいというならそれでもいいんだ」
「賢ちゃんは? 帰りたい?」
賢は優しく笑って、
「俺は和泉と一緒ならどこでもいいよ。原始時代でも暮らしていける」
と言った。
「マンモスを狩って?」
「ああ。十二神達はそういう時代の方がいいかもな。平成は妖には生きにくい時代だと思う」
「赤狼君、この時代でニホンオオカミの仲間を見つけたんだって!」
「絶滅してしまった仲間か。懐かしいだろう」
「でも生意気だからって喧嘩を売っていじめたんだってさ」
「あはははは、赤狼の祖先だからそりゃ生意気だろう」
賢が大笑いしたので、和泉も笑った。
和泉の顔にぽっと赤味が戻る。
「賢ちゃん……」
と和泉が言いかけて言葉を切った。
「ん?」
(闘いたいんでしょ?)と続けるはずだったが、そこでやめた。
賢は闘いたいはずだ、と和泉は思った。
今まで何度も困難に出会ったが、敵に背中を向ける人間ではない。
賢はいつでも正々堂々と闘う事を選んできた。
自分達の問題だけではなく、日本滅亡の危機となればなおさらだ。
(それに……賢ちゃんって強い相手には燃えるのよね。三兄弟の中で実は一番武闘派だもんねぇ)
幼い頃、師匠である父親に何度も勝負を挑んではずたぼろにされて悔し泣きしていたのを思い出す。それでも負けず嫌いで真面目な性質だから成長は早く、師匠を超えた時に賢はまだ高校生だった。
賢は九尾の狐と闘いたいに違いない。
闘鬼も赤狼も認める悪妖だ。
しかしいつでも和泉の気持ちを優先してくれる優しい性質はこんな非常事態でも変わらない。
けれど「闘いたいんでしょ?」 と言えば賢のせいにするような気がする。
和泉はしばらく考えた。
「平成に帰りましょうよ。みんな、待ってるわ、きっと。仁君も陸君も美登里さんも美優ちゃんも、お義父様もお義母様も」
と和泉は優しく言った。
「命がけだぞ」
「目の前の敵に背中を向けるの? 土御門四十代当主として許されないわよ、きっと」
と言って和泉が笑った。
「ここでのんきに暮らしてちゃ、後の土御門に顔向けが出来ないわ。当主の奥様としてはお尻を蹴っ飛ばしても闘ってもらわなくちゃ!」
この時代に残るを選択すれば、後々後悔するだろう。
負けると決まったわけでもない相手だ。
「賢ちゃんは負けないわ。それに……そうね、狐に勝ったらちゅうしてあげるわ」
「こ、この期に及んでまだご褒美がちゅうだけですか」
和泉はにやっと笑って、
「じゃあ負けたら離婚ね」
と言った。
「え! ちょ、それは……」
負けたら後はないのだが、死ぬよりも離婚の方が賢には罰がきついようだ。
慌てふためいておろおろしている。
「頑張ろうって気になるでしょ?」
「……この状況でよくもそんな士気が下がる事が言えるもんだな。悪魔か、お前」
「何よ~離婚したくないのなら必死で頑張るもんでしょうよ」
「頑張るけどさ……負けたら死ぬかもしれないんだぞ。離婚とか言ってる場合じゃねえだろ」
「平気よ、どうせまた幼なじみに生まれ変わるわ。そうでしょ?」
と言って和泉が笑ったので、賢も笑って、
「もちろんだ」
と言った。




