ごめんなさい 改
「お目覚めでしょうか?」
と加江の声がした。
「は、はい」
と和泉が返事をすると衝立の向こうから加江が顔を出し、
「お身体を清めてお着替えをなさいますか」
と言った。
「はい!」
和泉は自分の身体を見下ろした。
確かに着物もぼろぼろに汚れていた。血と汗で赤黒い染みができている。
若い闘鬼に洞窟に連れ込まれ、髑髏にもたれかかり地面に座り込んだせいで手も足も埃と泥で真っ黒だ。
賢が身体を起こして、
「うわ、確かに汚ねえな。うっかり触っちまったじゃねえか」
と言った。
「うっかりって何よ! 自分だけ小綺麗に着替えちゃって」
「お前と違って俺は綺麗好きなの。そんな汚い身体でよく平気でぐーぐー眠れるな」
「む……」
「俺が全身、丁寧に洗ってやろうか?」
「やだ、賢ちゃんのえっち!」
「け、いい年して可愛い子ぶんな。お前なんかここじゃすげえ年増だぞ? 三十って、寿命に近いじゃねえか」
和泉の手が伸びて、賢の頬をぎゅうっとつかんだ。
ごごごごごと暗雲がただよい、雷が落ちる。
髪の毛がうにょうにょと逆立ち、般若のような和泉の顔。
「だ~れ~が~年~増~だ~! くだらん事を言うのはこの口か! この口か!」
「あ、悪霊退散!」
「誰が悪霊だ~~その年増を二十年もつけ回したのはだ~れ~だ~。ああ? 死ぬ死ぬ詐欺までしたのは誰だ~~~」
「痛い、痛い、和泉さん」
「ご~め~ん~な~さ~い~は~?」
「ご、ごめんなさい」
和泉は唇をとがらせてそろそろと立ち上がった。
加江が笑いながら入って来て和泉の身体を支える。
「随分と仲がおよろしいようでよかったですわ。初めてのご婚礼は姫様はご不安が多いですものね」
と加江が言った。
「今宵が過ぎれば明朝にはお二人は正式にご夫婦とおなりですわ。本当におめでたいですわ。末永くお幸せにお過ごしください」
加江の言葉に二人は顔を見合わせた。
「二十年どころか千年前から夫婦だったわけだ」
と賢が言い、和泉は、
「どうりで逃げられないわけだ」
と言って笑った。
賢が側に置いてあった杖を渡すと、和泉はそれを手にゆっくりと部屋を出て行った。
残された賢も立ち上がり部屋をでた。
迷路のように入り組んでいる広大な屋敷の廊下をすたすたと歩く。
たまにすれ違う人間、弟子であったり屋敷の召使いであったりだが、が丁寧な挨拶をする。
「泰成様」
と言って深く一礼をすると賢は軽く手を挙げて挨拶を返す。
泰成と賢の死闘や、それに基づく深い事情は主要な人間にしか知らされていない。
泰親とそして兄弟、弟子の中でも高弟達が知るだけで、あとの人間にとって賢は泰成であった。賢もそれを否定しない。三年のも間、泰成と共有していた身体である。
違う人間ではあるが、似通った箇所もある。
元々の容姿はかなり似ていたらしく、賢の身体を使って泰成が復活した事は誰に異論もないが、ただ、「泰成様ってあんなに大きかった?」とだけ密やかに噂されている。
泰成に貸してあった身体を取り戻しても泰成の癖は覚えている。
人付き合いは苦手、寡黙、人を笑わせるような言葉は出ない。
真面目、勉学に熱心、じろっと人を睨む瞳には迫力がある。
霊能力は一族で一番、自分をからかう人間は徹底的に追い詰める。
よく似た性質であるので、特に演技を必要ともしない。
深く考えれば泰成が自分の祖先であるかもしれないという可能性もあるが、そうなると泰成が残した子孫がどこかにいるはずで、泰成を殺めてしまった自分はまた恨まれる。
「あんまり考えない方がよさそうだな」
泰成が使っていた部屋に入り、文机の前に座る。
疲れているので眠りたい気持ちもあるが、確認しておかなければならない事や考えておかなければならない事が山ほどある。
十二神が来てくれたおかげで和泉の身辺が強固に護られているのが幸いだ。
「泰成様」
と声がして瑠璃が入ってきた。
茶碗に湯気の立つ白湯を入れて持ってきて、文机の上に置いた。
瑠璃は賢の横顔を見て、
「こうしていると嘘のようですわ」
と言った。
「あなた様は本当に泰成様とよく似ていらっしゃいますから」
「そうか」
と賢が言った。
賢は泰成が書き残した冊子を開いて中を読み始めた。
瑠璃はその賢の横顔をじっと眺めている。
それは慣れた場面ではあった。時間があれば瑠璃はよく泰成の側へ来てはじっと座っていた。安倍家の女官として様々な仕事はあるだろうが、その合間にこうして泰成の側に来ては何時間でも黙って座っている。
泰成も寡黙な男であるので、瑠璃にそうそう声をかけもせずにじっと冊子を読んだり書き物をしていた。
賢にとってはその場面はこの三年間でよく見た光景だった。
自分は泰成に身体を貸してじっと様子を見ていただけだ。
泰成が瑠璃を大切に思っているのは感じたし、瑠璃もそうだろう。
だが泰成はもういない。
どこにも存在せず、魂の一片すら残さずに消えた。
自分が消した。
瑠璃が泰成を思いその姿を賢に見るのは仕方がないのかもしれないが、泰成のようには振る舞ってやれない。
ずっと瑠璃が側に座っているので、どうも集中出来ない。
賢は冊子から顔を上げて、
「俺の世話はもうしなくていいぞ。泰成ではないのだから」
と言った。
瑠璃ははっとしたような顔をしてから悲しそうにうつむいた。
「はい……では、あの約束も……」
「約束?」
「いいえ……何でもありませんわ。申し訳ございません……」
瑠璃は涙声でそう言い、音もなく部屋を出て行った。
もうちょっと続くよ~~~(*^_^*)




