再会
「よう、おめえ」
と荒い息を吐きながら赤狼の前に式神が一匹。
立った姿は人間の子供の様に見えるが、腕も足も獣のような毛皮に覆われている。顔も犬のようにぴんと立った二つの耳がついていて犬に似ているが、仕草などは人間のようだ。
黄色い歯をむき出して笑いながら、
「千年も先から飛んで来たってのは本当かい? 獣臭くもねえな」
と言った。
赤狼はぐるると牙をむきながら相手を睨んだ。
千年前の式神は荒っぽかった。礼儀も何もない。ただ攻撃的で、命令された事だけを忠実にこなす。だが主人との関係がいいというわけでもなさそうだった。
「お互い縛られて闘うなんぞ、面白くもねえ。やられたふりして寝転んでなよ。見逃してやっから。汚ねえよな、人間なんざ。自分の手を汚すのが嫌で、みーんな俺らに命令すんだぜ。お前もそうだろが?」
この式神の背後で何匹かの式がけっけっけと笑った。
「ろくに食い物もくれねえ」
「そうだ、そうだ」
すいっと何者かが赤狼の横を通った。
「蘭丸だ」
「うへえ」
けっけっけと笑っていた式神が後ろへさがった。
こそこそと暗闇に隠れようとする。
「お前達、いつまでも遊ぶでない」
振り返ったのは白い顔で烏帽子を被り水干を着た人間姿の者だった。
背中まで伸びた黒髪が非常に美しい。
人間の真似をして化ける妖は割といるが、この者は人間的な美しさまで模倣している。
ふっと赤狼の鼻を香のよい匂いがかすった。
「早くやっておしまい。狼一匹に無駄に刻を使うな」
「まあ、そう言うな蘭丸。人間同士の諍いに巻き込まれるのもお互い災難よ。相手は一匹だ。見逃してやんな」
と言ったのは最初の犬のような獣だった。
「犬丸! 泰親様に逆らうのかえ!」
「そうじゃねえよ。勢揃いしてたった一匹の相手を嬲り殺して何の自慢ぞ、と言ってるんだ」
犬丸は頭をぐるっと回した。赤狼を取り囲み安倍の式神達が笑っている。
安倍の筆頭の泰親、そして泰成を除く子息が四人、そしてその弟子達が何人かその場にいて、彼らが操る式神は三十匹以上いる。
その式神達が赤狼をいたぶり、まだ不満がありそうだ。
和泉を護りながらの攻防は赤狼に疲労をもたらした。
防御に徹するしかない。
「やる気のない者は消えて失せろ。その赤い狼は私が血祭りにあげてやろう」
ぺろっと長い赤い舌を出した蘭丸の目が細くなり光った。
「蛇か……」
強い、と赤狼は感じた。
強く、そして容赦がない。残酷そのものな性質。
残虐な行為を望むが為に式神になった。
殺しの大義名分を与えてもらう為に。
そんな感じが伝わってくる。
赤狼を引き裂いて喰らう、そんな己の姿を思い興奮しているようだ。
この蛇だけなら全力を出せば赤狼なら互角、だがその間に他の者が和泉を喰ってしまう。
「美味そうな狼だ。その柔らかい腹をかっさばいて、内臓を引っ張り出してやるぞえ。お前みたいな美しい狼が苦痛にのたうち回るのはさぞかし面白かろうな」
蘭丸はふふふと笑った。
「悪趣味だな。蛇にも知り合いはいるが、お前みたいなゲスな奴は初めてだ。白塗りカマ野郎」
「シャー!!」
と威嚇の空気音がした。
大蛇に戻った蘭丸が赤狼に飛びかかる。
赤狼はその場から動けない。後ろに和泉がいるからだ。
重い着物を着て足が不自由な和泉は動く事も出来ず、自分が足手まといになるのは分かっているがどうしようもない。
赤狼は飛びついてきた蘭丸の最初の一撃をよけず、太い右前足で大きな蘭丸の頭を殴りつけた。蘭丸はたいして衝撃をうける事もなく、ふふっと笑って、ながい尻尾の部分で和泉の身体を襲った。素早くそれに反応した赤狼が尻尾に噛みつき、尻尾はしゅるると逃げていったが、その赤狼の首筋に蘭丸の牙ががっつりと喰らいついた。
「グッ」
と赤狼が低い声で唸った。
大きな蛇の大きな口は狙った獲物は丸呑みしてしまう。
力の強い蘭丸の牙は赤狼の首筋に深く食いついていき、その傷口からだらだらと血が流れ出る。長い尻尾が戻ってきて、赤狼の身体にするする巻き付いた。
「グウ……」
赤狼の身体を蘭丸の胴体がぎりぎりと締めつけていく。
「やめて、やめて、止めなさいよ! この蛇!」
と和泉がにじりよって来て、蘭丸の固いうろこを一生懸命に叩いた。
蘭丸の尻尾の先がシュッと動いて和泉の身体を腹立たしそうに突き飛ばした。
尻尾の先とはいえ巨大蛇の威力はすさまじく、和泉の身体は背後へ高く吹っ飛ばされた。 それを目で追っていた赤狼の顔に怒りの皺がよる。だが自身も蘭丸に巻き付かれ、どうにも動けなかった。蛇の締め付けるその力は凄まじく、相手が窒息するまで離さない。
だが、すさまじい勢いで飛んだ和泉の身体が地面に落下するその直前に、「にゅ」と腕が出て来た。
その腕は落下する和泉の身体をひょいと受け止めた。
赤狼の目が大きく開いた。
蘭丸もいぶかしげにその方を見ている。
赤狼の首筋に噛みつくのを止めて鎌首をもたげた。
「何者?」
空間が割れた。
その中から金色に光る鬼が姿を現した。
闘鬼は危機の赤狼を見てから薄く笑った。
「一つ貸しだな」
「グ……」
闘鬼は和泉の身体をそっと地面に置くと、そのまま足を進めて蘭丸の側まできた。
「き、金色の鬼……どうして、ここに。お前は……」
蘭丸が動揺している。
闘鬼はにやっと笑った。
「久しぶりだな、蘭丸」
闘鬼は赤狼に巻き付いている蘭丸の長い胴体を両手で持ち上げ、その部分を真っ二つに引きちぎった。
「ぐええええ!」
蘭丸が悲鳴を上げ、するすると赤狼の身体から離れた。
少し離れた場所まで逃げて行き、二つに千切れた胴体が慌ててくっつき再生しようとしている。
「赤狼さん!」
と声がして闘鬼の背後からぴょんと緑鼬が飛び出した。
橙狐と茶蜘蛛と黄虎が顔を出す。
「赤狼! 大丈夫でやんすか!」
「ど……うして……」
と赤狼が息も絶え絶えに答える。
「動くんじゃねえでやんす! 今、膏薬を塗ってやるでやんす!」
「い、いずみを……」
「大丈夫だよ! 気を失っているだけだ!」
すでに和泉の側にいた銀猫が答えた。
「キエエエエ」
「グエエエエエ」
白露と黒凱が空を舞い、敵とおぼしき原始の式神達を威嚇する。
赤狼とは親友というほどの仲ではないが、よそ者に手を出されるのは我慢がならない。
「和泉ちゃん!」
続いて水蛇が飛び出してきた、すでに水色の巨大蛇の姿になっている。
「シャーーーーーーーー」
水蛇が鎌首をもたげて威嚇する先は慌てて再生中の蘭丸である。
中途半端にくっついた身体で蘭丸も水蛇に威嚇仕返した。
「どこの何者だか知らぬが、安倍家の庭で狼藉は許さない! こいつらを片付けてしまえ!」
蘭丸の指示に安倍家の式神達が反応し、いっせいに吼えた。




