それぞれの思い
とはいえ例え美登里を理解し結婚後も土御門で働くのを許す夫が現れたとしても、それが美登里の幸せかというとそれは美登里自身にも分からない。
賢の側で働きながら、和泉の事も気にかけ、和泉もまた美登里を頼りにしてくれている……と思う。仁や陸と軽口を叩きながら、力を合わせて土御門を盛り上げていく。
今回のような困難にも立ち向かい、賢の留守に(美登里は必ず賢が帰ってくると信じているので)自分がしっかり道を見失わないように働く。
先代夫婦にも可愛がってもらっているし、美優が陸と結婚するのであれば土御門の為にしっかりと導いてあげたい。
美登里は自分も家族の一員……のような気がしていた。
本家に入るとか入らないではなく、自分が土御門で特別だなんて思っているわけでもない。ただ今の自分の置かれた状況が気に入っていてとても大切な場所だった。
そこから排除されるなんて考えたくなかった。
だが陸が結婚し仁が結婚したら、そして遠からず自分にも結婚の話が来る。
それぞれにパートナーが決まれば、今までのようにはいかないだろう。
夫となる人への配慮、本家へ嫁ぐ若奥様達への配慮。
「私は……出来なかった幼なじみ達とのお遊びを今になって楽しんでるのですわ……皆と一緒に遊びたかったのに、お祖母様に許してもらえず悲しかったから。でもそれが終わるのも時間の問題ですわね」
陸と仁が結婚を考えるのは賢が戻ってからだろう。
特に陸と美優は賢と和泉の無事が確認されてからでないと結婚はしないはずだ。
それまでは自分もここにいる事を許される。逆に賢が戻れば自分は用なしになる。
だがそれでも美登里は一刻も早く賢に戻ってもらいたいと思っている。
賢と和泉と仁と陸、そして陸が選んだ美優も美登里にとってはとてもとても大切な幼なじみだから。
いずれは皆とさよならして別の道を歩む事になっても、彼らとの楽しかった思い出だけで生きていける。
「さ、今日も頑張らなくては」
「仁様、ご相談したい事がありますの、よろしいですか?」
美登里が分厚い書類の束とファイル、自分のノートパソコンを抱えて仁の所へやってきたので仁はどきどきしながら、
「あ、ああ、いいよ」
と答えた。
仁にとって美登里の「ご相談したい事」は恐ろしい。
採決に対する意見が半端ないからだ。
「こちらの書類をご覧いただきたいのです。これは賢様がご計画されていたプロジェクトですわ」
「賢兄?」
「ええ」
仁は分厚い書類をめくった。
「図書館の設置……」
ぱらぱらと書類をめくってから、
「賢兄の計画なら、賢兄が戻ってからがいいんじゃないの? 勝手に手をつけて進めるわけには……」
「そうでしょうか。賢様がお戻りになった時に喜ばれると思いますわ。企画は全てできあがっています。工事にかかるだけですわ。加奈子さんの事がなければすでに工事に着工している案件ですの」
「へえ」
「神道会館の西の駐車場三百坪をつぶして五階建てビルを建築、それは土御門の図書館になります。今現在、神道会館で保存してある物はもちろんですが、全国に散らばる土御門に関する文献を集めて一つにするんですわ。一大事業になりますわね。素晴らしいわ!」
「へえ」
「仁様、へえ、じゃありません。賢様の企画はできあがっていますけれど、実際それに関わる業者の選別などはこれからですの。賢様がこだわって建築士に製作させた図がこちらですわ」
美登里は丸めていた大きな用紙を仁の机の上に広げた。
「す、凄いな」
五階建てだが外観は和風で五重塔のような美しい建築物だった。
確かに無駄に広い駐車場を有効活用するのはいいし、ビルというよりは美しい塔に見えるのはなかなか素晴らしい景観になりそうだ。
「この計画を発動いたしませんか? 賢様と和泉さんがお戻りになったらきっと喜ばれるわ。賢様は和泉さんにこの図書館の館長をお任せになるつもりですわ」
「和泉ちゃんに?」
「ええ、そうなると和泉さんもこれからいろいろ学ばなくてはならない事も多くなりますが、やり甲斐のあるお仕事になると思いますわ。全国に広がっている土御門の歴史やご先祖に関する資料を一つに集めて保存し守っていくという大変な任務ですわね。どこかの土御門の押し入れで眠っていて、その価値の分からない者に消滅させられるなんて悲しいですもの」
「そうだね。和泉ちゃんは本好きだし、いいかも」
「全館バリアフリーの設計で和泉さんが車椅子でも動くのに不自由はありませんわ。和泉さんも外へ出るきっかけになりますし」
活き活きと話す美登里の中ではこの案件にすぐにでも着工したいという姿勢がありありと見えた。賢の計画に穴はないはずで、企画書通りに進めていけばいいだけだった。
賢が留守でもそれは可能だ。
建物は無事に建築されて、駐車場には素晴らしい建造物が建つ。
賢は和泉の為に彼女の仕事をサポート出来る有能な人員を確保するだろう。
誰からも好かれる性質の和泉は例え足が不自由でも皆が彼女を支えようとするだろう。
美登里や美優も先頭にたって和泉を支援し、仕事は順調に進んでいくだろう。
だが、それも賢と和泉が無事に戻ってくればの話だ。
美登里は彼らが必ず戻ると信じての発言のようだが、それは一体いつの話だ。
戻らなければどうする?
巨大な建築物を巨額を投じて作り、中身はからっぽという結果になったら?
いつ帰るやもしれない、主人を待つ巨大な美しい塔。
皆がその塔を見上げて、賢と和泉の帰りを待たなければならない。
不安な気持ちを抱えながら、その塔を見上げる自分が想像できる。
そしていったん着工してしまえば、途中で中断など出来ない。
万が一、賢と和泉の訃報を確認したとしてもやめる事は不可能だ。
使う主のいない建物を建築し続ける事になる。
もし中止してしまえば「土御門で巨大なビルの工事が途中で中止になったのは、資金繰りに詰まったからだ」などという根も葉もない噂が光の速さで世界中を駆け巡るだろう。
そしてそれは全てがサインを出した仁の責任になるのだ。
同時に「当主代理を務めている弟はその器でなかった」という烙印を押される。
「この計画は賢兄が戻ってからにした方がいいと思う。俺は判を押せない」
仁は否の決断を下した。
「何故です」
期待に満ちた美登里の顔が一気に曇る。
「和泉ちゃんが使う建物なんだ。彼女が戻ってからでいいよ」
「お戻りになってから着工では遅すぎますわ。完成まで二年は時間を要しますわよ」
「和泉ちゃんもたくさん勉強する事があるんだし、時間は多い方がいい」
「そうでしょうか」
仁は不服そうな美登里を見上げた。
「……戻らなかったら?」
「は?」
「賢兄が戻らなかったらどうするんだい? 建物だけ作って、皆でそれを見上げてるのかい?」
仁は立ち上がり、窓際へ寄って行った。
ブラインドをシャッと上げる。
窓から図書館の建築予定の駐車場が見下ろせる。
「仁様……賢様は必ずお戻りになりますわ」
「いつ?」
仁が振り返って美登里を見た。




