美登里、お母様に論破されそうになる
「美登里さん」
「何ですの? お母様」
美登里は声をかけてきた自分の母親の方を見た。
「あなた、忙しそうね」
「ええ、とても忙しいですわ」
美登里の母親はティーポットを持ち上げて、美登里のカップへ紅茶を注いだ。
「ありがとう」
美登里は紅茶を一口飲んでから、物言いたげな母親の視線に気がついた。
「何ですの? 何か?」
「あなた、土御門の一員としてお家のお仕事に精を出すのもいいですけど、そろそろ結婚の事も考えないと」
母親は美登里の前に座ってそう言った。
「結婚?」
「そうよ。あなた、もう二十八でしょう」
「よい方がいらしたら結婚もいいですけど、年だからとかいう理由で急いで結婚するのは意味がありませんわ。それに今は賢様が大変な時ですのに、そんな話は賢様……のご病気がよくなってからにしてください」
賢が行方不明だという事は極秘であるので美登里は自分の両親にも伝えていない。
対外的には病気療養中という事になっている。
「心配する気持ちは分かりますけど、あなたがお祈りしていても治るものではないでしょう? 華やかな話でもあれば、御本家の方もお気持ちが晴れるかもしれないでしょう? 北澤の伯母様からあなたによいお話がありますの」
美登里はかちゃんと音をたてて紅茶のカップを置いた。
「美登里さん」
「お断りしてくださいな。北澤の伯母様のお話はいつもそれで決定じゃありませんか。お見合いなんかしたら、すぐに結納の話でしょう? その方がよい方かどうかおつきあいする時間もいただけないじゃありませんか。それに私は土御門神道に生涯を捧げるつもりです。お仕事に理解のない方は無理ですわ。伯母様は女は家で夫を待つのが良妻賢母の務めとあちらこちらでお話していますけど、私は結婚しても仕事をするつもりです。その事に理解のある方でないと結婚はいたしません」
「そんな事を言っていたら、よいお話なんてありませんよ」
「よいお話って何ですの?」
美登里は母親にも容赦がない。
「よいお話はよいお話ですよ。あなたがいくら土御門の本家に近い立場の娘でも、あまり年がいくとお話がなくなります。結婚というのは家同士の格も大切ですよ。あなたを働かせなくてはならない家になど、嫁がせるのはお母さんは嫌だわ」
「お母様、働かなくてはならないのではなくて、働きたいのです。私は土御門神道で働きたいのです。賢様や仁様と一緒に働くのが楽しいのです」
「でも……」
母親は不服そうに顔を曇らせた。
「まだ何か?」
「賢さんに嫁いだ和泉さんは働いてないじゃないの。足が不自由でいらっしゃるからしょうがないのかもしれませんけど……」
「和泉さんは再の見鬼として立派に土御門に関わってますわ。それに、賢様の発案でもうすぐ大きなプロジェクトが始まって、和泉さんはそこで……」
母親には土御門の事業の事は興味ないらしく、大きなため息で美登里の言葉を遮った。
「ではあなたは仁さんや陸さんがご結婚された後も、あなただけ独身でもいいの? 御本家にお嫁さんがいらして、みなさんお幸せそうにしてても平気なのね?」
「それは……」
「あなた、今は御本家に泊まり込みまでしてお仕えしてますけど、そこまでしても御本家のご兄弟がご結婚されたら、奥様方の手前もう御本家には気安く出入り出来ませんのよ? 和泉さんは幼なじみのような物で親しくしていただけるけれど、仁さんや陸さんがあなたの全然知らない方と結婚されたらどうするの? みなさん、すぐに子供もお生まれになるでしょう。御本家のご兄弟は仲がよろしいから、お子様も皆が一緒に育って賑やかになるでしょうね。あなただけずっと独身で、家庭を築く幸せも子供を生む幸せも知らないで一人年をとっていくなんて、お母さん、耐えられないわ」
「そ……」
美登里は軽く唇を噛んだ。
母の言っている事は理解できる。
「若さだけが全てではないわ。それはお母さんも分かっています。でも、よいお話は若い方から進んでいくのよ。あなたは若くて、頭もよくて、こんなに美人なんだもの。あなたを理解して、土御門を理解してくれる方を探せばいいわ。ね?」
こんな美人なんだもの、という箇所に美登里は少しだけ目玉をきょろっとさせた。
親ばか、という言葉が頭をよぎった。
自分の容姿は分かっている。身体は骨が太くがっちりとしている。
ダイエットなどしても顔だけが大きく見えるので、むしろこのままの方が目立たない。 母親はほっそりとしているが父親が大きな体格で、それは土御門家の血筋だ。祖母の靜香も加寿子も昭和の女性にしては大きい方だった。先代の雄一もそして賢も巨体だ。
いっそのこと政略結婚の方がまだ貰い手もあっただろう、と自分でも思う。
好いて好かれてなど無理な話だ。
和泉や美優のように小さく、可愛らしく、優しく生まれていたらもっと違う人生だっただろう。彼女達にはそれぞれに思い思われる相手がいて、生涯を共にする。
それはうらやましい事だったが、自分には縁のないことと諦めている。
祖母から自由になって自立できただけでも自分の人生は上出来だと思う。
母の言う通りに、仁や陸がそれぞれに結婚して奥様を迎えれば本家での自分の居場所はなくなるかもしれない。当主の賢を中心に仁と陸が彼を支え、そして命がけで働く彼らを若奥様達が支えるのだ。
その輪の中に自分は入れない、そんな事は分かっていた。
そんな事は母親に言われるでもなく。
ちくん、と美登里の胸が痛んだ。
そして少し寂しくなった。
だが美登里は気丈に母親には笑顔を見せた。
「お母様、絶対結婚しないとは言っておりませんわ。私でよいと言って下さる方がいらしたら考えます。結婚しても土御門でのお仕事は続けます。それを理解して下さる方、これが私の結婚の条件ですわ」
と言った。




