美登里2
「美登里ちゃん」
と仁が声をかける。
美登里は手を止めて、
「何でしょう?」
と答えた。
仁は机に向かっていた。
賢の仕事の部屋で賢の机だ。
土御門では代替わり時に当主の部屋は内装を変えるのが慣例である。
その為に机も椅子も全てが賢の体格に合った物で設えられていた。
細身で賢より少し背の低い仁には合わない机と椅子だった。
綺麗好きで几帳面な賢はどこもかしこもぴしっと揃っている。引き出しの中もキャビネットの書類もだ。埃一つなく、指紋一つついていない。
パソコンの中までびしりと整頓されている。
和泉の写真でもあったらどうしようと思ったが、それはなかった。
いや、和泉の写真はいい、奥さんなのだから。
賢の片思い歴から考えて、和泉の隠し撮りの写真とかあったら、プライバシーに関わるなと思っただけなのだが。
仕事のパソコンには仕事の情報しかなかったので、安心した。
逆に陸のパソコンの中は見たくないなーと思っている。
仕事中にそんな事を考える自分も病んでるなーと思う。
現実逃避だ。
「何でしょう?」
と言って美登里が机の方へ寄ってきた。美登里はキャビネットから必要な書類を探していた所だった。
「賢兄がすごい仕事してたのはこの日の為だったのか、と思わない?」
「は?」
「来年の案件までまとめてさ、正直、今はすごくそれが助かってるだろ? 賢兄がいなくてもなんとか仕事は回ってる」
机の上の書類をひらひらとさせながら仁が言った。
「まさか」
と言って美登里が笑った。
「賢様は確かに長めの休暇を取りたいとおっしゃってましたけど、今回の事はさすがに想定外でしょう。でも、そうですわね。確かに今はそれで大変助かってますわ」
「長めの休暇?」
「ええ」
「どうして?」
「それは……」
美登里は口ごもった。
賢がいない場所で賢のプライベートの事を話すのは憚られる。
「兄弟にでも言えない事?」
少しいらっとした様子の仁の言葉に美登里は慌てて
「い、いいえ。そうではありませんわ……和泉さんの為です。新婚旅行もまだですもの」
と言った。
「ああ、そうか。そうだね。新婚旅行か、どこへ行くって言ってた?」
「そこまでは。和泉さんに聞いてもあまり出かけたくないご様子だったそうですから」
「出かけたくない?」
「ええ、やはり車椅子での移動は同行者に負担になるからと……そのような事を気になさらなくてもよろしいのにね」
美登里は困ったような顔で笑った。
「そうだなぁ。自家用飛行機でも何でも賢兄なら手配しそうだし、そんなに気に病まなくてもいいのに」
「賢様がいっそ仁様や陸さんに一緒に行ってもらおうかとおっしゃってましたわ」
「新婚旅行にぃ? 俺達、兄弟仲はいいほうだと思うけど、さすがに新婚旅行にはついて行けないだろ」
「仁様や陸さんの方が和泉さんを楽しませる事が出来るだろうからって。昔からそうだったって、和泉さんを笑わせるのは仁様か陸さんで、自分はそういうのが得意じゃないからって」
「ああ~、賢兄、冗談とか言えないもんな。割と無口だしな。自分は物陰からこそっと和泉ちゃんを眺めてたら満足だろうけど」
美登里はふふっと笑って、
「そうですわね。では、仁様が何か企画してさしあげます? 賢様がお戻りになるまでに」
と言った。
「それはいいな。うんとびっくりするような企画を……陸に考えさせよう。俺は忙しいし、
あいつの方がそういうの得意だから」
「そ、そうですか」
「ディズニーランド貸し切りとか、いや、USJの方がいいかな」
「え、ああいう場所って貸し切りなんて出来るのですか?」
「さあ」
と仁は首をかしげた。
「和泉ちゃんの頼みなら、賢兄がなんとかするんじゃない。きっと月へでも連れてくよ」
「月へでもなんて素敵ですわね」
と言って美登里が笑った。
「月へだったら美登里ちゃんもお供する?」
「ええ、ぜひ。荷物持ちでも何でもしますわ」
「そうか、皆でぱあっと旅行に行くのも楽しいかもな。月じゃなくてもついていこうか? 費用は賢兄持ち、俺達は荷物持ちで」
「ええ、私、お友達と旅行なんて行った事がないので、ぜひ!」
「そうなの?」
「ええ、おばあさまに外に出るのを反対されてまして……友人と呼べるような親しい人もいないんですよ」
「そっか、靜香おばさんも厳しい人だったもんなー」
美登里はふふっと笑った。
「美登里ちゃんが土御門に時間取られて嫁にいき遅れたら靜香おばさんに恨まれるな」
と仁が言った。
「仁様はどうですの?」
「俺? 俺よりも陸が先に結婚するんじゃないかな」
「美優さんと?」
「多分ね」
「そうですか……」
ふとした小さい疑問が美登里の心に浮かんだ。
それは小さい小さい黒い染みのような物だった。
「皆で旅行はいいアイデアかも。陸と美優ちゃんに企画させよう。美優ちゃんも少しは気が紛れるだろうしさ」
「……そう、ですわね」
「美優ちゃんのせいじゃないって言ってるのに、ずいぶんと自分を責めてるからね」
「ええ」
美登里の声のトーンが少し下がった事に仁は気がついていない。
美登里は手にした書類をとんとんと揃えたから胸の辺りに抱え込んだ。
「そろそろお昼ですわね」
そう言ってから美登里は執務室から出て行った。




