置いてきた者達
青帝大公が寝ている。
布団をひいてその上に横になっている。
自慢の鱗の色は悪く、ひげもくにゃっと元気がない。
「だ、大丈夫ですか」
と盆の粥を運んできたのは美優だった。
「すまんな……」
青帝大公の声は酷く弱々しかった。
「もう、うっとうしいわね」
と鼻の上に皺を寄せているのは美優にくっついている紅葉だった。
華やかな着物をずるずると引き摺りながらどすどすと土御門神道会館道場へ入り込んできている。
道場には青帝を始めとした式神十二神がごろごろと床に寝転んだり、また壁を這い上がっては下りて行ったり、隣の毛皮に噛みついてそこから喧嘩が始まったり、とにかく暇そうにしていた。
「おいたわしや……若様は今頃いずこ……」
青帝はそうつぶやくとまた布団の中に潜り込んでしまった。
それに答えられる者はいない。
賢と和泉が時巡の彼方へ消えてから、もう一ヶ月が過ぎる。
残された十二神は何をするでもなく、ごろごろするだけである。
主である賢と切り離されても十二神に格別変化はなかった。
賢の能力を滋養としてはいるが、それと離れてしまっても弱ることはない。土御門で最強神である彼らは自分で自分の養分くらいは賄う。その気になれば街へ出て、いくらでも霊や妖を食い荒せばいいだけの話だからだ。土御門最高神という高いプライドからしてそのような振る舞いをしないだけで、妖気を養う方法はいくらでもある。
消えてしまった賢が戻るのを待つしか今の十二神にはなかった。
そしてもし賢が二度と戻らなかったら。
それが今、一番の十二神の問題だった。
闘鬼と赤狼はこの場にはいないので、困っているのは十神だけだが。
万が一賢が戻らない場合、十二神は土御門へ返納される。
次に当主となるだろう人物の式神に抜擢されるか、希望により引退も認められる。
十神の間ではこそこそとその話が囁かれている。
賢の次は仁が当主となるだろう。
仁には八神がいる。
仁と八神の結びつきから考えて、入替は行われないだろうという予想は容易だ。十二神は土御門最強を謳い文句にはしているが、主との相性もある。必ずしも強い式神だけで編成されるとは限らない。
そうなると残った座は四席。抜擢され、新たな十二神になれるのは四神のみ。
決定権は当主となるだろう人物の意見と土御門最高評議会にある。
そして用意されるのは闘いの場。十二神以外からも参加を求めれば認められるからだ。
例えば陸の式神やそれ以外の属子達が使役する現在土御門に存在する様々な式神達が十二神の座を求めて挙手すれば参加を認められる。
現十二神は今まで賢を護るという目的でともに過ごしてきた相手と死闘を演じることになるのだ。
「あたしゃ、引退するよ。若様以外には仕えない」
とすでに表明しているのは銀猫。
加寿子の時代から最古の式神としてきた銀猫の引退は誰もが納得している。
だが、まだ血気盛んな者もいる。
水蛇は言葉も少なく思い悩んでいる様子だが、妖としてはまだ若い。力もまだまだ伸びるはずで引退した所で行くあてもない。白露、黒凱コンビは土御門で一番プライドが高く、次の最高神に名乗りを上げている。黄虎、橙狐、緑鼬も挑戦する気は満々だ。
青帝、茶蜘蛛、紫亀は沈黙を守っている。
「まだ……御当主が戻らないって決まったわけじゃないでやんすよ……」
と天井からぶら下がった茶蜘蛛がつぶやいた。
「じゃが……御当主がお戻りになっても……我々は用なしかもしれんな」
と青帝が悲しそうに言った。
「だよねえ。誰一人として御当主についていけなかったんだから。御当主もきっと怒ってるわよねえ」
と紅葉が言った。
その言葉に十神がぐっと無言になる。
「赤狼を見習いなさいよ~。和泉ちゃんの危機に一番に飛び込んで行ったじゃない。さすがねえ。健気よねえ」
と紅葉の毒舌に誰も反論できない。
そんな式神達の様子を眺めているのは美優だった。
彼女は十神のお世話係に任命されていた。
美優には陸の命で紅葉がついている。
紅葉の強い霊気で美優にも式神の姿が見え会話も聞こえている。
世話と言っても格別に手がいるわけではなく、ただ道場でごろごろする十神の様子を見に来るくらいである。手土産に甘い物を用意するが、誰も手をつけないのはきっと和泉の作るケーキを待っているのだろうと思われる。
美優自身も今は十神と同じ境遇だ。どこへ行くあてもなく、何をしていいのか分からない。自分のせいで賢と和泉が時巡へ消えた、という事実しか目の前にはない。
誰も美優を責めない。
だが。
先代の雄一も朝子も美優の無事を喜んでくれたが、日に日に憔悴しているのはその顔色を見るだけで分かる。土御門の当主という立場以前に息子夫婦が行方不明なのだ。
陸も仁も美優に責任を追及する事はないが、それだけに身を切られるようにつらい。
全て加奈子と美優のせいなのだから。
いたたまれない。屋敷にいても何の役にも立たず、ただ毎日無事で戻って下さいと祈るしかないのだ。それしか出来ない。
土御門内部では戒厳令がしかれていた。
最上級の属子以外には何も知らされておらず、その中でも能力の高い属子達が賢の行方を追うという作業に入っている。卜いで賢の霊能力の位置を追うのだ。
優秀な高弟達の高密度の能力がどこまで賢を追えるかは分からない。
時巡に巻き込まれて時間の歪みに飛び込んだという事実だけで、過去に飛んだか未来に飛んだかは分かっていないのだ。
この時点で時巡を理解している者は誰一人としていなかった。
それ以外の者達には賢は病気の為に療養中と知らされていた。
当主代理は土御門仁、そして補佐に陸と美登里の名前が挙がっている。
だが仁は、生まれた瞬間から次期当主と運命付いていた賢とは違っていた。
心構えがなく、準備が出来ていなかった。
いつも兄が側にいて、そして自分は兄を補佐をするだけの存在だと思っていた。
それがいきなりトップへ押し出され、そして皆が決裁を待って自分を見上げている。
かつて、自分が賢にそうした視線を向けていたように。
兄の決断は間違いがなく、全てにおいて安心だった。
それを今度は自分が周りに与えなければならない立場となってしまった。
いきなり、だ。
賢が優秀であっただけにプレッシャーが半端ない。
「仁様」
と美登里が自分に呼びかけるだけでどきどきする。
そして美登里は容赦がない。土御門に関わりだしてまだ一年も満たないのに、賢についててきぱきと仕事をこなしてきた美登里だ。
賢と同じような結果を仁に要求する。
「仁様、賢様の事をご心配なのは分かりますわ。私も心配しております。けれど、皆でめそめそ泣いてばかりでは、賢様がお戻りになった時にはさぞかしがっかりされるでしょうね。私は賢様に留守の間によくやったな、とおっしゃっていただきたいですわ」
きっぱりと言う美登里に少しばかり安堵を覚える仁でもあった。